第2話 いざ冒険の地へ
竄靈の森。
クラークの目の前にて広がっている森林――ジョンからクラークへと継承されたモノは、手帳の中でそのような名前で紹介されていた。
ワルド=ガング王国の王都から見て北西の方角に存在する森林で、かつて国教であるミルス教が数年間所有していた森林であったらしいのだが、ある時を境にその所有権を放棄し、その後、ワルド=ガング王国の様々な貴族に所有権のたらい回しをされた挙句……最終的にクラークの祖父の持ち物となった森林らしい。
「いったい何があって、あの森林は所有権のたらい回しをされたんだか。つうか、そのある時っていつだよ? どこにも書いてねぇな」
一ページ目には森林の名前、そしてその簡単な歴史だけが書かれている。
細かい部分は、クラークのやり方――自分の足で実際に現地に訪れる事で学んでほしい、という事かもしれない。
「まぁいいや、こっちの方が性に合ってるし。それ以前にチュートリアルとかねぇ方が冒険の面白みが増すってもんだぜ!」
そう言って、クラークは私物が入った鞄を背負い直す。
そして、下に降りられる場所を探そうと、彼は盆地の外縁の崖に沿って歩く――登山で言うところのお鉢巡りを始めた。
※
盆地の外側は荒野だ。
植物はチラホラ生えている程度。
ちなみに川などの水源は近くに存在しない。
一方で、盆地の中には森林が広がっている。
その環境の違いからして、盆地のどこかに水源があると思われるが……なぜ盆地の中にだけ水源があるのだろうか。
まさか荒野の下にも、大量の水が存在していたりするのだろうか。
だけど盆地の外縁とその周辺から水源を掘り当てようにも、その水源があまりにも深い部分にあると思われるために、代々の所有者はコストなどを考慮して、水道を外縁付近に引かなかったのか。
いやそれなら、森林の方の水源から水を引けば、荒野において水を確保できるんじゃないか……外縁の崖を滑落しないよう気をつけて歩きながら、クラークはふと考える。
「ま、こんな所に水道あっても、使うヤツがいるかどうか……微妙だけどな」
ここは王都から離れた場所。
言わば郊外に存在する荒野。
わざわざ誰かがやってくる可能性、というか必要性が…………とても低い場所。
さらに言えば、誰もが所有する事を最終的には放棄する――所有する価値を見いだせないほど、何もないと判断された場所である。
この土地に何かを作るだけの価値があれば話は別だろうが、ないのであれば……残念ながらこれから先、たとえ所有者が民間企業に変わったとしても、何も作られないかもしれない。
ただし、クラークやジョンのような例外が来るまでは。
「お、この傾斜なら安全に滑り降りられそうだぜ」
しばらく歩くと、傾斜がそこまで急ではない場所を見つけた。
いったいどんな森林なのか、まったく分かっていない状況で、風魔術などで魔力を無駄に使い楽に崖を降りたくなかったクラークにとっては、ありがたい傾斜だ。
「よっしゃ、待ってろよ爺ちゃんが冒険をした森林! 爺ちゃんが言ってた、謎の遺跡があるかどうかは、手帳を読み進めつつ冒険しなきゃ分かんないけど……とにかく冒険の始まりだぜ!」
※
竄靈の森。
かつて多くの貴族に所有権をたらい回しにされたという、不憫な歴史を持つその森林の奥地に……謎のシェルターがあった。
枝と葉で作られた、簡易シェルター。
明らかにヒトが、風雨を凌ぐために作ったとしか思えない物だ。
そんなシェルター内では現在、シェルターを作った者が横になっていた。
体力の温存のためなのか。それともただの休憩か。とにかく、静かな寝息を立てながら、胸を上下させながら……その存在は微睡んでいた。
しかし、その微睡みの時間は突如終わりを告げる。
シェルター内に、光り輝く小さき光球が入り込み。
それがシェルターで眠る者の顔の近くに寄って明滅したために。
「……………………誰か、来た……?」
その存在は、すぐに目を開けた。
その顔から眠気は一切感じられない。
充分な睡眠時間をとったためか。
それとも目が冴えるほどの異常事態を察知したためか。
「………………今度は……男…………一人か…………」
その存在は、明滅する光に目を向け……森林の全てを把握する。
まるで光が、その存在に全てを教えているかのように……事細かに。
するとすぐに、その存在は行動に移した。
より動きやすい服へと着替え、武器を取る。
この森林を。
自分の居場所を。
守るために。
※
「ッ!? なんだ、この感じ」
崖を滑り降りる途中で、クラークは違和感を覚えた。
目に見える違和感ではない。クラークの第六感が覚えた違和感。
森林に近づいたからこそ気づけた……そんな違和感だ。
「この森、なんかおかしいぞ?」
サバイバルの訓練を、クラークは物心がついた時から行っていた。
両親と兄達に愛されていない事を、幼いながらも察知し。その寂しさをジョンが毎日行っているというそれを通じて、紛らわすために。
ついでに言えば、ジョンとの共通の趣味が冒険であり。
そしてその共通の趣味を祖父と一緒に満喫して、なおかつ五体満足で帰還できるようにするための保険も兼ねて行ってもいた。
そしてそのサバイバルの訓練を経てクラークは、目には見えない力の流れを明確に察知できるほど、感覚が鋭敏になっていた。
だからこそ、クラークには解る。
自分が向かっている先はただの森林ではないと。
「爺ちゃんと今まで巡った森林とは違う。発してる魔力の質からして違う。なんていうか…………重みがあるなッ」
しかし、だからと言って。
クラークに逃げるという選択肢はない。
現実的に見れば、今の彼には居場所がないから。
そして彼自身の精神的な都合からすれば…………せっかく目の前に未知の冒険の地があるというのに、その全てを知らずして尻尾を巻いて逃げるような事をしたくないからである。
そして、そんな彼はついに。
深さが数百メートルはある崖を滑り終え。
崖の底――森林からそう離れていない草原へと、まず到着した。
森林にさらに近づいたせいか。
クラークは先ほどよりも強く違和感を覚える。
――森林がクラークを拒絶している。
そんなイメージが一瞬、彼の中で浮かんだ。
しかし彼は、それでも引き返さない。
いやそれ以前に、彼が尊敬してる祖父はこの森林を……遺書に情報を書き残せるほど冒険したのだ。
自分が今まで祖父から受けた教えを、総動員すれば。
もしかすると自分も、祖父が見たのと同じ景色を見られるかもしれない。
そう思うからこそ、クラークは。
謎の森林を前にしても引き返さない。
逆に、心を躍らせて。
森林へと向かって歩き始めた。