思惑通り
「ただいまなさいませアテクシさん!」
西ノ宮家に戻り玄関を開けて大声で叫ぶ。しかし、館内からいつもは飛んでくる冷夏ちゃんのヤジが聞こえない。
おいおい、嫌な予感がするぞ~?
スマホを取り出し善治さんに電話をかける。いつもならスリーコールまでには出るのに…!
館内を走り今井さんがいつもいる部屋に向かう。確か二階の曲がって突き当りに…。
「今井さん⁉」
「ぅぅ…」
廊下に倒れてうずくまっている今井さんを抱き寄せ揺さぶる。何度か声をかけるとゆっくりと目を開けた。
「お嬢…さま…」
口元に吐しゃ物が付着しているところを見ると、何か毒物を盛られたのか…?今井さんを担ぎ冷夏ちゃんの部屋のベッドに寝転がせる。
奴らが使いそうなものを考えろ…!それに準じた適当な対策を!
窓を開けて空気を入れ替えながら今井さんの衣服を脱がしていく。服などに付着した人の皮膚からも薬物は体内に入っていくものもあるので肌から離さなくては。
よく聞くのはクロロホルムとかがある。
「くっそ、メイド服って着方分からんから脱がし方もよくわからんな!」
応急処置もあっているか分からないが、知っていることだけはやろう。
「すみません…こんなこと…。…スカートはまずそこのチャックを…」
「えっああっこれっすか⁉」
「それは後で…いいです…それスカートじゃ…」
なんとか試行錯誤しながら着ている服は脱がし、露出している肌の部分を濡れたタオルで拭き、下着姿を布団で隠すようにかけて寝かせる。
「すみません、このくらいしかできませんが…。どうか、ご無事で」
「ジョーク…さん。お嬢様は…善治と共に『穴場』?へつれて行かれました…。どこにあるのか…」
穴場…。そうか、神通辺りの山奥の廃工場だな。ここからだと車で三十分、いや飛ばしてニ十分だな。
先ほど貰った電話番号からジンへ電話をかける。
『ジョークさんですね』
「ああ、俺だ。既に手が回っていやがった。今どこに?」
『五分くらいで西ノ宮邸につける場所です』
「了解だ。昔近藤が拷問に使っていた廃工に向かいたい。迎えに来てくれ」
『承知いたしやした』
電話が切れて、ポケットにスマホをしまう
その場を去ろうとするとスーツの右腕の袖がか弱い力で引っ張られる。
「ジョークさん…行ってはいけません…!」
「社交辞令はいいです。背中押してください」
自分から連れていかれた場所言っといて今更だよなぁ。
「お嬢様をお願いします…!」
「ええ。ハッピーエンドを迎えさせるのが今回の依頼ですから」
冷夏ちゃんを無事に連れて帰る。それだけでいい。
おぼろげな意識の中、何とか目を開き周囲を確認する。
ホコリ臭く使われていないであろう機械が所狭しとならんでいる真っ暗な工場。どうやら私は上裸にされ柱に縄で体を縛られているらしい。全身の自由が利かない。
窓から入ってくる光は夕陽。それだけなのでかなり薄暗く視界が悪い。明かりに照らされた宙に舞う無数のホコリを視認し、こんなところに冷夏が居たらと思うと…冷夏?そう言えば冷夏はどこだ…?
眼前には四人の小汚い恰好をしたチンピラが鉄パイプなどを持ってこちらを見下し笑いながら笑っている。
「気が付いたか?」
「娘は…冷夏はどこだ!」
「そう心配すんな。まだ手は出しちゃいねぇ…。ただ、金をくれればいいんだ。ですよね?兄貴」
チンピラは後ろを振り向くと、大柄でスキンヘッドに入れ墨の入った、金色のスーツを着ている典型的なヤクザが、工場にはそぐわないソファに座っている。
「んー…。金も欲しいけど、女だったしなぁ…」
「‼ 冷夏ッどこだッ!」
「黙れっ」
腹部を思いっきり鉄パイプで殴られる。横隔膜がせりあがり、潰れた肺は呼吸を拒む。
「ッああ…ハッア」
口の中が鉄臭くなる。強烈な吐き気に襲われそのまま嘔吐する。
「うわきったねぇなオッサン!」
二回りも年下のような者たちから暴行を加え続けられる。なんだこの屈辱感は…自分すら娘すら、守れない…。気が遠くなっていく…冷夏は…。
「あぁあぁぁぁあああ‼」
こんなところで格好つけなければ、いつ冷夏に好きになってもらえるんだ!
腕だけではなく体全体を縛り付けてくれているのが功を制した。死にもの狂いで両腕を、全身を真上に引っ張り上げる。
足のどこかの筋が切れた気がした。腕が縄と擦れ皮膚がめくれ血が出ている。関係ない。
「娘にッ手は出させない‼」
「こいつっ」
無作為に拳を入れられるが気にせずに、じりじりと立ち上がる。両上腕の皮が引きちぎれ大量に出血しだしたころ、俺は立ち上がった。
「こんの野郎ッ!」
降りかかる四つの鉄パイプを血まみれの右腕で受け止める。
「ぐぅ…ッ」
その隙に一番近くの男の胸ぐらを左手でつかみ足をかけて、自分の背中を相手の腹にあて背負い投げをした。
残りの四人にめがけて投げる。
「ぐっ」
「うおっ」
そのまま全員の股間を思いっきり蹴り上げる。防ごうとする腕もろとも。
「お前らッみたいッなのとはッ鍛え方がッ違うんだッ!」
チンピラたちの醜いうめき声が工場内をこだまする中、大柄の男は背後からこちらに向かって来る。
「お父さん強いですねぇ。いやぁウチの若いモンがすみません」
そう言いながら男は小刀を柄から抜き、背中にぴたりと突き立てる。全身の痛みを忘れるような緊張感だ。
「何が目的だ」
「いろいろ事情がありまして。お金が欲しいんですよね。娘の命が惜しければ!ってやつですね。…けど」
男は話していると口からにちゃっという音を立てる。不愉快な男だ。
「久しぶりに女の子と出会えたんでねェ」
「おいおい…年端も行かない娘だぞ…この外道が」
背中に痛烈な熱のような感覚が一点からじわじわと広がる。生暖かい液体が背中に広がっていき、今にも気を失いそうになる。
「ぐぅ…っ」
「お…とうさま…?」
「おや、目覚めました?」
男のさらに後ろから冷夏の声が聞こえる。ソファの後ろにいたのか…!即座に男は私の口にタオルのようなものを詰め込む。逃げろと叫びたいのだが…!
「今ね、おじさんお父様と少しお話してるから邪魔しないでね」
「そうなの…?ここは…どこ?こほっ」
ああ、こんなホコリ臭いところに居たら冷夏が…!
私の手を握り、背中の血濡れた部分へ指をぐりぐりと押し当てる。
「さ、お父様。この書類にその指で押し印をどうぞ…」
本当に腹の立つ輩だ。耳元でその汚い音と吐息を飛ばして来るな。
「ここに判を押していただければ、あなた方の命だけは保証します」
「おとうさま…?返事してよ…怖いから」
どうか、家に残っているメイドが異変に気付いてくれれば…!いや、今日は皆非番だな…。今井ちゃんだけか。
「よし、契約完了ですね。じゃあここで眠っててください」
「⁉」
白い布で口と鼻を覆われ、これは吸い込んではいけないものが含まれていることを察する。これを吸い込んでしまえば死に至らずとも気を失うくらいの効力はあるだろう。
冷夏に異常を知らせるため音が出るように抵抗するが、私より縦にも横にも二回りほど大きい男に対抗することはできない。大人が年の離れた子供と戯れるような、そんな戦力差がある。
くそっ…くそ! 目が見えない冷夏は一人じゃ逃げられない!
首を絞められ声を出そうにも出せない。今となっては声を出して少しでも逃げてほしいが、もうどうしようもない。
どうしようも…。
呼吸ができず、出血過多に全身打撲に骨折。もう打つ手なしだ。ああ、冷夏…暗闇の中慰みものにされたらお前は…!
「ねぇおじさん。その手を離して」
その声に反応して男の手が緩まる。
「知ってるよ。おじさんがしてること。いいよ、こっちに来て」
「ハァッ…ハァッ…冷夏!」
男の手がのどと口元から離れてなんとか呼吸をすることができた。手と膝を地につき、疲弊した身体ではもう動けない。
男は鼻息を荒くしながら元居たソファのもとに近づいていく。コツコツというアスファルトに革靴の靴底がぶつかる音が絶望へのカウントダウンだ。姿は視認できないが冷夏はあのソファの後ろにいるんだ…!
「冷夏ァ!逃げろ‼」
「するなら早くしようよおじさん」
「ずいぶん乗り気な娘さんだこと。それじゃあお楽しみ会と行きましょうか。保護者さん同伴で…」
なんて優しい子なんだ…私の身を案じて自分を犠牲に。
男がソファに近づいていく。それを止めたくて手を伸ばすが、当然奴の背に触れられることもなく、ただ無力感だけが満ちていく。
「その汚い手で触るなぁァア‼」
男がこちらを見て侮辱するように気味の悪い笑顔を浮かべながらソファの後ろに手を伸ばす。
「ギャーギャーうるさいんだよクソオヤジッ!」
ソファの背から足が男の顎を目掛けて飛び出し、蹴り飛ばした。
突然のことに防御できるわけもなく、よろけて地面に膝をつく。
そして崩れ落ちた大男の前に不敵な偽りの笑みを浮かべた、場に不釣り合いなピエロが両手を上に向けて掲げ、高らかに…。
「レディースエーンジェントルマン!ボーイズアンドガールズ! ようこそおいで下さいました! …おいでしたのはアテクシ?」