回顧
今日は顔合わせということだったので一旦は別れる。明日からは本格的に彼女を楽しあせなくてはならない。
策はない。けど今日の作戦は成功だ。
ほんの少しでいい。ほんの少しでいいから打ち解ける。その点においては成功だ。
ジッポを開いたときのこのキュポンッという音が好きだ。ジリジリとタバコの葉が燃える音が好きだ。ハイライトのラム酒の風味が好きだ。
笑えない日々が続くけれどこういう好きを楽しめる感受性だけは忘れずにいたいものだ。
目とは人間が得る情報の八割ほどを占めているらしい。しかし、二割でも楽しめることもあるんだ。
「って…これは八割を持ってるからの思考なのかな」
ま、それはそれとして腹かかえて転げまわるくらいの爆笑をさせてやる。
タバコを吸い終わり、歯を磨いて床につこう。明日は速いから早く眠らなくては。
「やめて!」
「離せ!こいつにゃしつけが足りてなかろうが‼」
「あぁっ!」
親父の重い拳が俺の顔の正面に直撃する。衝撃で体は吹き飛ばされ、壁にぶつかる。六畳一間のボロッちい我が家にその衝撃は伝わりやすく、吊り下がった電灯は揺れ、棚から皿が落ちる。
親父のことを止められず俺に覆いかぶさり守りながら泣き叫ぶ母の表情を見て、ただごめんねと、謝りたくなったのだ。
「いつも言ってるだろ?うちじゃ笑顔と涙は禁止だって‼」
「ごめんなさい父さんもう泣きません。だからやめてください…!」
俺には母だけが救いだった。亭主関白の糞親父はたまに帰ってきては俺達の二人きりの楽園を壊していく。
あんなろくでもない男と結婚した女だ。ろくでもない女なんだろう。それでも、俺にとっては救いだった。
そして、いつも見るこの夢の…いつもここで目を覚ます。
酒に酔った糞親父が胸から取り出した拳銃で、俺の救いの脳漿を小さな壁一面にぶちまけたところで。その日から俺は、もう何も感じたくなくなったのだ。
「おっはよーござーいマーース!」
「うっさいわねー。こういう男どう思う?今井」
「えっああ明るいですよね素敵です!」
今井さん天然でさぁね。
今日は冷夏お嬢様のご自宅へお招きされた。日本にこんな土地あんの?っていうくらい広い敷地で、門をくぐって玄関にたどり着くまで数分かかった。どうやら一つの山が西ノ宮家の私有地らしい。
それはもう漫画でしか見たことのないような豪邸で、玄関のスペースだけで実家のリビングより広い。
ちなみに冷夏お嬢様のお父さんはご不在のようで、今井さんからの伝言によると『娘に手を出したら殺す』とのことだった。そんなことしやせんよ。
家の中も洋式の綺麗な内装で、それはもう海外旅行に行ったときに泊まるお高めのホテルみたいだった。
県立の図書館にありそうなでかい螺旋階段を登った先に冷夏お嬢様の部屋があり、部屋の前でお二人は待っていた。
オシャレな机やコーヒーメーカーを用意してコーヒーを嗜みながら。
「俺も頂いても?」
「だめよ。タバコ吸ってるあなたは口臭うんちになるわよ」
「ブレスケア食べますから」
「とりあえずお二人とも中に入りましょうよ」
確かに。
俺が立ち上がろうとすると今井さんが胸にかけてあるホイッスルを手に取り音を鳴らす。すると廊下にまっすぐに並んだ二桁近くある部屋のドアが一斉に開き、メイドさんが全力疾走で一斉に集まってくる。
「アテクシをどうしようッてぇのよ!冥途の土産にあんたら持っていきゃぁすわよ!」
「あら、こんな真っ黒な者たちでいいの?明度が足りなくって?」
迷度が高い会話だなぁ! ていうかメイドさんたちの格好は知っているのか。最初から目が見えなかったわけではないのかな。
突然のことに混乱していると、十数人がかりで座っている俺やお嬢様、テーブルなどを抱えお嬢様の部屋の中に連れていかれる。
「い、今井さん?こんなのもメイドの業務に含まれているんですか?」
「いえ、専属のメイドです」
「専属⁉移動専属⁉」
うん。この家俺より面白いって。
玉乗りに失敗しそうな感じで揺れ動く椅子から転げ落ちまいとする俺とは相反して、お嬢様はコーヒーをたしなんでいる。なんか力が及ばん!
部屋に入りメイドさんたちはセッティングが終わるとすぐに帰っていった。
さっきまでの騒がしさはどこへやら、女の子らしい装飾の広い部屋にシンとした空気が流れる。
「搬入出のバイトでもあそこまでの勢いはなかったですよ…」
なんかどっと疲れた。
「中の人が出てきているわよジョー」
「やっべ。んんっ!あーあーあー!゛ん゛んっん! ………。」
「「…………」」
「「「………………」」」
「ハァイ女ゥ児ィ…!」
「笛いっとく?」
「冥途につれてかれるんすか俺」
「中の人出てきてるわよジョー。でもそっちの方がうざったくなくていいわ」
なんて冷酷なお嬢様だこと! そんで今井さん?笛を咥えながら真顔でこちらを見つめるのはやめてくれません?
「今井、窓開けて。空気が悪いもの」
「承知いたしました」
かなり大きい華美なカーテンを開くと重厚感のあるガラス窓がある。俺の家のドアくらいの大きさはあり、格差に涙がこぼれそうになる。
あ、ならんか。
ギギ…と音を立てながら窓を開けると、部屋中の生ぬるい風と入れ替わるように新鮮で涼しい風が入って来る。一年で数日しか訪れないと俺の中でもっぱらのうわさの過ごしやすすぎる日のうちの一つが今日だ。
「ちなみにこの部屋は禁煙よ。吸ったら笛ね」
「分かりやした。生きづらい世の中ですねぇ」
「あら、あなたの味蕾を心配してのことよ」
うそこけ。
「それでジョー。この目の見えない私をどう楽しませてくれるの?」
ピエロの腕の見せ所でさぁね!
足組んで見えないくせに見下しているようなその座り方を、ドリフのオチみたいにひっくり返らせてやる。
「本日は五感の一つ、聴覚で楽しませようと思います」
「何やら秘策があるようね。目を見張らせてみなさい」
喉をオホンと鳴らし、テンポを置いて話し出す。
「今から『あおいち』の話をします」
「青い血…?何だか怖そうですね」
今井さんは引きつった表情ですぐさま冷夏お嬢様の隣に行きひっついた。
心に稲川淳二を宿し、雰囲気を作る。
「これはある幸せだった家族のお話です」