生きてていいことなんてないけれど
『あん・はっぴぃえんど』
深夜二時。俺の一日が終わる。部屋着に着替えてメイクを落とす。こうして俺は何者でもなくなった。
スマホだけを持って夜道へと繰り出すのだ。
好きな曲を聞いて月光に照らされながらコンビニへと向かう。俺のこり固まった表情筋のせいで笑顔にはならないが、胸はちょっぴり躍る。
深夜に真顔でスキップしながら進む百九十センチ近い大男。はたから見たらかなり奇妙だ。
耳障りな虫の羽音は減ってきて、美しい鈴虫の音色が聞こえ秋の始まりを感じる夜。はたから見たら滑稽かもしれないがこのシチュエーションで夜風を切って進むのは心地が良いものだ。
「ありがとうござぁしたー」
なじみのある店員の挨拶とコンビニ特有の入店音を聞きながら退店する。入店音の違和感にいつまでも慣れないのは俺だけなのかな。
ていうかあのおっさんいつもいるけど挨拶適当だな。
「ここは…ちゃんとあるね」
喫煙所がないコンビニも多いのが都会の難点だ。家の近くのコンビニはどこもあって助かっている。
レジ袋の中から先ほど買ったタバコを取り出し封を切る。片側の銀紙をめくりもう片方を指でトントンと押してやる。そうするとかわいこちゃんたちが中から飛び出して来るのだ。
胸ポケットにしまっていたジッポライターを取り出して、タバコを吸いながら火をつける。
「…フゥ」
わずかに開いた口からため息まじりの白煙が店のライトに照らされながら消えていく。缶コーヒーを飲みながらまったりとした時間を過ごすと、ふと考え事をしてしまう。
今月の支払いはいけるけどこのペースだと貯金がなぁ…。
スマホ代も電気代も卵もタバコも高すぎるんだよなぁ…。
いかんいかん、そんなこと考えながら吸ってもおいしくない。
さてと、タバコも吸い終わったし家に帰ろう。
食事を終え諸々を済ませ床につくと四時を回っている。朝一番の仕事はここ最近ないから許される生活リズム、フリーランスの特権だ。
「ねぇ、ここはどこなの」
「海岸沿いの公園です」
「そんなの聞けばわかるわよ。そうじゃなくって、なんでこんなところに連れてきたのってことを含めて聞いているの」
きっと、美しい海の冷たい潮風が頬を撫でているのだろう。きっと、胸が躍るべきなのだろう。きっと楽しいことが待っているのだろう。
私にはそれを受け止めるだけのユーモアと器が足りていない。
「きっと楽しいことが起こりますよ。思い出に残るような」
「あなたの…でしょ」
一人になりたいときって、あるじゃない。でもそれが許されない。だって歩けもしないんだから。外に出ることを拒否してもいいけど、拒否することも疲れた。
私の車いすを押してくれる使い人はきっと本当に善意で連れてきてくれた。けれど、楽しくったって死ぬってわかっていたら、ステーキにはちみつかけるようなもんでしょ。
辛い感情に楽しいを合わせて出されても、舌が合わないの。
そう、私は目が見えない。
今私はどんな服を着ているかわからない。サングラスはかけているし、ワンピースを着ているのは分かるけど、どんな柄なのかも色なのかも、わからない。
視覚は人の九割を占める情報源。それを奪われて何を楽しめばいいのだろう。
けど…海は好き。なんとなく、波の音が心地いい。憂鬱で仕方ないけれど、気分が良いのがちょっと悔しい。
そう考えてしまうほどひねくれてしまったんだな…。
「レディスエンメイドさーん!ようこそおいで下さいましたぁ! アテクシ、ピエロでぇーっす!」
…………なんかうるさいのが来たわね。
晴れ渡る空に青い海。ちょっと寒いけれど気分が良いね。こんな日にこんなところで仕事ができる喜びよ!
おっと、あのでかい傘みたいな木の屋根の下のベンチに座っている二人が今回の依頼主かな?
さて、フリーランスのピエロは顧客を失わないために全力で陽気にふるまいますよ!
「レディスエンメイドさーん!ようこそおいで下さいましたぁ! アテクシ、ピエロでぇーっす!」
「うるさい」
「お嬢様⁉」
流石に素ですっ転んだ。リアクション用に転んだあとの受け身を練習しておいて助かった。
依頼してくれる方って基本楽しみにしている方が多いから予想外だったな。
「ちょーっとお嬢さん!そんな言い方されるとアテクシ、悲しくて泣いちゃうわ…あらいけないっ!メイクが落ちちゃう!」
「そっちの方が面白いんじゃない」
こいつっ!
「えーと、大変な無礼を申し訳ございません。私はこちらの方に仕える今井です」
ザ・メイド服みたいな恰好をしている今井さん。格好とは真逆の顔は日本美人といった感じで奇抜な格好なのに落ち着きがある。コスプレをするとどうしても服に着られている感じ?があることが多いが、今井さんは全くそんなことはない。
「そしてこちらが今回担当していただくお方…西ノ宮 冷夏と申します」
「様を付けなさいよ」
小生意気なしゃべり口とは縁遠い、冬の知らせを告げる雪のような透き通る白髪に大人っぽい顔立ち。体つきは少女と大人の中間と言った感じだが。アンバランスに見えるが、そこが強烈な個性となっている。
「どうも今井さんに西ノ宮お嬢様。アテクシはフリーでピエロをやらせていただいているものです。お気軽に『ジョーク』と呼んでいただければと」
俺は普段雇われピエロとして働いている。誕生日会や結婚式といろんなイベントの盛り上げ役として出向くことが多いのだが…今回は珍しいパターンだ。
今井さんが依頼をくださった。盲目のお嬢様を楽しませてほしい。期限は一か月で、必要ならば報奨金は弾むが、現時点で百万円は頂けると…。
勿論、楽しませられればだが。
「さて、自己紹介も終えましたし何か一つ余興でも…」
「興味ないわ」
俺のメイク作り笑いがなかったら空気終わってるぞ。
口元にペイントしてある黒色の笑った口がなんとか場の空気を和ませている…んじゃないかな。
ちなみにこのペイントをしていれば目じりを下げるだけで笑顔を作れるので日々うざいやつに悩まされるあなたにもオススメだ。
「んままぁまぁまぁそうおっしゃらずに!せっかく仕込んだタネがこのままだと芽を出し花を咲かせてしまいます!」
「だって私見れないもの」
「ええ、ですのでこのバイノーラルヘッドフォンをお持ちしたのですが…」
大げさな身振り手振りでヘッドフォンを腰に付けている小道具入れから取り出す。今井さんは少し笑ってくれた。お嬢さんは…。
「よかったわ。私そういうものに目がないの」
ブラックジョークすぎるよ盲目自虐は。
「お嬢さんユーモアに富んでいますね。どこで習ったんですか?」
「皮肉を言い続けているだけ。そうすればすぐにうまくなるわ」
「メモメモ…」
お嬢さんの手を拝借し手のひらに指でメモを取るふりをする。
「ツッコミどころが多すぎて対処しきれないわ。今井、ツッコんで」
「え、ええと…んんと…ピエロなのに生真面目かーい!」
俺いらないんじゃない楽しそうだよ。
「さてと、ジョーク。あなたは私を楽しませてくれるって約束だけど…。きっとそれはできないわよ」
む。大きく出ましたね。
「だってあなた」
彼女は車いすからスッと立ち上がり、こちらに倒れてくる。その勢いで彼女のサングラスは地面に落ち車いすは横転した。
彼女を慌てて抱きかかえると、俺の顔全体に触れてこう言った。
「あなた、笑ってないじゃない」
「お嬢様、危ないですよ!」
今井さんが駆け寄り彼女の体を支える。
サングラス越しじゃわかりにくかったが、まつげも白く綺麗な二重に、その閉じたまぶたが開いた時を想像してしまう。
整端な顔立ちだなと思った。
「アテクシが笑っていない⁉ そんなはずは…」
俺はスマホを取り出しあらかじめ用意しておいたコール音を流す。
「頼むぅ出てくれッ…あっもしもし!アーシのメイクがおかしいらしいんだけどぉ!」
「今そういうの良いの」
「はい」
俺が笑っていない。事実だ。あの日から俺は表情を、そして感情を失った。
だから俺はピエロをやる。面白いを、笑顔を皆に伝えるため。俺が笑えない分、感情を出せない分、皆に笑っていてほしい。
「奇遇ね。私も生まれてこのかた笑ってないの」
「えい」
「あははははは!やっやめっくすぐるのやめっ殺すぞー‼」
なんだ笑えるじゃん。よかった笑えないと辛いからね。
「ほぶぅ!」
「不敬者がァアア!」
「お嬢様⁉」
西ノ宮お嬢様は俺の顔面にグーパンチを入れてきた。不意に殴られたことでよろめき地に尻をついた。俺が抱えていたものだからお嬢様もよろけて倒れこむ。
彼女は手で状況を探りながらふらふらしながらもマウントポジションをとり、もう一発ビンタをかましてきた。
「あんたなんかに私を笑顔にできるわけない!私も本当の笑顔を知らない!あなたの笑顔も本当じゃない!あんたなんかに!」
彼女は感情を乗せながら何度も何度も拳を振り下ろす。
そうだ。俺はもう殆ど感情を覚えていない。ほんの少しの感覚は残っている。例えば夜風が心地いいとか、良い女を見た時の高揚は。けどそれで笑えないし悲しめないし悔しがれない。
「分からないから早く死んでしまえば!」
でも死んだ方が良いなんて、考えたこともなかったなぁ。
鼻から垂れてくる鉄臭い液体をスーツの真っ白な袖で拭い、もう片方の手でお嬢様の頬に触れる。
「あなたは私に憤慨している。見えなくたって苛立てるんだ。だったら私で笑わせてみせる。生きてていいことなんてないけれど、死んでいいことなんてないでしょう!」
「…ッ!」
振り下ろされる拳は止まり、その震えた拳で俺の胸ぐらをつかむ。
俺の額に涙が触れた。
「なんであんたはそんなお気楽なのよ!なんであんたは笑っていないのに楽しそうにしてるのよ!その偽物面がむかつくし羨ましいし…!」
彼女の瞳をはじめて見た。本来真っ黒なはずの瞳孔は真っ白で、奇異な瞳孔は大粒の涙に揺れている。不謹慎だが美しいなと思った。
「お気楽に見えるならピエロ冥利に尽きます」
「どうかしてるわ…」
「道化師ですから」
「さむ」
ポケットからハンカチを取り出す。
「目、閉じてください」
「ん」
目尻からこぼれる涙を拭きとる。
「ほら鼻もかみましょう」
「汚いわよ」
「いいですよ」
彼女は少々恥じらいながら、それはもう恥じらっていたのか疑うレベルの爆音で鼻をかんだ。
「このハンカチ良い匂いする。頂戴」
「きったねぇですわお嬢様!新しいの差し上げやしてよ」
彼女にハンカチを手渡す。白黒ツートンのハンカチはそれはもう彼女には不釣り合いだ。
「…早く車いすまで連れてってくれる?ジョー」
「…分かりました。お嬢様」
上体を起こし片手で彼女を支えもう片方の手で地面に触れ体重をかけて立ち上がる。
「華奢に見える割に意外と重いですねお嬢様」
「不敬者がァアアア‼」
「ほぶぅ!」
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