(9)
朝日が昇る前に二人は洞窟を出発した。
ガットバッチまではあと、半日で着くだろう。
「大佐、見えましたよ!」
太陽が東から昇り、西に沈んだころ。
目の前をスカイ・バイクで走るフルーヴが声を上げ、オースティンは目を細めながら前を見る。
まるでドワーフが作った家のような、丸太を組み合わせてできた町が、ガットバッチだった。
コロコロとした可愛らしいデザインの家が並んでいる。
街の入り口には温かみのある看板で、『ガットバッチはこちら』と書かれていた。
そこに、不安そうな顔でウロウロしているイゾラを見つけ、オースティンは大きく手を振った。
「あぁ、よかった~、無事だったのですね」
バイクを降りて彼女と再会すると、イゾラは大げさにホッと胸を撫で下ろしていた。
「心配をかけてすまない。みんなは?」
「はい。登山口近くの宿に身を隠しています~」
イゾラの格好を見ると、彼女もマントを羽織り、一見すると旅人のようであった。
おそらく他の面々も似たような恰好をしてくれているだろう。
「すぐに行こう。この町に革命軍は?」
「そのお話も、宿でお話します。わたしが案内します」
そう言って、イゾラがオースティンの乗っていたスカイ・バイクに跨った。
仕方がないので、彼女の後ろにオースティンが乗り、フルーヴはそのあとに続いた。
バイクを走らせて数分。
『ライヒベルグ登山道』と書かれた看板が見えてくると、イゾラはハンドルを右に切った。
そこには家々の中に埋もれるようにして建つ小さな宿があり、イゾラはバイクを宿の影に隠すと裏口から入っていった。
彼女についてくほかはなく、フルーヴとオースティンもそれに倣った。
「ここは?」
「のちほど説明します~。とりあえず、マントはお預かりしますね」
イゾラにそう言われて、ようやくマントを脱ぐことができた。
マントの下から現れた軍服に、イゾラはホッとしたようだった。
裏口から廊下を進み、スタッフが使用する階段を上って二階のリビングに向かうと、そこでシュロシアンとアゼリーが何かを話しているのが見えた。
宿だと言う割に、シュロシアンとアゼリー以外誰もおらず、こちらの姿を見ると二人も大げさに驚き喜んで見せた。
「あぁよかった! お二人とも! このシュロシアン・フォン・ヴィルデローゼン! あまりにも、えぇ、あまりにも酷い戦場でしたものですから! お二人に何かあったのではないかと、本当に心配しておりました!」
仰々しく手を合わせたシュロシアンに連れられて、二人はみなが囲んでいたテーブルに座らされる。
「あまり、いいものは用意できないのですが……」
と、アゼリーが言いながら、温かい茶と菓子を目の前に置かれた。
「まずは、報告ですね」
「あぁ、頼む」
「革命軍は、隊長であるハング・フォン・グローセンが戦線を離脱した時点で、撤退。こちらへの被害は最小限で済みました」
本当に、狙いはオースティンただ一人だったようだ。
頭が痛い。
「その後の革命軍ですが、こちらの動きを機敏に察知しているようで、このガットバッチにも数名偵察隊として市民に紛れ込んでいます」
「ただ、相手は帝国人であれば誰でもいいみたいな様子で、あちこちで喧嘩ばかりしているんですよ~」
「あぁ、まったく度し難い! こちらは向こうに何もしていないというのに! なぜ、帝国人というだけで狙われてしまうのでしょう! あぁ、まったく! まったく言葉になりませんよ!」
「ここの宿はどうしたんだ?」
店主らしき人物は見当たらない。
勝手に入ってよかったのかどうかも分からない。
オースティンの疑問に、イゾラが答えてくれた。
「実は、ここの店主とわたしが幼馴染で~。事情を話したら貸してくれたんです~」
「その通り!」
突然、一階から第三者の声が上がった。
階段の方を見ると、一人の男が立っているのが見えた。
えんじ色の髪に、整った顔立ち。大きな瞳はカキツバタ色をしていて、自信たっぷりなどや顔が少し鼻についた。
「はぁ、イゾラが血相変えて来たから何事かと思ったが……まさか帝国軍のやつらを匿うことになるなんてな。おかげでこっちは商売あがったりだ」
「そんなこと言わないで~、リーベス。本当に感謝しているのよ~」
イゾラが困ったように手を合わせるが、男……リーベスは不機嫌を隠しもしなかった。
「オレの名前は、リーベス・ツー・ヴィッセン。聖域ライヒベルグの管理も任されている集団、ミッテレギオンのトップを張っている」
「なんだって?」
まさか、こんなところでそんな大物に出会えるとは。
驚いて彼を見るが、ひらひらと手を振られてしまった。
「お前らが何を目指しているのか、イゾラから聞いたよ。聖杯が必要なんだって?」
「そうだ」
クララのために必要なんだ、と添えたが、リーベスは微妙な距離を保ったまま大きく溜め息をついた。
「悪いが、聖杯をここから持ち出すことはできない」
「そう、なのか……?」
「あぁ」
「っつーか、聖杯なんて本当に実在するのか? ここまで大佐を追いかけて来たはいいが、オレはまだ信じがたいぜ」
フルーヴがでかい態度で椅子に座り直すと、リーベスはまた溜め息をついた。
リーベスの説明では、こうであった。
「聖杯は、実在する。この聖域ライヒベルグの神殿に祀られているんだ。だが、あの聖杯はこの聖域を護るバリアを張るためにも用いられているから、ここから出すことはできない。聖杯を外に出してしまったが最後、聖域は崩れ去ってしまうだろう」
「そんな……」
「聖杯に注がれた水を飲めば、なんでも願いが叶う。どんな呪いも病気も治してしまう。それだけの物だからこそ、慎重に扱う必要がある。まぁ、汲む水はなんでもいいだがな。海水だろうが、泥水だろうが、水道水だろうが。聖杯は全てを浄化させる」
と、リーベスは続けた。
「おい、皇子様よ。そのクララって人をここに連れてくることはできるか?」
「……分からない」
皇子と呼ぶ割に横柄な態度だが、オースティンはゆるく首を横に振った。
「聖杯を使いたいのなら、その人をここに連れて来い。それが条件だ。まっ、あの奸悪皇帝が溺愛する妻を外に出すとは思えないがな」
皆が、目を見合わせた。
奸悪だなんて、なんという言い草だろう。
自分たちの知る皇帝とは、まったく違う。
オースティンが言い返そうとしたところで、リーベスが今度は何やら気になることを言い出した。
「お前らが何を考えてんのか知らねぇがな、こっちじゃあの皇帝は信用に値しないっていうのが共通認識だ」
苛立ったように、リーベスは腕を組んで舌打ちをする。
「何度も聖域に入りたがり、世界中の聖遺物を買い漁ろうと画策していた。まぁ、どこもどれだけ金を積まれようと断っていたみたいだが」
「聖遺物……?」
「そうだ。聖杯、聖槍、聖剣、湖の騎士の剣、魔術師の杖……これらをまとめて聖遺物と言う。どれもこれも、この世界を安定させるために必要なものばかりだ。そんなものを、世界の平定を生贄にしてまで欲しがるなんて、奸悪以外になんて言えばいい?」
「……」
まさか、あの兄がそんなことをしていただなんて。
想像がつかない。
「本当なら、ここの聖杯だって使わせたくない。そこの皇子様の方はともかく、皇帝の手に聖杯が一時でも渡るわけだからな。はぁ、まったく、面倒なことを引き受けちまったぜ、ほんと……」
それならば、ここに来た意味はあるのだろうか。
そんな不安がオースティン以外からにじみ出ている。
オースティンはグッと拳を作ると、一つ深呼吸をした。
「他に、何か方法はないか?」
「その女にどんな呪いがかけられているのかは知らないが、聖杯を使う以外はどうしようもないだろ? なら、こっちに連れて来い。お前たちが優位だなんて考えるなよ。聖杯がある以上、オレたちのルールに従ってもらう」
オースティンは、ジッと黙った。
「……兄さんに、連絡をしてみる」
「大佐」
「聖域を崩すわけにはいかない」
オースティンたちが満足に魔法を使えているのは、聖域が聖域として存在しているからだった。
学校の歴史の授業でぼんやり聞いていた内容が頭をよぎり、オースティンはもう一度リーベスを見た。
「クララ様をここに連れてくれば、聖杯は使わせてくれるんだな?」
「あぁ。もちろんだ」
「わかった」
オースティンは、携帯端末を取り出して兄の電話番号を呼び出す。
宿の窓に貼りついていたトカゲが、小さな羽根を生やしてどこかに飛んでいくのに、誰も気づけなかった。
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