(5)
空高く、普段は真っ白な雲と清涼な水色に塗られた天は今、禍々しいほどの黒に染まっている。
その空をジッと睨め上げながら、オースティンは背の高い草むらの中に押し込められていた。
身じろぎしようにも、ほぼ真上からフルーヴの筋肉質な身体に押さえつけられているせいで動けない。
「……なぁ、アプフェルゴット少佐……」
「しっ、静かに」
先ほどから、ずっとこの調子である。
遠くの空でドラゴンの咆哮が聞こえる度に、上からの重さが増してしまって、オースティンは小さく唸るばかりだった。
どうにか視線を巡らせて真上の白頭を見やる。フルーヴの真っ赤な瞳がギョロギョロと周囲を警戒していて、オースティンは黙って従うほかなかった。
こういう状況で上下関係を持ち出すほど落ちぶれてはいないが、いい加減地面と身体の間に挟んでしまった柄頭がオースティンの脇腹の妙な位置に食い込んでいて痛い。
周囲の草は通常よりも青臭さが強く、地面もしっとり湿っていて不快でしかない。
軍人なのでこんな場所に這っている事への耐性はあるが、それはそれとしてオースティンは喉の奥でまた小さく唸った。
「なぁ、そろそろ……」
「しっ!」
「へぶっ」
途端、地面に顔面を押しつけられる。
声を上げる間もなく、すぐ近くにドンドンという重たい何かを叩きつけるような音が聞こえてきた。
音の出どころへ視線をどうにか投げると、草の隙間からドラゴンの巨大な脚が見えた。
鋭く太い爪に、大きな青色の鱗がびっしり貼りついた肌。
先ほど戦ったドラゴンとは違う種だ。
二足歩行はあまり得意でないようで、二歩歩いて四つ足になり、また立ち上がって二歩歩くというような有様だった。
グローセン本人の気配はない。
だがドラゴンからは微量ながらグローセンの魔力を感じた。
常に鼻をひくつかせていて、これが魔力探知特化のドラゴンであると理解する。
後方を振り返ったドラゴンの長いしっぽには、無駄に可愛らしいピンクのリボンが巻いてあった。
「まずいぞ……探知型だ」
「えぇ、そのようです。ですが、下手に動くより、ここの草の下にいた方がいい」
「それは、どういう意味だ?」
確かに、今隠れているこの茂みの草は背が高く、二人の身体をすっぽりと隠してくれていて、下手に動くよりは安全だろう。
ノシノシとこちらに歩いてくるドラゴンは、微量な魔力を嗅ぎ分けているようで、鼻をヒクヒクさせながらこちらにまっすぐ向かってきていた。
背の高い草で身体が隠れているとはいえ、いつ見つかるか冷や冷やする。
ドラゴンの行動を冷静に見ていたフルーヴは、そっとオースティンに耳打ちした。
「ここら一帯に生えている草は、匂い消しによく使われる草でしてね。子供なんかは、『鼻曲がり草』なんて言っているんですけど。ここに隠れてさえいれば、探知魔法に引っかからない優れものなんです。ああいう探知型魔法生物にも、微量な魔力であれば気づかれませんよ」
「なるほど……」
こういった日常に潜む知恵を、オースティンは持ち合わせていない。
平民生まれのフルーヴの方がよっぽど物知りで、オースティンは彼がそういうならと努めて口を閉じた。
ドラゴンの足が近づく度に、心臓がバクバク跳ねる。ズンと地面が揺れる度に装備の金属部分が鳴らないか心配になる。
キュオオオオン……
キュオオオオン……
唐突に、ドラゴンが高く鳴いた。
遠吠えか、独り言か。
ドラゴン種語の成績は悪い方だったせいで、ドラゴンがなんと鳴いたかオースティンには分からない。
フルーヴは理解しているのか、小さな舌打ちが頭上から聞こえた。
「あのドラゴン、飼い主を呼んでいます」
「え?」
「ここ一帯が怪しいと理解したようです。まずいな……あのクソ野郎が来る前に、どうにかしないと」
そうは言っても、動くにも魔法を使用するにも難しい。
何かないか、と周囲に視線を走らせると、木の上でドラゴンに驚いて身が竦んでいる様子のリスを見つけた。
「なぁ、アプフェルゴット少佐。この鼻曲がり草は、探知魔法に引っかからないんだったな」
「えぇ、そうです。……何をするつもりですか。いま移動魔法なんて使ったら、移動場所でバレちまいますよ」
「移動魔法は使わない。俺たちは移動せず、あいつがどこかに行けばいい」
フルーヴに手を頭上からどけさせ、そっと近くの石を手繰り寄せた。
フルーヴが真横で匍匐姿勢を取ったのを見てから、オースティンは慎重に魔力操作を開始した。
「《魂遊び》」
ドラゴンの耳に聞こえないよう、囁くように呪文を口にする。
オースティンの手に握られた石がうっすらと魔力をまとった。そっと手のひらを開くと、石はふわりと浮く。
二人の目の高さまで浮いた石は、草をかき分けリスの方へまっすぐと向かっていった。
ギュルァ?
その石にドラゴンも即座に気づいた。
浮いた石を目で追い、その視線がリスに向いた。
ドラゴンに睨まれたかわいそうなリスは一瞬固まったものの、さっと踵を返して木の上へ上って行った。
ギュオオオンッ!!!!!!
ドラゴンが咆哮する。
なにがそんなに嬉しいのか、地団駄を踏みながら嬉しそうに咆哮した。
背中に申し訳程度についた小さな翼を広げながら、先ほど聞いた「キュオン」という甲高い鳴き声も発しながら四つ足で走り出す。
木の根元までドダドダと滑稽に走り出したドラゴンは、今度は木によじ登ろうと必死に藻掻いていた。
鋭い爪が地面を抉り、木肌を剥ぐ。
木登りも苦手のようで、太い枝の隅で縮こまっているリスにはほとんど手が届いていなかった。
なんとも、滑稽である。
あのドラゴンは、少し頭の方はよろしくないようだ。
ドラゴンは既に二人が隠れている場所への興味を無くしており、オースティンは小さくガッツポーズした。
「よし、うまくいった」
「あとは、あのリスの行動次第ですけど、どうするんですか」
「大丈夫だ。あとは石が勝手に追いやってくれる」
オースティンの言葉通り、リスの背中にくっついた小石は、ドラゴンを察知してふわりとリスから離れた。
木の上へ行こうとするリスの前方に回り込み、石を敵だと認知したリスは二勢力のいない方向へと走る。
そうして走っていった先に枝はなく仕方なくリスは地面に飛び降りると、そのままオースティンたちのいる草場とは反対方向へ走っていった。
石もリスを追いかけ、それにドラゴンもついていく。
ドラゴンが走る度に、ピンクのリボンが揺れているのがあまりにもこの光景に不釣り合いだった。
ドスンドスンと地面を揺らしながら去っていくドラゴンの背中を見ながら、二人は大きく安堵の息を吐いた。
「そろそろ、大丈夫ですかね」
「あぁ。ドラゴンも遠くへ行ったな」
「立てますか?」
「……まぁ、一応」
誰のせいで、とは言わず、さっさと立ち上がったフルーヴの手を取ってオースティンも草の陰から立ち上がった。
周囲を見渡し、深く息を吐く。草の青臭い臭いが肺を満たしたが、ドラゴンに睨まれるよりははるかにマシだった。
空に飛ぶドラゴンの影から隠れながら、一歩一歩確実に進む。
会話をする気にはなれない。
元々オースティンは社交的な方ではない。
仕事と割り切れば問題ないが、今の状況は仕事と呼ぶにはどうも物足りなく。
また、こうして追われている状況では会話をしようとも思えなかったが、オースティンはそっと口を開いた。
「アプフェルゴット少佐。先ほどは、助けてくれてありがとう。だが、俺は兵士たちを呼ぶよう言ったはずだが、なぜひとりで来たんだ?」
「ええ、そのつもりだったんですがね。結界の張り直しを優先させました」
フルーヴの返事に、重ねて、なぜ、と聞く。
オースティンの問いに、フルーヴは慎重に森の中を歩きながらツラツラと言葉を繋げた。
「どうせあのガキはラヴィーユ大佐しか見ていません。向こうには他に優秀そうな魔法兵士がいなかったので、追うのは小官ひとりで良いと判断しました」
「なるほど」
結界の張り直しは、イチから張る時よりも魔法が少々複雑で、フルーヴの判断も納得できた。
「それで、あのあとマロニエ少佐たちには会えたか?」
「ええ。彼女には、全員を連れてガットバッチにいるよう伝えました。そこで落ち合いましょう」
「わかった」
「ここからガットバッチに行くには、最短だと崖越えしかありませんが、どうします?」
「崖越えはあまり現実的ではないが……」
ヴェステラード帝国は山に囲まれ、その山はほとんどが切り立った崖のようになっている。
敵に攻め込まれにくく、味方は逃げられないというなんとも面倒な場所なのである。
深い森と、山、切り立った崖。
ヴェステラード帝国がこうして長年世界を統治できたのは、この難攻不落の地にあった。
「なら、このまま森を抜けていくしかありませんね」
現在、アプフェルゴットとオースティンは、帝国領の森の端にいる。
携帯端末で地図アプリを表示させると、ガットバッチまではだいぶ遠い場所にいるようだった。
「ガットバッチに着けば、こんな鬱々とした空気からは、おさらばですよ」
「そうだな」
これから向かうガットバッチは、この地域では珍しく気候安定の魔法が敷かれており、避暑地としても人気の町だ。
そこに向かうには電気で動くスカイ・バイクか、巡行バスの移動が一番良いのだが、それらを使うのは現実的ではない。
運良く巡回バスで北の国境関門まで向かえたとして、そこには革命軍が張り込んでいるのだろうし、ヴェステラードまでスカイ・バイクを取りに行く暇もない。
「魔法は迂闊に使えないし、ここからは徒歩だな」
「ええ。グローセンの馬鹿は血眼になってあなたを探しているでしょうからね。面倒ですが森の中を歩いて行きましょう」
視野が狭く感情の向きが一方通行とはいえ、グローセンは腐っても革命軍をまとめあげる男だ。
グローセンは常人よりも他人の魔力を感じ取る能力が非常に優秀で、特にオースティンの魔力は例え何十キロと離れた場所からでも敏感に感じ取るだろう。
先ほどのように魔力探知に特化したドラゴンも既に放っているのだ。
警戒を怠ることはできない。
周囲に魔物がいないことを確認しながら森の中を歩き続ける。
途中、キラキラとした光の塊が二人の目の前を通り過ぎた。
それを目で追ってみると、小さな小さな妖精たちが踊っているのが見えた。
「ピクシーだ」
「いいですね。彼女たちにも手伝ってもらいましょう」
ピクシーは基本的に人間の世話を焼きたがる習性がある。
「失礼、お嬢さん方。ちょっとオレたちを助けちゃくれないか?」
キュル?
キャラ キャラ
「おっ、いいね。オレたちはガットバッチに行きたいんだ。森を抜けて関門まで行く道を教えてくれるか?」
キュルンッ
キャキャッ
「うぉっ、痛っ」
「大丈夫か、アプフェルゴット少佐」
「えぇ、大丈夫ですよ。運が良かった。どうやら小官はこの子たちに気に入られたようですね」
木々の合間で踊っていたピクシーたちにフルーヴが道を尋ねると、手のひらサイズの彼女らは鈴を転がすような笑い声をあげて二人の案内を買って出てくれた。
どうも彼女たちはフルーヴのささやかな魔力を気に入ったようで、これには非常に助かった。
彼女たちは人間の『悪意』を嫌い、魔力の種類にも好き嫌いがある。
トントンとピクシーたちは二人の目の前を飛び、空を走り、ラズベリーの木で休憩をはさみながら山道を進んで行った。
キュルキュル
キャララ
歌うように、跳ねるように、ピクシーたちは笑い合って山道を教えてくれた。
ただ、彼女たちは人間たちの歩行方法なんぞ気にする素振りはなく、獣ぐらいしか通らない道をずんずん進んでいく。
二足歩行しかできない二人は、着いていくのがやっとだった。
「さぁ、さっさと山を越えちまいましょう。この森の向こうにある山を越えれば、帝国の国境関門があります」
「ああ、わかった」
常人より体力があるとはいえ、飛躍魔法も瞬間移動魔法も肉体強化魔法も無い状態での山越え。
おそらく最低でも丸三日は使うことになる。
オースティンはグッと剣の柄を握りしめた。
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