CASE2 2周目の7月1日
「ふわぁ…………」
まどろみの中、俺はゆっくりと身体を起こし、息を吐き出した。
窓の外の景色は日の出を迎えた朝。
空を見上げると雲一つない晴天が広がっている。
「ん?」
そこで違和感に気づく。
いつもと変わらない外の風景。
しかし昨夜、寝る前に確認した天気予報ニュースでは、今日は朝から大雨のはずだった。
だが、見ての通り、雲一つない快晴。
「……ははっ」
気象庁の予測も当てにならないな、などとほくそ笑んでいたのだが、せめて気温くらいは合ってるのかと多機能デジタル電波時計に目をやった。
「あれ?」
液晶を見つめる俺の目は、気温を確かめるよりも先におかしな部分を見つけていた。
『7月1日、金曜日』
電波時計のくせに何でいきなりこんなにズレるのか。
バグでも起こったのかもしれない。
実際は『8月1日、月曜日』だ。
でもたったいま目覚ましが鳴ったのだから、日付以外はなんともないんだろう。
あとで電波受信させておかないとな。
背筋を軽く伸ばしながら、何気なく部屋を見回して――
「……………………」
なんだろう。いま見えている部屋の風景に、違和感がある。
……気のせいかな。
「あ、おはようございます、お兄様」
部屋を出ると、妹の聖良と出くわした。
「ん、おはよ。その呼び方はいい加減やめて……って、なんで制服着てんの?」
「はい?」
俺の問い掛けにキョトンとした表情になる聖良。というのも彼女はなぜか制服に着替えていたので、俺は呼び方を咎めることよりも先にその理由が気になってしまったのだ。
「夏休みなのにこれから学園に行くのか?」
「お、お兄様……? 今日は7月1日の金曜日ですが、もしかして寝惚けてらっしゃるのですか?」
「…………は?」
「そろそろ目を覚ましてお支度をしていただかないと、学園に遅れてしまいますよ?」
「学園に遅れるって…………」
俺はからかわれているのか? そうだよな、だって今日は間違いなく8月1日の月曜日なんだから。
それも夏休みはまだ始まったばかり。
聖良はたまに俺をからかう言動をするのだが、さすがに今日のこれは冗談にしても度を越している。
そういえば、電波時計も――
「…………っ!」
さっき感じた違和感がさらに膨らみ、胸の中で圧を増してくる。
――何かが、おかしい。
「お兄様?」
「――ご、ごめんっ」
それを振り払うように、俺は聖良を押しのけ階下に向かった。
「悠人、もうご飯できてるわよ」
「……………………」
リビングに降りると、そこには両親がいた。
母さんが言うように、テーブルには朝食が並んでいる。
いつもの光景。
我が家は基本、揃っての朝食を欠かさない。
だから父も、椅子に座って新聞を読んでいる。
リビングのテレビは朝のニュースを伝えている。それも、普段と変わらない習慣のひとつ。
なのに、なんだ? 心臓の鼓動が一気に早くなり、言いようのない不安に心が襲われる。
起きたときからずっと抱えている、違和感。
五感が捉える情報が、少しずつそれに合致していく。
「……父さん、ちょっといいかな?」
「ん、なんだ悠人。まだ読んでる途中だぞ?」
「そ、そのままでいいから、ちょっと見せて」
父が読んでいた新聞を横からのぞき込む。
記事に興味はない、見るべきは上端に載っている重要な情報――
『7月1日、金曜日』
「っ……!」
『ズレ』ている。
頭をガツンと殴られたみたいに、一瞬めまいがする。意識と現実の決定的なズレに、認識が追いつかない。
「もういいのか? いったいどうしたんだ、おかしな顔だぞ」
「い、いや……」
おかしいのは俺の顔だけではない。
『何もかも』が、おかしいのだ。
「き、今日は7月1日じゃ……」
「悠人にしてはめずらしく寝惚けてるのね。そんなんじゃ、生徒会長は務まらないわよ?」
「母さんに言う通りだ。顔を洗ってしゃきっとしてきなさい」
「あ、あぁ、うん……」
時計も、新聞も、そして家族も……
俺以外の全てが、示している。
『7月1日』と。
そして、いつもの朝食が始まる。
俺の心を、置き去りにして。
◇
ろくに味を感じられない朝食を強引に平らげ、自室に一度戻る。
部屋を出る前にあった違和感に、ようやく思い当たった。
俺が昨夜寝る前と、部屋にあるものが微妙に違っている。
最近買った雑誌や文庫本がない。
捨てたと思ったものが部屋に戻ってきている。
通学鞄の中身を見たが、ノートや参考書の記述がごっそりと減っていた。
電波時計だけではなく、スマホの日付も7月1日。
PCを立ち上げても結果は同じ。
俺は急いで出かける支度を整え、玄関に向かう。
本当なら夏休み期間中で制服も鞄もいらないはず。なのにのし掛かる重圧がそれを認めない。
「いってきますっ!」
焦燥感に突き動かされるように、勢いよく家を飛び出した。
いつもより時間をかけ、自分の認識を確かめる情報を求めて歩き回った。
だがそれも徒労に終わる。
「はは、どうなってるんだよ、これ……」
交番に寄って看板の日付を確認したが、やはり『7月1日』。
1年後の――なんてこともない、既に過ぎ去ったはずの日付だ。
商店街の店先に並んでいる新聞も、どれも『7月1日』のもの。
ついでに内容は、1ヶ月前のこととして俺の記憶に残っているものばかり。
コンビニの棚には、水曜発売のマンガ雑誌が売れ残っており、手にとって立ち読んでみたが、全部前に読んだ覚えがある。
これで、家族が総出で俺をからかってるなんて線は消えた。
ましてや街全部が俺一人にドッキリを仕掛けてくるなんてあるわけがない。
じゃあ、今日は本当に『7月1日』なのか?
仮にそうだとして、俺が覚えている7月31日までの記憶はなんだったんだ?
夢でも見てたんだろうか? いやいや、いま現実だと思っているこの場こそが夢なのか?
もしくは――
「……時間が戻った、とか」
やめてくれ。
そんないかにも空想的な展開は、あまりに冗談じみている。
俺が生きているのは、現実だろ?
◇
朝の教室。普段よりいくらか遅れて到着した。
本当ならもっと他の場所に行きたかったのだが、遅刻しそうな時間帯だったので諦めるしかなかった。
「おはようございます、会長」
自分の席につこうとしたら、隣の席に座る、生徒会副会長の織原藍莉が話しかけてきた。
「あ、あぁ、おはよ……」
「今日はいつもより遅かったですね」
「そうだな……」
普段と変わらない落ち着いた物腰の彼女に、俺は少しばかり冷静になった……といっても、現状の疑問は一切解決されてないが。
「なあ、織原。今日って……」
「どうかしましたか?」
「……いや、なんでもない」
織原に今日の日付について尋ねたかったのだが、すんでのところで踏みとどまる。
彼女が、いま、ここにいる――
それがすべての答えなのだから。
「遅刻してるヤツはいないかー。HR始めるぞー」
そしてチャイムが鳴り、間を置かずに担任教師が教室に入ってきた。
その光景は現在のものでありながら、俺の意識の奥にある過去の記憶と重なる。
「さて、今日は7月1日――もうすぐ期末試験だからお前ら勉強しとけよー」
当然担任も今日の日付をそう認識している。
クラスの誰もそれに異議を唱えない。
俺の意識だけが、致命的なズレを抱えたまま、ここに存在していた。
俺にとっては過ぎ去ったはずの出来事――7月4日から始まる期末試験。
その内容も確かに覚えている。
これがありえない現実というなら、それはただの夢だったのか? ……いや、夢というにはあまりに記憶がはっきりしすぎている。簡単に否定できるものじゃない。
しかしそれを誰かに話したらどうなるだろう。
何故か俺はこれから先の未来のことを知っていて、当然テストの内容もばっちり覚えています、などと。
「(か、会長……っ!)」
「……ん?」
「(会長……先生が睨んでます……)」
教室の窓から空を眺めつつ思考を働かせていると、隣の席の織原が小声で何か言ってきた。
「こら、小日向悠人。片肘つくのをやめてこっちを見なさい!」
窓から視線を転じると、目の前には怖い顔で仁王立ちになっている、今年の春に赴任してきたばかりの社会科教師、黒田香織の顔があった。考え事をしている間に、授業はすでに始まっていたようだ。
(それに、この展開は確か――)
俺は、過去の記憶として残る『7月1日』のことを思い出していた。




