ムービー・トレイラーズ
僕がまだ小さかった頃ーーー。
その頃の映画館は指定席なんてものは無くて、全て自由に座れていた。
来た人から順に好きな席に座り、映画を観る。もちろん、自由席だから満席になると座れない。そんな人たちはどうするかというと、最後尾の席の後ろにある鉄製の太いバーに肘を掛けながら立ち見するのだ。だからその時は、最後尾席の後ろに広いスペースがあったし、入り口となる扉がいくつもあった。扉の近くには映画の係員がいてチケット半券を見せないと入れてくれないようになっていた。
その頃は人気作品の映画初日公開ともなれば、映画館の外にまで伸びる行列が早朝から出来ていた。その理由は先に言った通りだ。
そしてもう一つ、今とは違う点がある。
それは、完全入換性でなかったということ。
一度劇場内に入ってしまえば、観終わってもシアター場外のカウンターを出ない限り、何度でも観ることができたのである。つまり、チケットを千切る係員がいる受付から出ない限り、一枚の映画チケットさえあれば好きなだけ同じ映画を観れたのだ。
今にして思えば、とんでもなくお得な時代だった。映画を観に行ったら必ず二回以上観るのが、我が家の決まりとなるくらいだったのを思い出す。
当時の僕は、映画館が大好きだった。
父親と朝早くから列に並び、今か今かと館内に入れるのを待ち、チケットを見せてシアター内に入っていく。
入ったら急いで席取りをした。
決まってシアター内センターゾーンの通路沿いの角の席。
何せ僕や姉ちゃんは幼かったから、上映中にもよおしでもしたら他の人に迷惑にならないように出なければならないのである。そう言ったことからいつも通路沿いの席だった。まあ、父親からすれば子供の観る映画に付き合わされて終わったらすぐに席を立てる通路沿いが一番だったのだろう。父親はよく上映中爆睡していたのを覚えている。
そう言えば、今思い出したことがある。
当時の映画館はどこもかなり大きかった記憶がある。
それは自分が幼く小さかったからそう見えたということではなく、本当に広く大きかったのだ。
先ほども少し言ったが、そもそも出口が多かった。後ろに扉がいくつかあるだけではなく、シアター内の横にも出口へ繋がる扉があり、大抵そこはトイレに行ける最短の扉であり、通路もセンターゾーンを四角く囲むようにあった。もちろん野球観戦席の入り口みたく、シアター内の中段辺りの通路に真っ直ぐ入ってこれる扉もあった。
でかい劇場はとにかく、席数も扉の数も多かったのである。
そして、なぜ僕がそんな話を長々としているのかというと。
映画館はだからこそ、僕にとって一風変わった特別な場所だったからである。
受付に飾られる多くの映画のポスター。席取りをした後に小銭を握りしめてパンフレットを買いに行く売店。シアター入り口前の広いラウンジ。半券を見せれば中に通してくれる係員。父親がどこの席だったかを思い出しながら駆け下りるシアター内の低い階段。ようやく辿り着いた席に靴を脱いで座り、映画を観る前に買ってきたパンフレットを読んでいく。難しい字は読めないからとりあえず絵だけを何度も見返していたのを覚えている。ネタバレなんてそんなことすら考えない。むしろ、映画が始まってその絵のシーンを見つければ、これはあれだ!と喜ぶ始末。
映画が始まるまではいつも時間があった。何度も言うが、今みたいに徹底されていなかったのだ。その映画の予定されているシアターは何分前開場と言った時間はなかったのである。映画館が開いたと同時にシアターに入れば、上映時刻まで時間があるのは道理だ。僕はいつも、パンフレットを見ながら何度も父親にこう尋ねていた。
「ねえ、いつ始まるの?」
すると、父親はいつも適当に返してきた。
「まだまだだよ」「まだもうちょっと」「もう少し」「あとちょっと」「そろそろかな」「もう始まるよ」
そんな具合である。
決して、正確な時間を言ったりはしなかった。
何せ、僕はまだ時計の刻む針の意味が曖昧だったのである。父親は言っても分からんだろう、とよく分かっていたのだ。
そんな父親の考えも当時の僕にはあしらわれているように思えて、家から持ってきたお菓子をリュックから出して、もちゃもちゃ食べながら今か今かと待っていた。大抵は映画が始まる時にはお菓子は無くなっていた。
そうだったな。お菓子持ち込むのも普通だったな。
おっとすまない。
別にそうして、過去の記憶に浸るつもりはないのだ。
本当に言いたいのはここから。
そうして、待って。
待って、待ち焦がれて。
スクリーンの幕が開き、映写機から光が走るのを見上げる。
急いでパンフレットをリュックにしまって。
始まる始まる、なんてワクワクしながらスクリーンに目を釘付けにしていたあの頃。
いつも僕は、本編前の他映画の予告映像に興奮していた。
たった数十秒の、幾つもの短い映画予告。
これを観る時間が嫌いな人も中にはいるだろう。
だけれど。
それは、本当に僕をドキドキさせていた。
目まぐるしく変わるカットに映像を盛り上げる音楽にナレーション。映画の見所が、気になるところが、そこに全て凝縮されている。シアターのスクリーンと大音響が心を掻き立てた。
と、昔の僕はそんなこと考えてはいなかった。
何に惹かれていたのかと言うと、それはーーー。
ナレーション。
迫りくるように煽る声。おちゃらけるような声。とつとつと語る声。悲しさを誘う声。そして、僕にそれを観たいと思わせる声。
流石に当時なんの予告映像が流れていたかなんて覚えいない。
けれど、そんな声を耳にしていた記憶ははっきりと覚えている。
映画が始まるのを待ち侘びてワクワクしている僕に、そんな幾つもの声のナレーションが映画館の大音響で語りかけてくるのである。僕が映画館が好きで、映画を観ることが好きで、何より予告映像が観たいと思うのは、実に自然なことだった。
それは僕が成長していく中で特に変わらず、唯一大きく変わったのはーーー、
映画の予告映像のナレーションを自分がやりたい
と、思うことくらいだった。
長くなってすまないが、ここから本編だ。
何事にも前置きというのはあるだろう?
それは映画と同じように、だ。
これは、僕ーーー真島光がナレーターを目指し、映画予告のナレーションを務めるようにまでの話。