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「じゃあ行ってきま~す」
と、縷々子さんに続いて蜜さん、鋏がリビングを出る。
どんな話の流れでだったか忘れたが、これから三人でお風呂に入って来るのだと。私も誘われたが、流石に四人での入浴は浴槽的に限界があるので遠慮した。……、しかし縷々子さんも、蜜さんが男性だと分かっているだろうによく拒否反応を起こさないな。本能的に『兄だから安全』と感じとっているんだろうか。
「あ、五色さん、悪いけど縷々子の部屋にお布団運ぶの手伝ってくれません?」
蜜母さんの頼みに頷き、早速二人で寝具を抱え二階へ行く。着いた縷々子さんの部屋は、人の事は言えないが殺風景なソレで。
「やっぱり、広さ的に一組しか置けないなぁ。あ、隣の部屋にもベッドがあるんで、良かったらそこを使っても良いですからね」
言って、蜜母さんは部屋を出て行く。取り残された私は途端、手持ち無沙汰に。
(何で今日面接したばかりの相手の家に泊まる事に)
と今更ながらに思いつつ廊下に出る。『パサッ』、隣の部屋から小さな物音。自然、足はそちらに向いていた。
開いていた扉を覗く。中には誰も居ない。縷々子さん同様にベッドと衣装箪笥等の最低限の家具しか無い無機質な部屋。足を踏み入れる。
(……この――僅かに嗅ぎとれる安心感と――肌に馴染む空気は――)
フラリ、引き込まれるように部屋のベッドへと顔から倒れ込む。意識の中に、ここが他人の家、という常識は消えていた。
「ふっ、んん」
と鼻から空気を肺一杯に貯めて、鼻から吐く。やはり、ここは蜜さんの居場所だった所だ。ひと月家を離れても褪せない残り香。
もう何度か呼吸を繰り返したら確実に夢の世界に「おや、もうお休みですか?」 と、油断していたら、入り口の方から蜜母さんの声。
……、焦りを悟られぬよう緩慢に上体を起こし、ベッドから腰を上げる。蜜母さんはウサギを抱え微笑んでいた。
「すみません、行儀の悪い真似を。この部屋から物音がして、つい様子を、と」
「いえいえ寛いで貰って構いませんよ。物音の正体は……ソレかな?」
蜜母さんの視線の先、壁際の床には例の制服が。先程のはハンガーからずり落ちた時の音のようだ。
「いやはや、まさかソレを見に着けていた時に五色さん方に遭遇してしまうとは……ハハ、おばさんが年甲斐も無く、お恥ずかしい限り」
小さく頭を下げて低めのポニーテールを揺らす蜜母さんに、「お似合いでしたよ」と私は思った事を口にする。
今の恥ずかしそうなハニカミ顔も、制服を着ていた時の雰囲気も……この人が【彼】の母親である事の証明になる程に似ていた。
「お世辞でも嬉しいです。しかしそもそも、その制服の持ち主は私でも娘でもなくって。間違って娘のをもう一着買った記憶も無いし、いつからあったのか」
「……、失礼ですが、この部屋はどなたの?」
「いやぁ、おかしい事はソレもで、この部屋、『誰の部屋かも分からない』んです。物置や客室と呼ぶのもおかしいし、そこの衣装箪笥も――」
と蜜母さんは箪笥の中を見せてくれた。そこには【男性下着類と女性用の衣服(中性的なデザインの)】があって、
「コレも、買った記憶が無いんです。下着は旦那のでもないし、服も娘と私のセンスでもないし……家族がコレらを認識し出したのは『ひと月前』で……ホラーですよね。――まるで、知らない誰かさんでも、住んでたみたいな」
彼女の認識は、間違って居ない。ただ、『覚えていない』だけなのだ。
「『そこに居ると認識してなければ相手の姿が見えない』――調べたら〈クラウド〉と呼ばれるそんな現象があるようで。例えば何日も何年も、私達に気付かれずに暮らしていた人が居たとして……でも……そうだったとしても、不思議と怖くないんです。寧ろ、『申し訳ない』という気持ちが何故かあったり。変ですよね」
蜜母さんの今にも泣きそうな笑みに、胸が締め付けられる。――何て残酷な話だろう、何故この人達が傷付かねばならないのだろう。本来なら、『原因の一端』でもある私にこの家で持て成される資格は無い。かといって、謝る事すら許されない。洗いざらい『全て』を私の口から打ち明ける事は、誰が相手でも出来ないから。
「あの。どうして、エリンギジンジャーのファンに?」
どうして唐突にそんな事を訊いたのか、私自身分からない。しかし蜜母さんは変な顔一つせず、
「うん? う~ん、何故だか動画を見ててドキドキするんですよね。何と説明すればいいのか……『子供の学芸会』を見てるような……特に蜜さんに対してこの感情は強いんです。それが癖になるというか……あ、ごめんなさい、気持ち悪いですよねっ」
「……いえ」
と、それ以上私は何も言えなかった。
『トットット』――気付けば複数人の階段をあがる足音が部屋の外から聞こえてきて、
「三人共お風呂から上がったようなんで、お次は五色さんがお入り下さい。……胡散臭い話をして御免なさいね。それと今更ですが、縷々子を採用して下さって有難う御座います。あんなに楽しそうなあの子を見るのは……多分久し振りで……あの通り少々? ネジがズレた娘ですが、今後とも宜しくお願いします」
ペコリと小さく頭を下げる蜜母さん。顔を上げて貰おうと歩み寄り、
「(キィ)むっ。話し声がすると思えば、何をやっとるんじゃお前達」
同時に、鋏が部屋の戸を開いた。その後ろには、風呂上がり特有の赤い顔で濡れ髪の蜜さんと、何故かシクシクと肩を震わす縷々子さんが。
「こちらの事よりそちらは一体どういう状況ですか」
「ん? なぁに、メンバー同士仲良くしただけじゃよ。なぁ蜜?」
「言い得て妙だけどそうだね。エリンギジンジャーの巨乳担当としてやっていけるかの試験をだね」
ホクホク顏の鋏と蜜さん。
「ぅぅ……あんなに乱暴に揉み揉みって……もぅお嫁に行けないです……」
「おやおや、早速宜しくされたようだね。安心安心」
母親の言葉とは思えない。何とも酷いオチだ。




