MaryChristmas
どさっ
そんな音が聞こえて私は目を覚ました。
むくりと起き上がり、目をこすりながら窓の外に目を向ける。
外は真っ暗で、僅かに月明かりで家の周辺が見えるぐらい。
変な時間に目が覚めたな、大きくあくびをして背伸びをする。
鳥の鳴き声ではなく、積もりに積もった雪が屋根から滑り落ちる音という、あまり心地のいい音とは言えないものに起こされたせいで、あまり良い気分ではなかった。
ふいに小さなくしゃみが口から出てきた。体をさすって、摩擦で熱を起こす。
朝までぐっすり眠りたかったな。
そんなことを思いながら、部屋の隅にある、背の小さくなった蝋燭に火をつけた。
暖かな光、僅かに感じる熱にホッと心が満たされる。
じっと、ゆらゆらとゆらめく火を見つめていると、なんだか時間が止まったかのように何も考えられなくなる。
このまま気づいたら朝になっていた。なんてことになっても不思議ではなかった。
コンコン
ふいに、誰かが扉をノックした。
私は短い返事を返すと、木製の扉を軋ませながら、父が私の部屋へとやってきた。
「なんだ、起きていたのか」
「目が覚めちゃって。今から仕事?」
「あぁ。帰りは早朝になるだろう」
「わかった。気をつけて行ってきてね」
私はそのまま立ち上がり、父を見送ろうと思った。
しかし父は、寒いから必要ないと私をベットに戻そうとした。けれど、今もう一度ベットに戻って目を閉じてもきっとぐっすり眠ることはできない。せっかく起きたのだから、見送りぐらいさせて欲しいと頼んだ。
父はすごく顔を歪ませた。本当は寝て欲しいのだろうけど、私が大人しく言うことを聞いてくれないことはわかっていたのだろう。たっぷり間あけた後、絞り出すような声で「わかった」と許しをくれた。
外は白銀の世界。明るい時間とはまた違う、幻想的な世界が広がっている。
父の見送りはいつぶりだろうと
ぼんやりと考えながら、私の一歩前にいる父の背中を見つめた。
「それじゃあ行ってくる」
「暗いから気をつけてね」
「あぁ。リーベも、早く寝るんだぞ。風邪を引いたら大変だ」
「もぉー、子供じゃないんだから大丈夫だよ」
父の大きな手が、私の頭を荒々しく撫でる。もう14だと言うのに、いつまでも小さな子供のような扱いをする父に、いつも不服を感じている。
父は大きく手を振り、そのまま森の奥へと進んで行く。私は、父の持つランタンの光が見えなくなるまで、その背中に手を振り続けた。
遠く、狼の鳴き声が聞こえる。
雪に覆われた薄暗い森。星々が輝く、青黒い空。
私は今年も、この景色を眺めることになった。
父は何も言わなかったが、今日はクリスマス。けど、お祝いなんてものはしない。
ここは森の奥。この家以外に、近くに住んでる人なんていない。父も、この時期は仕事が忙しいため、家を開けている。
一人で過ごすクリスマスに、流石に寂しさなんてもう感じなくなった。そんなもの、とうの昔に諦めて、無くしてしまっている。
「はぁ……寒いな」
暖かな息を吐き出せば、空気中で凍って白くなる。その光景を一度眺めた後、私は家へと戻った。
仕事から帰ってくる父のために、眠くなる前にスープを作ろう。たとえ冷めても、出来ていればもう一度温め直せばいい。薪は沢山あるから、火だけは好きなだけ使うことができる。
そう思いながら、首に巻いていたマフラーを椅子の上に置く。その時、不意にテーブルに目がいった。
そこには一通の手紙が置かれていた。家を出るときは、テーブルには何も置かれていなかったのに。もしかして、お父さんの忘れ物かな?そう思いながら、私はその手紙を手に取った。
【森のお茶会への招待状】
手紙にはそう書かれていた。
宛先も、送り主の名前も書かれていない手紙に首を傾げながら不思議がる。
もし本当に父のものなら、急いで渡さないと。そう思い、私は再びマフラーに手を伸ばした。
コンコン
その時、窓がわずかに震えた。風が出てきたのかな?そう思いながら思わず窓に目を向けた。
コンコン、コンコン、コンコン
目を奪われるとは、こう言うことなんだなと何と無く心の中で冷静にそう思った。
窓のそばには、月光に照らされた七色の毛を輝かせる一羽の不思議な鳥がおり、まるで扉をノックするように嘴でリズムよく何度も何度も窓を叩いていた。
何だろう、不思議と私を呼んでいるように思った。一歩、一歩と窓へと近づき、私は戸を開けた。すると、驚いてしまったのか、鳥はそのまま窓から離れて飛んでしまった。だけど、逃げることはなく羽を羽ばたかせて飛んだまま私をじっと見つめていた。
「ついてきて欲しいの?」
そう言っているように感じた。不思議だ……私はいつから動物の言葉がわかるようになったのだろうか。
鳥はそのまま森へと飛んで行く。私はマフラーを手にして慌てて鳥の後追いかけて薄暗い森の中へと入っていった。
*
どれだけ森の中を歩いただろうか。
さっきまで追いかけていた鳥の姿もなかった。
急に頭の中が冷静になってきて、不安や恐怖で体が震えて、呼吸がわずかに荒くなっていく。口からこぼれる白い吐息。
ついに私はその場に膝つく。怖い……怖い……誰か、誰か助けて……
助けを求めたところで、こんな森の奥に人なんていない。私は一人。
「大丈夫、一人じゃないよ」
肩に温もりを感じる。それと同時に、安心する人の声。ゆっくりと顔をあげると、そこには一人の男性の姿があった。男性はニッコリと笑みを浮かべると、そのまま膝をついて、私を優しく抱きしめて背中を撫でてくれた。
「大丈夫、大丈夫。落ち着いて……ゆっくり、息を吐いて……吸って……」
彼の言う通りに、ゆっくりと呼吸をする。人肌を感じているせいか、少しずつ気持ちが落ち着いてきた。そして、また頭が冷静になるといまの状態を思い出して、私はすぐに彼から離れた。
一瞬驚いたような表情を彼はするが、すぐににっこりと笑みを浮かべる。
「よかった。それじゃあ行こうか。会場はすぐそこだよ」
「え、ど、え?」
手を取られて体を少し引っ張られただけで立ち上がり、そのまま彼に手を引かれて森の奥を進んでいく。
彼が誰なのか。どこに連れていくのか。色々と聞きたいことがあるのになぜか声を出すことができない。いや、正確にはなぜか今は話しかけてはいけないと思ったからだった。
彼に手を引かれて進むこと数分。たどり着いたそこは、”月光のお茶会”。そう言うにふさわしい光景だった。
辺りは暗いのに、まるでライトアップされているように月光がおしゃれなテーブルセットを照らしていた。
「さぁ、こっちに」
テーブルに近づくと、そこにはたくさんの料理やお菓子が並べられていた。まるで、絵本の中でみるお姫様のお茶会のような。
「それじゃあ、お茶会を始めようか」
気がつけば、私は椅子に腰を下ろしており、手を引いてきた男性が目の前の席に座って笑顔を浮かべていた。
いつの間に。と少しアワアワしていると、彼は手際よくカップに紅茶を注いでいく。
「どうぞ」
目の前に置かれる紅茶。だけど、流石に警戒してしまう。
男性の身なりはとても綺麗で、どこかのお屋敷に使える使用人のようにも見えた。
「飲まないのかい?」
「え、あ……えっと……」
「そう警戒しなくてもいいよ。せっかくのお茶会だ、楽しもうじゃないか」
男性は自分の前にあるカップに口をつけ、一口飲み干す。
にっこりと笑顔を浮かべる彼の顔を見た後、少し疑いながらも、私は一口飲んだ。
「あ……美味しい……」
暖かな、スープ以外で味のついた紅茶はいつぶりだろう……口の中に感じる甘さが頭にも流れ込んできていて、誰かが優しく背中から抱きしめてくれているような心地よさを感じる。
「さぁ、料理やケーキもどうぞ」
男性に勧められ、私は料理やケーキを口に運んでいく。
美味しい、本当に美味しい……こんな豪華な食事は生まれて初めてかもしれない。
あぁそうか……これは夢なのか。だから、こんな不思議なことが起きてるんだ。普通なら、こんなことあり得ない。夢なら、疑ったりしちゃダメだよね。
「あの、いくつか質問していいですか?」
「あぁいいよ。お話も、お茶会の醍醐味だからね」
特に気にした様子もなく、彼は優雅に紅茶を飲んでいた。その立ち居振る舞いは自然で、慣れてるって感じがする。
「貴方は、どなたですか?」
「私の名前は”ナナ”。このお茶会の案内人であり、主催者だよ」
「案内人?」
「あぁ。普段は鳥の姿をしていてね。お茶会の開催日だけ、こうやって人の姿になることができるんだ」
不意に、私を家から飛び出させた鳥のことを思い出した。
にっこりと笑みを浮かべる彼と目があう。あの鳥と彼が同一人物だとは思えない。だって、鳥が人になるなんて……
いや、ここは夢の中。不思議に思っちゃいけない。そういうものなんだ。
「それは、寂しいですね。今日しか、人の姿になれないなんて」
「そうでもないさ。人の姿はね、神様が私にくれた贈り物のようなものだ」
「贈り物?」
「あぁ。人と楽しく、料理やお菓子を囲んでお話をする。たった1日でもいいから。それを神様が叶えてくれたんだ。聖なる夜の奇跡、とでもいうべきかな?」
それを聞いて、なぜか羨ましいなと思ってしまった。
彼の言葉を言い換えれば、それはクリスマスに対する楽しみ。期待。特別なその日を待ち遠しく感じているのだ。それがとても羨ましい。
私は、一年を通してそんな日はない。誕生日も含めて、特別の日なんてない。毎日毎日、いつも通りの日々を過ごしている。
「そんな特別な日に、どうして私を選んだんですか?」
同情だろうか。
森の奥で一人寂しくクリスマスを迎える私に対しての。だから、そんなかわいそうな子に、ひと時の幸せな夢を見せてあげようと。そう、思って……
「君のことをずっと見てた。去年のクリスマスから」
彼が手にしたのは、赤いケーキ。てっぺんには、この森で良くとれる赤いきのみが乗っている。今の季節は取れないが、さすが夢の世界……この時期にこの木のみのケーキが食べられるなんて。
「特別の日なんてない。毎日毎日同じことの繰り返し。なのに君は、とても幸せそうな、満たされた表情をしていた。そんな君と、話をして見たいと思ったんだよ」
自分では自覚なんてものはなかった。ただ日々を、必死に過ごしているだけだった。貧しいから、あしたのご飯はどうしよう。もうすぐ夏になるから、冬になるからと色々考える。めまぐるしい日々。大変だけど、私にとってはそれが楽しくて仕方ないのかもしれない。
少なくとも彼にはそう見えていたらしい。
「話すことなんてないですよ。貴方みたいに、特別な日なんてない。本当に神様がいるなら、なんで私たちには何もくれないんですか?」
信仰心なんてものはない。だって、本当に神様がいるなら、私たちはもっと幸せを手に入れられている。特別な日が存在するはず。
「なら今日を、特別な日にしよう。私とのお茶会を体験した日は、君とって特別な日に」
「……これは夢ですよ。特別な日にはならない」
「夢、か……なら、夢の中ぐらい楽しい時間を過ごそう。目を覚ませば、君はきっとベットの上に眠っている」
それ以上、お互いにギクシャクするような話はしなかった。
好きなものの話や、興味のあること。たわいもない話をする。
父以外の男性、というか人と話すはいつぶりだろうか。私はずっと家にいるから、父が仕事で街に行くときに買い物を頼む。こんな森の奥まで商品を売りに来るような人たちはいないから。
だからだろうか、会話が不思議と弾む。話すこと全部が、相手にとっては初めて聞く内容だから、色々いうことができた。会話が途切れることはなかった。
だけど、始まりがあれば終わりがある。その終わりの合図は、テーブルの上が空になった時だった。
気づけば、テーブルに並べられていた料理もお菓子もなくなっており、注がれた紅茶も飲み干してしまっていた。
「あぁ、もう終わりの時間だ」
「え……もう?」
「楽しい時間はあっという間だな。私も、また来年を待つことになる」
ナナさんは空を見上げる。始まったときと変わらず、お茶会を照らす月。まるで時間が止まっているかのように、じっと私たちを見下ろしていた。
「さぁ、夢から覚める時間ですよお嬢さん」
そうだ、これは夢の出来事なのだ。すっかり忘れてしまっていた。
夢か……目が覚めたら忘れてしまうんだろうな……でも、クリスマスの日にこんな夢が見れて、ちょっと幸せだったかもしれない。
「忘れてしまうんですか?」
「これは夢なのだろう?現実なら忘れることはない」
「そんな……これが現実なんて」
ありえない。そう口にしようとしたが、一つ指で言葉を止められてしまった。
「君にとってはどちらの方が都合がいいんだ?君にとっては、どちらの方が幸せなんだい?」
少しだけ、彼じゃ意地悪な笑みを浮かべる。それはまるで私の心をわかっているようで、見透かされているような気がして、なんだか恥ずかしくなってしまって、思わず顔を下げてしまった。
これを現実だとは到底思えない。同時に、現実だとは思いたくなかった。私は、この時間を夢の出来事だと思いたかった。もう一度のない、儚い夢の出来事。
「君は案外、夢見る女の子なんだね」
「ムッ……失礼ですね。私だって……」
「ははっ、少し意地悪しすぎたようだね。そんな君に、僕から一つプレゼントをあげよう」
「プレゼント?」
「そう。今日は、なんの日だい?」
「今日は」
その時、なぜか目の前の景色がどんどん遠くなり、辺りを暗闇が覆い始めた。
「時間みたいだ」
「待って!」
「メリークリスマス、リーベ」
彼は、にっこりと笑みを浮かべながら手を振る。
その場に、私一人が取り残された。どこもかしこも暗闇だ、物音一つ聞こえない。さっきまでの楽しくて暖かい時間から一転、不安で冷たい。
……べ。……き……リ……
不意に、背中に光が差し込む。そして、誰かが私を呼んでいた。
そこに誰かいるの? お願い、早く私をここから連れ出して……こんな何もない、暗い場所には居たくない。
私は光に手を伸ばす。徐々に光は私を包み込み、暗闇から真っ白な世界へと移った……。
*
「リーベ、リーベ起きろ。こんなところで寝てると風邪を引くぞ」
気がつけば、私はテーブルの上に突っ伏して眠っていた。
父に起こされ、目を覚ました私だったが、寝ぼけながらあたりをキョロキョロとした。
「あれ……なんで……」
すっかり陽は昇っており、部屋の中に日の光が差し込み、鳥の鳴き声が聞こえる。
いつのまに眠ってしまったのだろうと、昨夜の記憶を遡っていく。
「そういえばリーベ、それはどうしたんだ?」
訪ねてくる父の指差す方には、見覚えのないスノードームがあった。
買った記憶も、もらった記憶もなかった。一体誰が。そう思いながら、自分の方に引き寄せてしっかりとそれを見つめた。
「……不思議な鳥さんからの、クリスマスプレゼントだよ」
スノードムの中は、虹色の鳥と少女が雪振る森の中でお茶会をしてる様子だった。
私は夢の出来事にしようとした。だけどきっと、彼は夢で終わらせたくなかったんだ。
「お父さんお腹減ってるでしょ、何か作るよ」
「あぁそうだな。なら、ケーキを作ってくれないか?」
「材料ないんだから無理だよ」
「そんなことないぞ」
そういう言いながら、父はテーブルの上に少し大きめの木箱を乗せた。中を除くと、そこには小麦粉や卵に牛乳などのケーキの材料が入っていた。それ以外にも、丸々太ったウサギの肉や、香辛料とか、いろいろなものが入っていた。
「たまには、リーベとクリスマスをちゃんと過ごしたくてな」
照れながらそういう父。なんだろう、嬉しいのに涙が出てきてしまう。
別にいつも通りでよかった。でも、父がそう思ってくれていたことがすごく嬉しくて、私は必死に声をあげて泣くのをこらえた。
「わかった。うんと美味しいの作るよ。久しぶりのクリスマスパーティーだ!」
「なら、酒も飲んでいいよな?」
「仕方ないなぁ。でも、ほどほどにね」
神様なんていない。そう口にしたけど訂正するよ。
確かに神様はいた。きっと、貴方が神様にお願いしてくれたんだよね。私は、そう思ってるよ。
「ありがとう、ナナ」
もし、また会うことができたら、その時は改めてお礼を言わせて。14年間の人生の中で、最高のクリスマスプレゼンをくれてありがとう。
————— Merry Christmas
【完】