なぜあなたは文章が「書けない」のか?
私が書いている小説の分野は、「ノンフィクション的な」伝記でもなければ、あるいはファンタジーに代表されるような「完全フィクション」でもありません。
いえ、もしかしたら小説という分野には少々語弊があるかもしれません。何故かと言いますと、その内容は基本体に「ビジネス書」だからです。小説でもなく、ビジネス書でもない。そう、いうなれば双方の「中間」あるいは「いいとこ取り」といったところでしょうか。
似たようなジャンルとしては「もし高校野球の女子マネージャーがドラッカーの『マネジメント』を読んだら」(通称「もしドラ)、あるいは「ユダヤ人大富豪の教え」がこれにあたるでしょう。
これらは小説、あるいは「物語形式」で書かれておりますので、一見すると小説のようにも思えます。しかし、これらの本の目的はあくまで「ビジネス」であって、いわゆる「文学オタク」向けに書かれた本ではないのです。
対象はあくまでもビジネスマン。これがどういうことかといいますと、「普段小説を読まない人」「本といえばビジネス書しか読まない人」向けに書かれているということです。
一般的に小説として知られる「純文学」。例えば古くは芥川龍之介や太宰治。そして最近は村上春樹といったもの。あるいは小説以外の分野である漫画やアニメ等において頻繁に使われるライトノベル(ラノベ)等がありますが、上記のような「ビジネスマン」の多くは、こういった層の主な客層ではありません。
むろん、「ビジネスの教科書的に」古い文学作品を読んでいらっしゃる方はいらっしゃるでしょう。しかし、彼等の目的は純粋に本を楽しむというよりはむしろ「如何にして仕事に活用するか」が重要となるのです。
例えば歴史小説の大家としてしられる司馬遼太郎、山岡荘八。あるいは吉川英治といった人々の作品は多くのビジネスマンに人気があります。これは戦国大名、あるいは武将を現代でいう「経営者」であり、あるいは「中間管理職」と考え、彼等の生き方に学ぼうとするのが主な目的です。
当然ですがこのような歴史小説の目的は、単に歴史上の人物を用いて小説を書くのが目的であり、それはビジネスマンに向けて経営の指南のために書かれたものではありません。仮にそのような目的で読んだ方がいらっしゃるとして、それはあくまで「小説の読み方の一つ」に過ぎないのです。
では、彼等は何故、最初からビジネス書を書かなかったのでしょうか?例えば「徳川家康に学ぶ経営の極意」「坂本龍馬のような成功者になる方法」あるいは「もしも宮本武蔵が営業マンだった」といった感じに。
おそらく、このような作品を読みたいという方は大勢いらっしゃるでしょうし、実際に歴史上の人物に学ぶと称するビジネス書でベストセラーになったケースは多く存在します。にもかかわらず、これらの作者は何故か、そういった本を書かない・・・
理由は簡単です。「実績がないから」です。
例えば徳川家康は天下を統一した人物ですから、いわば「大企業の経営者」である必要があります。その作者は山岡荘八や司馬遼太郎ではなく、松下幸之助や本田宗一郎、あるいは稲森和夫といったような人物でなければならないわけです。
当然ですが、多くの方は「書けない」ということになります。例えばあなたが非常に多くの文献を読み込み、日本一徳川家康に詳しい人だとします。そして小説を書く能力も十分あったとしましょう。
しかし、それでもあなたは「書けない」のです。理由は「大企業の経営者としての実勢がないから」です。
何もこのようなケースに限った事ではありません。私自身、実際に多くの方の文章を指導する中で気付いたことなのですが、多くの人は「文章を書く能力がある」人達です。にもかかわらず、彼等に文章を書かせようとした場合、多くの人が「書けない」といいます。
それは単に語彙力がないとか、国語が苦手だったとか、そういうものではありません。
「成功者でない自分が成功体験を書くと「生意気」だと思われる」
「どうせ自分が書いたところで「誰にも読んでもらえない」と思っている」
そのように考えてしまっているのです。即ち「書けない」のではなくて「本当は書きたいけど、書くべきじゃない」という感じに考えてしまっているわけです。
逆に言えば「成功体験さえあれば、自信をもって書ける」ということです。
・もし、あなたが「年収1億円」だったら?
・もし、あなたが「売上No.1」の営業マンだったら?
・もし、あなたが「元暴走族のカリスマ社長」だったら?
おそらく、書けるのではないでしょうか?そして、あなたの書いた文章を絶賛する人々の姿を想像することが可能なのではないでしょうか?
しかし、実際はそうではありません。あなたの年収は1億円には遙かに及ばないでしょうし、あるいは営業で特別優れた成績を上げたこともない。
あるいは、これまで真面目に生きてきたため、暴走族のような非行歴もない・・・そんな方が大半ではないでしょうか?
では、もしあなたが仮に「小説を書け」といわれたとします。主人公は元暴走族で、その後就職した会社でトップセールスの記録を塗り変えた後、営業コンサルタントとして独立。そして全国の大企業に対して営業のノウハウを教える・・・
仮にこのような小説を書くとして、あなたに暴走族の経験は必要あるでしょうか?ないですよね。
トップセールスの実績はどうでしょうか?これも不要です。そして大企業のコンサルをした経験・・・これも当然ですが必要ありません。そう、
「小説の主人公は、あなた自身でなくてもよい」
のです。そして、読者は「作者がどんな成功か」ではなく、「物語が面白いかどうか」で判断します。
したがって、
「読者が好みそうなストーリーを書けば良い」
のです。
むろん、あなたが多くの人が知りたいと思うような人生を歩んできたのであれば、それを書くのも一つの方法でしょう。
しかし、もしあなたがそうでない・・・そして、それが「文章が書けない」根本的な理由だとしたら?
解決方法は簡単です。
「あなたが理想とする「成功者」を主人公とした小説を書けば良い」
のです。例えば役者が特定の役を演じるようなものです。彼等はその役を演じているのであって、その役と「同一人物」ではありません。
もし仮にそうだとしたら、例えば医者の役を演じていいのは医師免許を所持している方のみとなってしまいますし、凶悪な犯罪者を演じるとすれば、凶悪犯罪の前科がなければ「演じる資格がない」となってしまいます。
当然ですが、そのようなことはありません。医師免許がなくたって医者の役を演ずることは可能ですし、ごく普通の生活をしている人だって凶悪犯罪者を演ずることが何ら問題がありません。
即ちあなたは、その「主人公に成り切ればよい」のです。
「億万長者になる方法」を書くために、あなたは億万長者になる必要はありません。あるいはプロスポーツ選手として成功する方法を書くために、あなたにスポーツ経験は必ずしも必要ないのです。
読者はあなたの経験など見ていません。必要なのはあくまでも「物語の内容」です。したがって多くの人が抱えている最も重要な問題を解決することが出来る。どういうことかといいますと、
「小説形式ならば、ビジネス書が書けない原因を解決できる」
です。