1章 (3)
ユウは気を研ぎ澄まし、誰もが自分を見ていない一瞬を探る。視線と、感覚で。今だ! 雀荘内のだれ一人として自分に視線が向いていないのを確認すると、左耳の下をギュッと強く押した。
そこで、パッと時間が止まった。世の中全部のものが、動きを止めた。
最初にこの能力を知ったときの驚きは、今でも忘れることがない。しかしもう慣れっこだ。とにかく急がなければならない。時間が止まっている間も、ユウは生きているのだ。もたもたしていたら、寿命が尽きてしまう。
ユウは残っている山を開けて、手牌と替える。
一萬・二萬・二萬・三萬・三萬・七萬・六筒・六筒・七筒・四索・六索・八索・八索
これが、
二萬・二萬・二萬・三萬・三萬・三萬・六筒・七筒・八筒・六索・六索・六索・八索
に、変わった。
丁寧に山を戻し、ユウ自身の体勢もできうる限り同じように戻した。万が一にもこちらに視線を向けている人間がいたとしても、ほんのちょっとのズレなら目の錯覚と思ってくれる。
そしてユウは、もう一度耳の下を強く押した。
時間が動き出した。
次のツモで酔っぱらいの男が引いてきたのは八索。これは筒子をがめている男にとって不要の牌だった。ユウは男の手も確認して、わざと不要な牌を次のツモに置いておいたのだ。
まだ序盤でだれもリーチをかけていない。男は鼻唄交じりにツモ切りした。
「ロン」
ユウは手牌を倒した。
男の顔が歪んだ。
「タンヤオ、3暗刻、六索がドラなので、ハネ満です」
「親っパネかぁ」
ユウの対面の老人がつぶやいた。老人はユウ以上に酔っぱらいに腹を立てていて、何度も睨みつけていた。平常心を失った老人は打ち手が雑になり、酔っぱらいに満貫を打ち込んだばかりだった。つぶやきながら、今にも笑い出しそうな表情をしている。
こういったときは大三元などの役満をお見舞いするのが最もすっきりするのだが、雀荘を渡り歩いて生活している以上、派手な勝ち方を続けるのは危険だった。せいぜいこの程度にとどめておくのが得策だった。
18000点を払って最下位に転落した酔っぱらいは、その後すっかりおとなしくなり、老人に打ち込んでハコになった。
その回で切り上げたユウは、気持ちが晴れるのと同時に、また時間を使ってしまったと後悔もした。たったの1分ほどだが、今や貴重な時間なのだ。感情のままに使うべきではなかった。
ユウは見た目こそ大学生風だが、これまで止まった時間の中で長く生きてきたせいで、中身は初老と言ってもいい年齢なのだ。