12 合気道に入門
少しは別の方向でも体を鍛えねば、と思った。思えば結構危ない所を選んで訪れているのだ。地元と言っても新開地や三宮の繁華街は上品とは言い難い。大阪にしても一番行くのが新世界周辺となれば、よくもいままでトラブルに巻き込まれなかったものだと思う。
だからせめて護身術なりとも身に着けるべきかと思ったのだ。ちょうど「合気道」と書かれた看板を見かけたときに。
国鉄の高架下は、神戸では商店街として利用されている。三宮から神戸駅にかけては、物販や食堂で賑わう商店街だ。神戸駅を過ぎて西に行くとさすがにその賑やかさも薄まり、何に使っているのかわからない区画が続き、アーケードはなくなり、単に高架下を板で囲っただけのものになっていく。そんな一角にその看板があった。ガラス窓にはカーテンがかかり中の様子は見ることが出来ない。それでも窓越しに見ていると、なんとなく人の動く気配があった。突然カーテンが動き男の顔がこちらを向いていた。光の加減か顔だけが浮き上がって見えていた。額の広い丸顔で妙にニコニコしていた。窓が開いて男が話しかけてきた。
「見学ならあちらからどうぞ」標準語だった。指差す方向に扉があった。不思議となんの抵抗もなく中に入っていった。中は畳が敷き詰められた床で中学校の教室の半分ぐらいのスペースだった。高架下だから狭いのは当たり前だ。小学生くらいの子供が二人いて組手のような事をやっていた。
「少し身体を動かしてみましょうか」
そんなふうにして道場に通うことになった。
最初は週一度、日曜日にでもと思っていたのだが、通ううちに毎夜になり、私が朝に強い事がわかると毎朝が日課となった。
結果的には高校卒業まで通うことになるのだが、長かったのか短かったのか。道場主は植野という四十過ぎの人で、いつも柔道着を着ていた。合気道だから袴ではないのかと聞いたらなんでも良いとのことだった。学校で使っているジャージでも良いというのでそうすることにした。
あまり、というかほとんど道場生はいなくて、最初にいた小学生も近所の子供の子守代わりにされていたような様子だった。どう考えても道場収入では家賃さえ払えてはいなかった。
どうも私と朝の練習をした後にアルバイトに行って収入を得ていたらしい。朝練中心になったのはその為かもしれない。しかもどこかの柔道教室だったようだ。私は見に行ったことはないし、彼も詳しく話してくれたことはなかったが、柔道着でいたのはそういう理由だったらしい。オリンピックのあとだったし世間的には合気道は人気がなかったようだ。空手などの武道系が流行るのはもう少しあとだ。俺の感覚では護身術なら柔道より合気道だと思うのだが、僕的にも最初はピンと来なかったらしい。
有意義だったのは間違いのないことだった。ここで身体を一から作り直せたように思う。呼吸法から始まって柔軟体操、要はストレッチだが、基礎体力づくりをしっかりと行った。身体が出来ていないと技はできないとのことで、半年ぐらいは畳の上でゴロゴロ転がされていた。ちなみに畳は柔道教室でお古をもらってきたらしい。「ちゃんと表替えはした」とのことで最初のころはたしかに青かった。
えらいもので効果はすぐに現れた。一ヶ月もしたらランニングのスピードが早くなっていたようだ。放課後いつものように部活前のランニングを終え音楽室に返ってくると先輩の一人に言われたのだ。
「最近早いのね」
「何がですか」なんのことかわからなかったので聞き返した。
「帰ってくる時間よ、コースでも変えたの」
この先輩は本練習に入る前に音階や指慣らしをきっちりと行う人で、三年の二学期になっても引退せずに部活に参加していた。時計でも見ていてくれたのかと思って「何分ぐらい走ってました?」と聞くと「それはわからないけど」時間はわからないけど。
「楽譜を見ていると出ていったところと帰ってきたところが分かるでしょう。このところ間隔が少し短くなっているから距離を短くしたのだと思ったの」
パートが違うこともあって、あまり話すこともなかった後輩のことを気にかけてくれていたのだ。思わず感激して礼をを言うと「そんな…」と小さくつぶやくように返事をして彼女は練習を再開した。
私達の低音パートは、先輩達があっさりと引退してしまっていた。結構かわいがってもらっていたという自覚はあったので、このところ少しさびしくは感じていたので反応しすぎたかもしれない。
どれくらい早くなっていたのかは、計測などしていなかったのでわからなかった。それからは意識して掛け時計の秒針まで確認して走り出すようにした。別に記録に挑戦しているわけでもないし、いつも同じペースで同じコースを、体力づくりのために走っているつもりなのだからとは思ったが、能力が上がったのならそれはそれで嬉しい。
ちなみにこの秋の体育大会では1500メートル走であっさり一位になってしまった。陸上部員も出ていたからちょっと悪いことをしたとは思ったが、最初から独走状態になってしまったので仕方がなかった。記録も中学生としては選手レベルだった。
余談だが、この頃走る時のリズムは「美空ひばり」だった。頭のなかではテンポアップした「真っ赤な太陽」がずっとエンドレスに聞こえていたのだ。僕のほうには今ひとつ受けなかったのだが(おばちゃんがミニスカートって無理しすぎ)俺としては逆に若い「美空ひばり」に妙にハマってしまったのだ。何を歌わせても上手いよなほんとに。グループサウンズは俺には少し物足りなくて合わなかったのだ。もちろん口には出せなかったが。
早い話、この頃は何かと調子に乗っていたのだ。
空手系は当時悪役のイメージが強かった。たぶん姿三四郎の影響かと思う。梶原一騎が色々作品を出してから変わったように思います。それまでは主人公は柔道でした。




