9 トラブル
中学二年の夏には一家そろって引っ越しをした。少し山側のほうで、大きくはないが家族で暮らすには充分な一軒家を購入できたのだ。
父の能力は俺の予想以上(失礼な!)のものがあり、発明品の一部を商品として自家生産出来るようにもなっていた。もともと器用な人だったし、戦時中は陸軍航空隊の整備兵をやっていたぐらいだからエンジニアといっても間違いではない。
商才はない(と本人が断言していた)ので営業は顧問に紹介してもらって人を雇うことになった。それも良かったのかもしれないが経営は順調だった。
私達は(俺と僕)学業、時々発明、に安心して専念することになった。
そして月に一度ぐらい大阪まで行き妻の実家を捜す。あいかわらず手掛かりはなかった。せっかくだから大体は映画館によって神戸に帰る。
当時の大阪にはシネラマを上映する映画館があった。「ベンハー」とか「天地創造」とかは大阪で観た。首が痛くなるとかいう人もいたが、俺は好きだった。十列目ぐらいに座ればちょうどいい塩梅なんだ、あれは。目的がずれていくような気もしたが、僕の方は満足していたので良しとした。
もちろん映画は神戸でもよく観に行った。新開地に一番館と名画館があったから、たいがいのものは見逃すことがなかった。
この頃が一番気楽で良かったのかもしれないな。
なんといっても僕はまだ十四歳の中学生だ。その時はもう発明品に関しては対外的には親父の名前での事業活動になっていた。そのほうが物事がスムースに進んだのだ。だから僕は小金持ちの道楽息子を気取って日々を過ごしていた。
それで悪目立ちしたかというと、そうでもなかった。そこはなんといっても俺の大人スキルだ。自分の立ち位置を考えて行動することをいつも心がけていたからね。
同級生達から敬意をはらってもらうのは良いけれど、羨望や嫉妬は極力避けなければならない。学校内では質素なイメージ作りに気を払った。家を引っ越したことさえおおっぴらにはしなかった。遊びに来られないように気をつけた。クラブでの楽器だって学校の備品をそのまま使っていたぐらいだ。マイ楽器なんてとんでもない。成績はトップ、スポーツも得意、それで金持ちなんてとんでもない。
おかげで学校内ではトラブルに巻き込まれることはあまりなかったのだが、外を出歩いているとたまにはえらい目に合うこともあった。
二年生の夏休みに入った頃だ。映画を観ようと神戸の街に出かけた時のことだ。混んでいたので封切りのときに行かなかった「007・二度死ぬ」をやっていたのだ。俺の記憶ではあまり良い出来ではなかったと思っていたので、すぐに見ようとも思わなかったのだ。だってボンドが日本人に変装して敵の基地に潜入するんだぜ、ショーン・コネリーのあのでかい身体で、ほっかむりして漁師だかなんだかに化けるなんて、ちょっとねえ。それでもやっぱり見ておこうと新開地まで出ていった。
いくら歩き慣れた街といっても傍目から見れば中学生の独り歩き、不良グループに絡まれたって何の不思議もない。引っ越しを目前に控えて少し浮かれていたのかもしれない。ちょっと油断していたのだろう、気がつくと数人のグループに囲まれていた。
路地裏だとか怪しい店のそばとかじゃなくて、往来の真ん中だったんだが、そこが当時のこの街の事情では気をつけて置かなければならないところだったのだ。
さすがにこのまま路地にでも引きずり込まれると不味いことになる。逃げ足を使うことにした。正面から威嚇してくるやつに向かうふりを一瞬見せて、フェイントを掛ける。素早く振り向いて真後ろにいたやつの向こう脛を蹴り飛ばしてからその横を駆け抜けた。委細構わずとにかく走った。当然連中も声を上げて追いかけてくる。こちらも地元だ、ここらの地理はだいたい把握している。途中で横道に入り狭い路地を抜けてまた本通りに出る。ある程度は引き離せるが向こうも結構しつこかった。よく見知った建物が見えてきたので手前の道を曲がり裏手に向かった。そこにはたまに利用する名画館の入り口があった。走ってきた勢いそのままにサッカーのサイドステップの要領でそこに飛び込んだ。さすがに入ったところで足が滑り転んでしまうがそれが結果的には身体を外から隠すことになった。あとを追いかけて来た連中は路地の奥へと走り抜けていく。やり過ごしたところで反対側に逃げ出したいところだが、こちらもひっくり返ったことですぐには動けなかった。すぐに連中の荒々しい声が帰ってくる。これはちょっと不味いなと思っていると頭の上から声がかかった。
「こっちにいらっしゃい」
そちらを見るとチケット売り場の女性が手招きをしていた。
ショーン・コネリーが後年あんな渋い役者になるとは思いませんでしたね。本人的にもジェームス・ボンドの印象を早く吹っ切りたかったようです。ボンド役を降りてから撮った「未来惑星ザルドス」はともかく「風とライオン」はたしかにしぶかったです、長かったけど。




