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主人公は迂闊でした

 俺は義憤めいたものを、漠然と胸に抱えたままに街を彷徨っていた。


 その長めの散策は、うろつくというよりは一定の方向へと足が向いているような気がした。

 すなわち、文明の光に照らされた裏、影の部分。ナリタの闇の部分を、俺は無意識のうちに探ろうとしていた。


 馬鹿な、無謀だ。

 俺は何度も自分を罵ったが、どうにも女の我が身を止められず、持て余す。

 俺だって、前世では悪徳弁護士と呼ばれていた男だし、今は小さな部族とは言え、大勢の人間を統率する長だ。荒事や後ろ暗い交渉術は十八番という自負があった。


 それでも、数歩進むたびに「街へ潜る」というワードが頭をちらつき、それが「街に沈む」と変わった辺りから本能的な部分が警鐘を鳴らす。


 やがて光の恩恵から遠く離れていくにつれ、人は減り、その性質も悪化し、世界は、暗くなっていく。

 目より入ってくる情報は少なくなり、他の五感がそれを補うべく、貪欲にアンテナを広げていく。


 そうして得たのが、奇病と格差にさらされた文明都市ナリタ、その真の姿だった。


 鼻をつまみたくなるような腐臭がする。

 足元では虫が這いずるような音がしきりに聞こえる。

 そればかりじゃない。正体不明、出処不明の怪音異音は、絶え間なくひしめき合っている。

 背の高い建物と建物の、その合間にある闇の王国では、表立っては存在が許されない存在が、蠢いていた。


 足下に、子どもの遺体が転がっている。

 ……もしかしたら、それがただの孤児のものだったなら、まだ耐えられたのかもしれない。


 それが乳幼児や胎児だったので、俺は吐き気を催した。


 母の乳をまだ飲んでいたとしても不思議じゃない、へその緒で繋がっていたとしてもおかしくない。そんな未熟な子どもたちが、まるで野菜のように無造作に放り投げられて、微動だにしないでいる。


 酷いことをする。声に出さずに呻いた瞬間、俺は気がついてしまった。

のたれ死んでいるのは子どもばかりで大人がいないこと。

 いや、大人は、大人だったものの末路が、目の前に転がっている彼らだということに。


 モードリ病。あの奇病にかかった彼らは生活能力を奪われるまでに退化して、まともに生きていくことを許されないままに死んだのだろう。

 冗談としか思えない名前と症状の原因不明の病魔、その猛威に触れて俺は、初めて恐怖を感じた。


 そしてその不幸は、今死んだ奴らだけのものじゃない。

 例えば十歳前後の少年、のようなものが、同じぐらいの『年頃』の屍体から、文字通りの身ぐるみを剥ぎ取り脱兎のごとく逃げ去っていく。

 八歳ほどの少女、のようなものが、丈もデザインも合っていない赤のナイトドレスをはだけさせている。未だ病にかかってはいないであろう、浮浪者のじいさんの腕に擦り寄り、引いていく。物陰の深い闇へと沈む前の老人の横顔、そのギラギラと輝いた目と、劣情による浅い呼吸の繰り返しが、その向こう側で起こりうることを容易に想像させた。


 これで、まだ浅瀬。

 まだ、狭い路地には続きがあった。


 流石にこれ以上進む勇気も、精神的余裕もなかった。

小刻みに震えて言うことをきかない膝から下を無理やりに叱咤して、踵を返す。


 振り返った刹那、わずかな風が頬を撫でた。

 視界の片隅より飛び込んできたのは角材のようだった。

 本能的にのけぞろうとすり自分の身も、目の前の光景も、ゆっくりに動いて見えた。

 角材の木目も、それを握る少年の産毛も見えるほどに。


 頭を揺さぶられ、視界は横転し、明滅を繰り返す。

 次いで自分が倒れる音と、激しい激痛を、自身の危険を自覚した。

そして、


「油断大敵ですよ」


 どこかで覚えのある、舌ったらずな声が、意識の途切れる間際に聞こえた。




 しばらくして、目に落ちてきた水滴によって俺は目を覚ました。

「気がつきましたか」

 ぼんやりとした頭を抱えたまま、周囲を見渡し、声の主を捜す。

 窓や通気口のようなものが一切見当たらない、灰色の筐体の中、薄暗い地下のようだった。

 起ち上がろうとして、派手に転んでしまう。自分の失態を恥じるよりも先に、鈍い痛みが足下からせり上がってくる。


「最低限の拘束はさせていただきました」


 またしても声が上から降ってくる。

 その少女のような声に促されて、俺は自分の足首を見た。

 医療行為に不慣れな、だが乱暴ごとを得手とするような輩に施されたものだろう。裸のくるぶしから爪先まで、変色して腫れ上がるほどに、きつく荒縄で結ばれている。


 それは、誰の手によるものか。

 俺が襲われた、あのスラム街の誰かであることは容易に想像がついたが、問題は、それが誰の指示により行われたか、だった。

 それに、この声には聞き覚えがある。


 出会った頃のおどおどとした不安定さがなくなったし、マイク越しのわずかなハウリングがあったせいで、咄嗟には気がつけなかった。

 だが、ジワジワと我を取り戻していく俺には、次第にその犯人像がつかめてきた。

 できる限り頭をそらせて、高い天井を見上げる。

 十メートル以上先の天井近く、そこに切り取られたガラス窓の向こうに、白衣をまとった彼女は立っていた。

 こちらに視線を投げかける、十二歳ほどの外見の少女……いや二十五歳のちいさな才女の姿があった。


 俺は何度も深呼吸をする。肺の中の空気を入れ替え、脈を整えてから、彼女の名を、呼んだ。



「なんのマネだ、アリス」



 白衣姿の少女は、初対面の頃からは打って変わって、自信と才気に満ちたゆったりとした口調で、


「貴女がいけない。あのような場所に行かなければ、もっと穏便にこちらへお連れすることができたのに」


 どうやって、あの場所が分かった?

 そう問う前に、俺の脳裏を機械の端末の影がよぎる。

 しまった、と小さく呻いた時には遅かった。受け渡された携帯端末には、発信器でも取り付けられていたのだろう。

 この世界に下り立って以来、久しく文明の利器に触れていないブランクが、その辺りの警戒心を鈍磨させていたようだった。


「我が国の『弱み』を見せてしまったら、交渉の余地がなくなるではありませんか」


 ……なるほど、と俺は唇を歪にした。

 確かヤムヤムを手渡さなければそのうち自滅するような国であれば、主導権は唯一無二の解決手段を持つ、俺たちにある。それを恐れていたのだろうが、俺は見てしまった。


「それに、調べてみたところ、薬効はモドーリのみのものではない。高い免疫能力を得ることができると判明しました。言わば万能薬を精製できるのですよ。……その一滴に、いったいどれほどの金が積まれるのでしょうね」


 陶然と言の葉を紡ぐ少女の貌をした悪女を、俺は心の中で唾を吐いた。

 魔女め。

 彼女の案内した施設や軍用らしき飛行機など、そこから察するに、この女がある程度の社会的立場と財力を持つ側の人間だと気づくべきだった。あどけない女の子の姿が、俺を惑わせていた。


 そしてこの時点ではもう、俺は何故拘束されたのか、その理由も分かっていた。


「……ですが、いただいたヤムヤムだけでは足りないのですよ。このナリタ中の病人を完治させるにも、まして金の卵を産ませるにしても。とはいえ、見てのとおりこの地には開墾し、ヤムヤムを増産できる余裕などないのです」


 だから、という俺の心の声と、マイク越しのアリスの声は重なった。


「だから、貴女の国をいただきます。蛮人どもに与え続けておくのは惜しいですから。ですが、貴女は猿の長にしては多少頭があるようでしたので。……貴女さえ人質にとれば、あとは有象無象だけよ」


 未開の蛮人だと? 猿の長だと?

 このナリタに負けず劣らぬ文化と、闇とを経験し、そこで培った知恵をフルに活用して一から国を作った俺の労苦なんて、こんな小娘に分かるものか。

 そう吠えたかったが、遠ざかる野心家の背を、俺は臍を噛んで見送るしかなかった。


 確かに、そうした経緯を見ていない連中からすれば、俺なんて蛮族の王様程度でしかないのだろう。

 インカ帝国を征服したピサロの優越感を、あのアリスも共有しているに違いない。

 とすれば俺は処刑台に送られるアタワルパといったところか。……想像してみると我ながら滑稽だ。


 ……何度、自分に言い聞かせれば気が済むのだろう。

 人間は、利用する側と、される側に分類される。

 

 この十年間で、いつの間にかする側に立っている気分になっていたがクソ猫や女神に遊び半分に女にさせられ生きていることに変わりはない。

 俺は、利用される側の人間だった。


 サオリ、だったかサクラだったか、とにかくよく名前も覚えていないあの女もそうだった。

 殺された安部もそうだった。

 俺の後頭部を撃ち抜いたとかいうアメリカ女も。


 無知であろうと純真であろうと、人は皆、突き詰めればおのれが可愛い。


 人の性は、悪だ。

この回は瀬戸内弁慶が担当しました

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