天才弁護士 間宮勝弘
あの頃は、江川教授による無差別連続殺人が、世間を随分と騒がしていた。最初は、犯人は精神異常者で直ぐに警察に捕まるだろう、とされていた。しかし、一連の犯行では、現場には犯人に関する手がかりが全く見つからず、逮捕はおろか犯人像すら明らかにならなかった。江川教授、という名前だって、『江戸川乱歩』 とホームズシリーズで有名な『モリアーティ教授』 から取って付けた週刊誌の造語だった。
その頃だったはずだ。枝川忠司 が俺に弁護を頼んだのは。もちろん、まさかこの男が江川教授だとは全く気づいていなかった。
容疑は殺人事件だった。早朝に歩いていたサラリーマンをナイフで切り付けた事件。もちろん当事者から見れば大変な事件だろうが、世間的には日々起こるニュースの中の一つ。実際、俺自身もほとんどこの事件には無関心だった。そんな中、唯一興味をそそったのは、その程度の事件に多額の依頼料を使って、俺を使命したことだ。だが、当時は金に目がくらみ、ほとんど意識していない。
今思うと、奇妙な点がいくつかある。
枝川は警察の事情聴取では犯行を自白していた。だから、警察はまだ充分に証拠固めが終わってない中、検察に身柄を引き渡し、その後枝川は起訴された。だが、枝川は裁判が始まると、無罪を訴え始めたのだ! これはとても奇妙だ。なぜ、枝川は自白などした? これは怪盗にも伝えたことだが、おそらく枝川は本当にこの事件ではシロだった。だが、だとしたら、最初から自白などしなければよいではないか。当時、俺は法廷で、
『警察による横暴な取り調べのせいでこんな悲劇が起こったんだ』 と言ったものだが、本当にそうだろうか。全国各地で殺人を犯し、尚且つ証拠一つ残さなかった聡明な男が、強引な取り調べに音を上げた。そんなことが本当にあり得るのか?
そうだ、例えば、真犯人を庇っているというのはどうだ? 真犯人の正体を知り、そして何らかの理由で身代わりになった。これなら筋が通る……のか?
いや、待てよ。何かが俺の中で引っ掛かる。どこか腑に落ちないのだ。
さっきの例が正しかったとすれば、なぜ途中で自らの無実を訴え出したんだ? 折角真犯人を庇うために、警察で自供するという危険を犯したんだ。そのまま罪を認めれば、真犯人は永遠に捕まることはなくなるのに。
いいや、違うと俺は自分の考えに首を振った。多分、そこまでしてやる気はなかったんだ。だって、法廷で完全に罪を認めてしまえば、他に自分が犯した殺人も、ばれてしまうかもしれない。そうすれば死刑は免れないだろう。自分が世間を騒がす『江川教授』 だとは、絶対に知られたくないはずだ。一つの殺人を肩代わりするのだって大変なことなんだ。それが、自分の犯した連続殺人まで加われば……。おそらく枝川は自分の命までは捧げたくなかったんだ。
となると、枝川の目的は時間稼ぎということか? 枝川が犯人だと思われているうちに、真犯人が外国などの安全な場所に逃げる。そして、真犯人が安全を確保したあと、枝川が自分の無実を訴える……。だが、これにも疑問が残る。目的が時間稼ぎだとしたら、自白するのはまずくないか。だって、それがあったからこそ起訴するに至ったんだ。もし、事情聴取でもっと沈黙を保っていれば、事が起こるのは遅れただろう。
どうも枝川の行動には不可解な点がある。いったい奴の目的はなんだったんだ? 奴は何をしたかったんだ。
俺は一度大きく深呼吸をする。色んな事をいっぺんに考えるのは悪い癖だ。
俺は懐からペンとメモ帳を取りだした。
目の間にいる怪盗は何も言わず、興味深そうに俺を見つめている。視線があうと、何となく気まずい気分になって、俺は外に視線を向けた。
外はもう真っ暗だ。空には雲一つなく、満月がポツリと寂しそうに浮かんでいる。ブルー達が入った洋館には微かな明かりが灯っている。所々煉瓦がひび割れていて、建てられてから随分と時がたっているのが分かる。
とても静かな夜だ。だが、この静寂も長くは続かない。明日には谷垣と会うだろう。また混沌とした戦いに没頭しなきゃならない。いつかまた、こんな夜を迎えられるためにも、負けられないのだ。
俺はメモ帳の真っ白なページを開いた。まずはここに、明白な事実(俺が推論したものではなく、確実に起こったといえること) を書き出す。
1. 江川教授は世間から殺人犯として認知されている。
2. 枝川忠司が殺人事件で警察に捕まり、自供をする。枝川の正体は江川教授であり、この殺人事件は江川教授連続殺人事件の一つである。
3. 枝川が俺に弁護人を頼む。
4. 裁判で突然、枝川が無罪を訴える。
5. 結局、枝川は無罪となる。その後、襲撃女の母親が捕まる。この母親に有罪判決がくだる。
6. 枝川は少なくともこの事件では本当に犯人ではない。
字で一杯になったメモをぼんやりと眺めてみる。ふと、変な気分に陥ってくる。このメモに書かれたことは全て、真実のはずだ。だが、なにか奇妙な、ちぐはぐで、道理の合わない部分があるような気がしてならない。
俺はもう一度よくこのメモを見つめる。
もしかして、6がその原因ではないか。俺の脳が一つ考えを導き出した。
枝川が本当の犯人ではない、というのは俺が裁判の時に感じたものだ。これは何か論理的な確証からなるものでもない。あくまで俺の感じたことにすぎないわけだ。明白な事実のみを書いたメモの中に、6があるから違和感を引き起こしていた、というわけか。
いや……待てよ。だが、やっぱり6が明白な事実だとする方がしっくりくる。
そもそも、なぜ俺は枝川の無罪を勝ち取れたんだ。悔しいからあまり何度も考えたくはないけれど、郷田検事と俺の実力は拮抗していた。いや、今思えば奴の方が僅かに上だったかもしれない。つまり、だ。
俺はあの勝負で勝てるはずがなかった。だが、なぜか勝った。
枝川は無罪放免となり、俺は無敗記録を維持した。理由は簡単だ。枝川は本当に無実だった。さすがの郷田も、検察の中で天才と呼ばれたあの男でも、俺を相手に真実をねじ曲げることは出来なかったんだ。シロをクロにしてきた男が真実をねじ曲げれなかった。ああ、まるで矛盾しているように思われるこの事柄が、しかし紛れもない事実だなんて、なんて可笑しな話だろう。
やはり、6は明白な事実だ。なら、だとしたら、俺の心を支配しているこのわだかまりは何だろう。きっと何かがおかしいんだ。決定的に。でも、一体なにが?
俺は今まで自分の人生に降りかかってきた出来事を振り返ってみた。何千何万という記憶が次々と脳内で鮮やかに写し出されていく。
時も場所も次々と移り変わり、多くの情景を作り出す脳細胞は次第に悲鳴をあげ始める。頭は割れるように痛みだし、耳では不快な耳鳴りが鳴り響き、背中からは嫌な汗がだらだらと流れ出す。肉体的な限界にたどり着いたとき、俺の中に稲妻にも似た衝撃が走った。ある一つの、恐るべき答えが頭に浮かんだのだ。
――俺はあの男から、いつ爆発するかも分からない危険な爆弾を送り付けられたんだ!
嗚呼、なぜ気づかなかったんだろう。そもそも、俺はもっと注意し警戒するべきだったんだ。転生者の動向に。
全容にたどり着けたのは、こうじの行動にある。こうじは郷田の部下だから、こうじの行動は郷田の行動だと読み取れる。
こうじはアリスを薬漬けにした。だが、本来ならそんなことをする必要はない。もし俺が郷田の立場なら、絶対にとらない選択肢、打つべきではない悪手だ。
アリスはこの世界で成功した部類の転生者だ。彼女はナリタという大きな国を、後ろから牛耳っていたマザークラウンの娘。それこそかなりの権力を掌握していたはずだ。
俺なら、アリスを生け捕りにする。この世界の情報を多く知っているだろうから、上手く使えば自分の地位を更に安定させることができる。薬漬けにしてわざわざ手駒を駄目にするなんてことはしない。
なら、なぜこうじは、いや、郷田はそんな行動を取った? ――きっと、用心深い郷田は転生者を最大限に警戒し、恐れているんだ。だから、メリットを捨ててでも、アリスを潰しにかかった。そして、その警戒は決して大袈裟なものではなかった。アリスはいち早く自分の身の危険に気づき、影武者で対処した。先の先まで見据えた、恐ろしい読み合いである。一体アリスがどこまで考えてそんなことをしたのかは知る由もないが、とにかく一筋縄でいく相手ではない。
さて、そこから考えれば、なぜ影の薄い襲撃女が俺の元に辿り着いたのか、分かる。彼女は郷田の裏をかいて、俺と共にナリタを掌握し、その後に郷田の国を襲う算段だった。だが、郷田はそれも想定の内だった。いや、というより……。
――郷田が、彼女が自然と自分を裏切るように仕組んだ。
これは、俺が書いたメモ帳への違和感が鍵になっている。あの違和感は2の、
『枝川の正体は江川教授である』 の部分からきていたんだ。この情報を鵜呑みにしていたからこそ、俺は全体像を掴めずにいた。
そもそも、この部分は、俺自身が体験したものではなく、人から聞いた情報である。その時点で疑うべきだった。
2の情報はこの異世界に来て、襲撃女から聞いた話。そして、襲撃女は言っていた。
この話は郷田から聞いた、と。
嗚呼、いかに俺が物事を深く考えていなかったのか、今さらになって悔やまれる。つまり俺は、敵対していた相手の戯れ言を疑いもせずに信じ込んでいたんだ。枝川が連続殺人犯だというのはブラフだったんだ。
おそらく、郷田は最初にあの女をスパイとして俺に送り込もうとした。だが、あの女は理屈より感情で動く直情的な奴だ。それじゃあ直ぐにスパイだと見破られてしまう。
だからこそ、郷田は、あの女に、『枝川が殺人の犯人だった』 という嘘をついた。そうすればあの女に『母親は冤罪だった』 と思い込ませ、裁判関係者である俺や郷田自身に恨みを持たせることができる。
ここまでくれば郷田の思考など手に取るように分かる。おおかた奴はこう考えたのだろう。
『恨みを持ったあの女は自分の元から離れ、間宮の元へ向かうだろう。そして、同盟を組みこの俺を殺そうとする。なに、あの女は愚かで単純だ。間宮は所詮弱小国の王女。それに比べ俺は大国の王。先に同盟を作って厄介な俺を殺し、その後に油断した間宮を殺そうとするに決まっている。
だが、あの女はいつか気づくことになる。この俺の強大な力を。間宮程度の小物と組んだぐらいじゃ、どうすることもできないことを。そのとき、あの愚かな女はどうする? どう行動する? 馬鹿でも分かる簡単な話だ。間宮を殺し、その首を俺のもとに持ってくる! そこで喜び、隙が出来た俺を殺す、といったところだ』
郷田の思考はこのようなものだったに違いない。俺からすれば、あの女は強力な味方ではなく、いつ爆発するかも分からない爆弾、というわけだ。
たぶん、あの女が俺に見切りを付けて殺し、その首を持って行った段階で、用心深い郷田は襲撃女を殺すだろう。全て奴の手のひらで事が起こるというわけか。
なら、ここまで理解出来た俺はどうするべきだ? 凡人なら、ここで危険人物である襲撃女と手を切ろうとするだろう。だが、その理由をどう説明する?
『お前は裏切りそうだから同盟を破棄する』 なんて言ったところで納得するはずもない。かといって郷田が考えたであろう策略を説明しても、あの女ではどこまで理解できるか怪しい。だが、そこできちんとした理由を言えなければ、あの女は反感を持つだろう。運が悪ければ、それだけで殺されるかもしれない。
爆弾を見つけても慌ててはいけない。もし、焦って振動でも与えてしまえば、それだけで爆発するかもしれないからだ。
俺は笑った。声をあげて笑った。目の前の怪盗は俺の奇行ともとれる姿に驚き、嫌そうに目を細めた。
「いったいどうしたんです? せっかくこれから部下の谷垣おじさんに会えるというのに。ついに気でも狂いましたか」
「これが笑わずにいられるか、サンシャイン。郷田の奴、何もかも自分の思い通りになると思ってやがる。思い上がりも甚だしい」
確かに襲撃女は危険な存在だ。いつ、どんな刺激で爆発するか分からない爆弾。だが、簡単な話だ。
爆弾は、爆弾処理班に任せればいい。
郷田は検察時代に培った『嘘』 であの女を爆弾に仕立てあげた。俺様を誰だと思ってやがる。天才弁護士、間宮勝弘だぞ。嘘は得意中の得意だ。この爆弾を嘘で、俺の都合の良いように作り替えてやればいい。
ここからが反撃だ。
この回は山元周波数が担当しました




