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主人公は選択を迫られるようです

 正解だ、と霞のかかったような声で猫は笑った。

 余裕ぶった態度だが、実のところ乗せられたあげくに口を滑らせただなんて本猫は思ってもいないだろう。そして相手に操作された自覚を与えずコントロールすることこそ、話術の妙とも言える。


「まぁ、その『裁判官』、今ここにいるんだけどな」


 だが、予想外の事実が予想を上回る速さで俺の目の前に現れた。文字通りに、夜の帳を開いて。

 暗黒の空間がうっすらとカーテンのようにまくれあがり、その奥にあった部屋の、一面の白さが目を刺した。

 そこはどこかの病院の一室のようだった。それも、相当に特殊なタイプの。周囲の機材、ベッドで眠る人を覆い囲む半透明の防護シートがそれを示してくれる。


 呼吸口以外を包帯で覆われたその傷病者は、一見して男女の区別がつかない。

 ただ、異様に痩せ細っている。生命の危機だということは素人目にも分かった。

 彼、もしくは彼女の周囲にはスタッフが在駐しているようだったが、そいつらの肉体は停止していた。時が止まったように。いや実際女神様のお力とやらで留められていて、空間ごとここに転移させられたわけだ。

 ただ無感動に重篤者の周囲にはびこっている。時が動き出してもこいつらは、無感動に、事務的に、意識があるかどうかわからない対象の周囲を巡っているんだろうな、という察しはついた。


 そのシートを存在しないかのように通過して、猫はベッドのへりに飛び乗った。

 キャスターでも四脚についているんじゃないかというほど自然に、ひとりでにベッドはスライドし、俺たちの、闇の側へと移動させられる。機材と肉体をつなげていたチューブは外れ、機材のディスプレイは危険もしくは異常を報せる赤い点滅をくり返した。本来なら、まぁ警告音も鳴るだろうが音まではこっちに聞こえてこない。


「おいおい」

「良いんだ、どうせ現代日本じゃどうしようもない病だ。しかも長くない。百万に一人、いや億に一人だったか? どのみち明確な原因も解決法も見つかってない死病なんだよ、こいつは」


 それほど同情した様子も見せず、白い塊は淡々と言う。

 現代日本、とも言った。間違いなく言った。俺のいた世界が。

 となれば話は早い。このどうしようもならない状況を打破する鍵は、今俺の手の届く先にある。なりふりかまわず現代に逃げ帰っても良い。はたまた新たな知識、情報、武器を仕入れてこの世界で優位に立っても良いってわけだ。

 ――強烈な望郷の念は、鼻をツンとさせた。

 猫の言う通り、世界の転換期とも言うべきチャンスがそこにはあった。


「あ、妙なことは考えんなよ?」

 行動に移す前に釘を刺された。

「まぁ戻っても良いけど、どのみち助からないんだよ。お前。つか、そこが今回呼んだワケのミソなんだからよ」


 それから、視線を向け順を追って説明しようという気配を見せた。

「この裁判官は、不幸にも法で罪人を裁く前にわずらっちまった。もって半年、あぁ延命装置から外れたから一日と保たないけどな」

「それが俺に関係あるのか? ご愁傷様とでも言えば良いのか、それとも一日でも早い回復をお祈り申し上げますとでも慰めりゃ良いのか? この意識があるかも分からない、ミイラもどきに」


 そう皮肉を言ってやると、猫の大きな目が三日月型に歪められる。嗤っている。

 そんな強がり無駄だと。意味のない虚勢だと。


「『蜘蛛の糸』って知ってるか?」


 だが白猫は、嘲笑とは裏腹に真剣な調子で尋ねてきた。


「……あ?」

 当然と言えばそれまでだが、その突如の問いの切り返しに俺は即答できなかった。

 蜘蛛の糸。まんまの言葉の意味じゃ、エサを絡め取る粘着性のアレか。

 そして次に思い描いたのが、陰鬱な作家のしかめっ面。


「芥川龍之介のほうだよ」

 後者の考えが正しいと、まるでこっちの心理を読み取ったかのように猫は言った。

 義務教育で得た最低限のあらまししか知らないが、それで良いのか不安になる。


 まぁ畜生がそれよりも造詣に明るいとも思えないけどな。


「こいつは、その糸と同じなんだよ」


 抽象的な猫の言葉から、俺は改めて患者を見直した。

 切り離されたチューブは、それを必要とする当人と、現実世界に繋がる境目でだらしなく垂れている。

 何本も絡みついたその有様は、蜘蛛の糸に見えなくもない。

 ただ要領の得ないコイツの説明は、何を意味しているのかがまったく見当がつかなかった。


「えー、だからだなァ……あぁっ! ックソ、めんどくせーな。女神からは思わせぶりな態度で散々引っかき回したあげくに重要な場面でドカンとネタバレするよーに! とか言われちゃいるが」


 猫は俺の目の前で顔を洗うように、前肢で自分の頭部を撫でた。

 中身さえ考えなければ愛らしい仕草だが、擬人化してみればそこらのチンピラがバリバリとだらしなく頭を掻いているようなものだろう。


 そして俺をまっすぐ見たその畜生はいつもの調子でこう言った。


「良いか? 目の前のこの裁判官は、魂の根っこのところで他の転生者と繋がってる。そしてその死はそのままそいつの死も意味するんだよ。逆にそれ以外のメンツは、その二人の生命エネルギーを使って、晴れて現実世界に蘇生できる。だが万が一、こいつの病気が回復できればそいつは生き残る。すると今度は逆のことが起きる」


 これ以上ない静寂が、一層深まった気がする。


「……おい、逆のことってまさか」


 俺の質問を皮肉な笑みで遮って、これ以上話す気はないと、細めた両目が伝えてくる。


「さて、目の前に垂れた糸にしがみつく亡者か? それとも自らそれを切ろうとする罪人か? ……今度は、お前が裁きを受けるときなんだよ」

この回は瀬戸内弁慶が担当しました

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