主人公は手を結ぶことにしました
「知っているか。お前はすでに江川教授に会っている」
「何?」
立ち位置を尋ねた俺に帰ってきた言葉は、そんな一見見当違いの答えだった。訝しむ俺に向ける威勢のいい女の顔が、小馬鹿にするような笑みから呆れ顔に変わっていく。
「お前は自分が弁護した男がどんな人物だったかも調べなかったのか。正直なところ、お前は憎たらしいが優秀な男だと思っていたよ。買いかぶりだったな」
「…………」
俺が江川教授を弁護していた? そんなはずはない。江川教授はただ連続殺人犯に与えられた記号であって、警察はその足取りを全く掴めていなかった。当然起訴されるはずもない。
しかし、この女は本気だ。この女は江川教授の正体を知っている。さらに、その男を俺が弁護したと言っている。ありえない。ありえないことだが、一つだけ可能性がないわけではない。それは……
「察しがついたかい? そうさ。江川教授はしくじったんだ。いくつもの完全犯罪を成し遂げてきた奴が遂に足を付けてしまった。たった一度のミス。しかしそれで十分さ。あいつの悪運が尽きた瞬間だ。そして全てが清算される。過去の犯罪も含めてきれいさっぱりね。そのはずだった」
威勢のいい女が目を鋭く細め、憎悪の眼差しを俺に突き刺した。体が硬直する。この感覚は初めてではない。ついさっき味わった感覚だ。目の前の女が俺の頬を切りつけた時に向けていた目。この期に及んでまだ確信できていなかったが、これで疑いはなくなった。起きた出来事の割にいまいち記憶に残らなかった女、俺を本気で抹殺しようとしていた女は今目の前にいる、この女だ。
「つまり、俺は江川教授が起こした中の一つの殺人に出会い、それを一連の連続殺人とは独立した一つの殺人だと考えて弁護したわけか」
「そう。江川教授は今まで自分の痕跡を一つも残していなかった。だから一つの事件で捕まっても他の事件との関連性を掴むのは難しかっただろう。それは警察も含めてその事件に携わった者すべてに当てはまることだ。しかし、もしそいつがちゃんと、真実の通り有罪判決を受けて、さらに動機などが精査されていけば自ずと明らかになったんだ。その男こそが……」
「江川教授、だということがか」
威勢のいい女が瞳の中で憎しみを燃やしながら、ニヤリと笑った。
まあ、俺が江川教授の弁護をしたとこの女から聞いた時点で分かったことだ。俺は死ぬまでに一度たりとも敗訴したことがない。つまり、その事件で江川教授は無罪を手に入れたのだ。
「……質問を一つ増やさせてもらおう。江川教授の本名は?」
「枝川忠司」
威勢のいい女は今までのように回りくどいことをせず、淡々と答えた。
「枝川忠司……」
俺はその名を憶えていた。俺は弁護した相手を一々憶えているようなマメな人間ではない。弁護士と被告人の関係は一度の裁判限りだ。裁判が終わればそれっきり。そんな相手の名前なんて憶えている方がどうかしている。ただ、その男に限って俺はその名を記憶していた。理由は二つあり、一つは何でもないような日常茶飯事程度の殺人事件にも関わらず大金を払ってまで俺に弁護を申し込んだその男が珍しかったから。もう一つは、枝川の裁判のときの相手、検察側に立った男が検察局で最強と謳われた男だったからだ。
「さあ、ここまで言えば鈍いお前でも答えが分かったろう」
こいつがなぜ俺を知っているのか。そして、この世界での立ち位置。
「……お前は江川教授の生んだ被害者の関係者、ということか」
俺の答えを聞いて一瞬キョトンとする威勢のいい女。しかし、次の瞬間には声を上げて笑い出した。腹をよじり、けたたましい笑い声を隠そうともしていない。一々カンに障る女だな。
散々笑った後、上半身を起こしながら目尻に浮かんだ涙をハンカチで拭い、愉しそうに微笑んだ。嘲りを含んだ笑み。
「いや、ハハハ……可笑しい……ああ、苦し……」
こみ上げる笑いを抑えられないのか、女はまともに喋れていない。
「何がそんなに可笑しいんだ」
とどまることを知らない威勢のいい女の馬鹿にした態度にそろそろ本気でキレてしまいそうだ。
「フフフ。さっきも言ったけど、本当にアンタは単純なんだなあ。ホント、想像力が足りないというか……」
「何が言いたい」
苛立たしげな俺に向ける女の顔から笑みが消えていく。
「言った通りだよ。お前は想像力が足りない。まあ、それも仕方がないかもしれない。なにせアンタは誰かが有罪判決を、刑罰の執行内容を言い渡される瞬間を見たことがないんだから。でもちょっと考えればわかることだ。アンタがいくら被告人を無罪にしようが事件自体は無くならない。分かるだろう? 事件にはそれぞれ落としどころが必要なんだよ。警察検察が懸命に固めた容疑をアンタがぶち壊しにした後は、警察は他の容疑者を引っ張ってこなくちゃいけない。そいつがどれだけシロに見えようが関係ないんだ。最有力候補の容疑者が裁判で無罪判決という最高のアリバイを手にしてしまった後さ。それも仕方ないよねえ。そして憐れな二番目の容疑者は有罪判決を受け、人生を潰されるんだよ。一つの事件にケリをつけるためにね」
「…………」
無言で聞く俺を一瞥すると、女はさらに続けた。
「お前は今まで考えた事もないだろう。お前が真実を捻じ曲げて無罪にした薄汚い犯罪者の代わりに冤罪を被る人達のことを。私の母もそのうちの一人だったんだよ。お前に殺されたんだ。母は。それにも拘らずお前は裁判にかけられることもなく、当然のようにブルジョワ生活をエンジョイし続けたんだもんなあ? 挙句の果てに殺されても、女神様に気に入られて転生ときたもんだ。羨ましいよまったく」
随分長くペラペラと喋り続けた女は俺を詰るだけ詰って満足したのか、肩を落としてニヤリと笑った。俺はと言えば、女の話を聞きながら内心で呆れかえってしまっていた。なんだそりゃ。裁判に負けた母の敵? 下らない。連続殺人鬼に母を殺されたのならまだ同情できたが、裁判で敗訴した負け犬の母の敵討ちとは。敗者はすべて失うのが生き物の世界の掟じゃないか。俺を恨むのはお門違いもいいとこ。恨むなら現代日本の裁判制度を恨めばいいものを。俺はただルールに乗っ取ってゲームに勝利しただけだ。
「まあ、お前が俺を恨んでる理由は分かったよ。全く、下らないことに無駄に時間を費やしちまったな」
「何?」
ギロリと睨む女を無視して続ける。
「もう一つの謎々だが、もう解けちまった。お前のこの世界での立ち位置ってやつだが、まあちょっと考えれば分かる。お前は真実ってやつに大層ご執着のようだからな」
「…………」
今度は女が黙って俺が喋る番だ。相手を説き伏せるのが好きな俺の頬は自然とほころんでしまう。
「まず、お前にいらん知恵、枝川が江川教授だって情報を授けたのはあいつ、郷田慧だな」
女が不機嫌そうに小さく頷いた。
郷田慧。かつて検察局で最も優秀だと言われていた男。俺がクロをシロにする男なら、やつは俺の真逆、シロをもクロにする男だった。俺と同い年であり、俺と同じように無敗の歴史を築いてきた男は、傷害致死の罪に問われた枝川忠司の裁判で俺と初めて対峙した。そして……
「警察さえ掴めていなかった江川教授の正体を掴むことができた人物がいたとすれば、あいつしかいないだろう。まああいつも顔立ちは良かったからな。面食いらしい女神に気に入られたのも納得だ。そして、この世界じゃ割と有名らしい俺が転生してきたという情報を手に入れたあいつはお前を利用しようとしたんだな」
「なんだ結局全部君の前世での悪行が原因じゃないか」
今まで黙って成り行きを見守っていた怪盗がぼそりと漏らした。無言で怪盗の左つま先を踏みにじり、呻き声を無視する。
「だがお前は奴の裏を掻くことにしたんだな。何せお前は……」
「真実を捻じ曲げるやつが許せないから」
女が俺の言葉を先取った。
「あいつもお前と同じように罪もない人々の人生を狂わせてきた張本人だ。しかも、母の裁判に限って敗訴しやがった。ある意味お前より許せないよ」
「フン……」
女の戯言を聞き流す。
「あいつはおそらく俺と同じように自分の国を作った。そうだろう?」
コクリと女が頷くのを確認する。
「お前は俺を利用してこの国を奪った後、その力を使って郷田を潰す気だな」
威勢の女は驚きの表情を浮かべた。
「ビックリだな。いつの間にそんなに察しが良くなったんだ」
「さっきまではお前の茶番に付き合ってやっていただけだよ。正直お前の前世なんて興味なかったからな」
互いに皮肉りあって睨みをぶつける俺と女の間にまあまあと言いながら怪盗が仲裁に入った。
「二人とも、落ち着いてくれよ。これで分かったじゃないか。互いに互いは利用できる。共同戦線が張れるんだ。この場は矛を収めて収めて」
俺と女に向け交互に愛想笑いを浮かべる怪盗を見ているうちに、馬鹿馬鹿しくなってしまった。自然とため息が出る。俺は女から目線をそらした。
「後は就活女の方だが……」
今までの間一言も挟まず、心ここに非ずという風に髪の毛をいじっていたもう一人の女に目を向ける。就活女はチラリと俺を見ると、すぐに興味を失ったように今度は袖口を弄り始めた。
「まあもうお前らの目的も分かったし、お前の方はいいや。興味もないし、時間も無駄にしたくないから行こうぜ」
「えぇ!」
今までまともに見ようとしなかった俺を見て、就活女は口をポカンと開けていた。凄くショックを受けているのが目にとれた。自己紹介したかったらしい。
「そうだな。早い方がいいのは確かだ。これからナリタ首都部を強襲する。作戦は考えてきてるから、行く途中で説明してやる」
「ひ、酷い……」
歩き出した俺たちの後を、がっくりと肩を落としながら就活女がトボトボとついてくる。
4人組になって移動しながら、俺はあることを考えていた。威勢のいい女が拘る真実。その真実を、俺は話すべきだろうか。真実はいつだって甘いにおいを発する毒だ。知ったってろくなことにならないのになぜか欲してしまう。女が真実を知らないのは一見哀れだ。しかし、伝えることに躊躇いを感じてしまうのは俺がこっちの世界に来てから丸くなった証拠だろう。
俺は優秀だが、決して驕ったりはしない。あの裁判、枝川の裁判で察したことだが、検察側の郷田と俺の力量は互角だった。あいつは天才だった。神がかり的に頭が切れた。その才覚は証言台を挿んでもヒシヒシと伝わってきたし、俺は生まれて初めて戦慄を覚えた。結局、俺があいつに勝てたのは運が良かったからだ。いつもはないがしろにしてきた真実に救われた。俺と郷田の差は、真実が味方したかしなかったかの違いしかなかった。それを俺は、伝えるべきだろうか。
この回はおもちが担当しました




