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主人公は貧乏でした

 濡れた土の生臭さ、爪の間に入り込んだ雑草や泥が俺に強烈な不快感を与える。


 素手で地面を掘り返すなんて保育園の砂場以来だったが、ここでの生活ではそれは特別なことではない。むしろ、ひどく日常的なことで誰ひとりとしてこれが粗野な行いだ、と気づく者はいない。


 俺の隣で全身を泥まみれにさせて、地面を掘り返していた男がいきなり奇声をあげる。みれば、男の手には太くゴツゴツとした木の根のようなものを握りしめている。あれはヤムヤムという芋の一種だ。かつては美食家としてならした俺にとって、あんな芋など喰う価値もないものだった。


 しかし、今の俺はあの芋が欲しくて欲しくて堪らない。


 なぜ、俺が大地に這いつくばって芋を掘っているかといえば、ここが文明の息吹も感じられない野人の集落だからだ。


 猫は言った。

「とびっきり貧乏で、貧相な家にお前を送り込んでやる」

 それがまさか、こんなジャングルという言葉がふさわしい密林の奥地だとは予想だにしなかった。


 そもそも、貧相な家というものさえなかった。

 俺が生まれ変わった瞬間、最初に見えたのは青い空だった。天井はない。あるのは木の葉っぱを敷き詰めた鳥の巣のような場所だけだった。そこで真っ黒に日焼けした目だけぎょろりと大きな女から俺は生まれたのだ。


 それでも、俺は多少の自信があった。どんな場所であろうと、どんなに貧乏な境遇でも、俺の才幹と器量があれば成り上がれる。しかし、それは俺の知識や弁論法を活用できる文化的な世界での話だった。


 ここには文化というものが存在しない。


 まず、言葉という概念が無いに等しい。


 この集落で発せられる言葉は少ない。言葉といえるものは芋を表す「ヤムヤム」、狩りを表す「モリモー」そして、食事を表す「ンモー」である。それ以外は手を振る、指差すなどの身体言語や奇声を上げるといったことで感情を伝えるのである。このような環境では俺の得意とする弁論術も活用することはできない。


 生まれ変わってから俺はこの集落に住む人間に繰り返し言葉を教えようとした。しかし、言葉という概念がない者にどんなに言葉を投げかけても、奇声をあげているようにしか見えなかったらしく、そのことごとくが失敗した。


 なによりも屈辱だったのが、言葉を広めようとするたびに俺を生んだ女に殴られることだ。

 こんな知性の欠片もない女になぜ、俺が殴られねばならないのか? また、この女が俺を頭の悪い不憫な子、というような哀れみの瞳で見てくることもそれに拍車をかけた。


「同情するなら、言葉を覚えろ!」

 と、俺は何度も叫んだのだが女には全く理解してもらえなかった。


 理解はしてもらえなかったが、女にとって俺は可愛い子供だったのだろう。奇声をあげ続ける子供に女は甲斐甲斐しくヤムヤムを与え続けた。


 ヤムヤムはこの密林のなか、どこにでも埋まっているものではない。限られた場所の地面深くになっているのである。当然、ヤムヤムを上手に掘れる者、掘れない者があり。集落ではヤムヤム掘りが上手いほど認められる。女は決してヤムヤム掘りがうまいわけではなかった。だが、わずかに取れたヤムヤムを迷わずに俺に与え続けたのである。


 ヤムヤムのおかげか俺は病気にかかることもなく育つことができた。俺が十二歳くらいになった頃だろうか。女は急に死んだ。おそらく、俺にはヤムヤムを与えながらも、自分は野草などを食っていたせいだろう。馬鹿な女だ。俺に構わず、自分がヤムヤムを食っていれば長生きができたものを。


 女が死んだせいで、俺は自分でヤムヤムを掘らなければならなくなった。


 ヤムヤムを食わなければやせ細って死ぬのである。


 俺は死にたくなかった。


 だから、死ぬ物狂いでヤムヤムを掘った。


 素手で地面を掘るため、最初は指の皮がむけ、爪がめくれた。痛みで何度も俺は悲鳴をあげた。いくら俺が悲鳴を上げても誰かがヤムヤムを施してくれることはなかった。ここではヤムヤムを掘れない者はゴミなのである。


 かつて、俺が見てきたゴミ。

 それがここではヤムヤムを掘れない者なのである。良い大学を卒業した。勉強ができるなどここでは何の役にも立たない。ヤムヤムを掘れる。それだけがここでは価値を持つのである。


 だからこそ俺は、横でヤムヤムを掘り当てた男が憎い。

 男はガッチリとした色黒の肉体にチリチリした黒髪をもっている。なによりも土を掘る手が大きい。俺の細く小さな手とは出来が違う。


 男は俺の隣でヤムヤムを掲げて奇声をあげながら小躍りしたあと、にゅっと俺の顔を覗いてきた。


「ヤムヤム! ヤムヤム!」


 優越感に満ちた顔で男は笑うと、ヤムヤムを俺の顔に擦り付ける。ヤムヤムについた泥が俺の顔を汚す。この男はヤムヤムが掘りあてると、何故か俺に自慢してくる。


「ほらほら、ヤムヤムだよ。なんだよ、お前ヤムヤムも掘れないのかよ」

 と、言うように男はヤムヤムを俺に見せつける。


 俺は悔しくて唇を噛み締める。


 なんだというのだ。すこし、身体的に俺よりも優れていた、というだけの癖に。


 俺は顔に押し付けられたヤムヤムを手で払いのけると、再び地面を掘り始める。こんなやつに関わっている時間はないのだ。太陽が地に落ちるまでのあいだにヤムヤムを掘り当てなければ、二日連続で何も食べていないことになる。


 俺は男を無視してひたすらに掘った。その間も男は俺の邪魔をするように俺の周囲でヤムヤムを掘りあてると奇声をあげた。小柄で華奢な俺が暴れたところで、男には勝てないのでぐっと我慢する。そして、太陽が密林に沈もうかというときに、ようやく小さなヤムヤムを掘ることができた。


 これでまた、生きていける。


 俺はヤムヤムを大事に抱いて、集落に戻ると石を砕いて作った包丁を使ってヤムヤムの皮をむく。少しでも多く食べたいので皮は出来るだけ薄くむく。こういう時にピーラーがあればいいと思うが、ここには金属というものは一切ない。


 もし、あったとしても文系畑を突き進み、弁護士になった俺である。金属を加工して刃物やピーラーを作ることはできなかったに違いない。俺は技術というものがいかに大切か、ということを思いながらヤムヤムを火にかける。


 この集落の中で唯一、文化的なものが火の存在である。これがあるおかげでヤムヤムを焼くことができ、狩りで獲った獲物を焼くことができる。加熱した安全な食べ物。これがここまで文化的なものだとは考えたことがなかった。


 火にかけたヤムヤムの周囲に小麦色の焼き色がついてくる。ヤムヤムを回転させて全体に火が通るようにする。芳ばしい匂いが俺の腹腔を満たす。これで塩でもあればいまの倍以上の美味さになるのだが、この密林では塩を作ることができない。


 綺麗に焼き色のついたヤムヤムをほお張る。モチモチとした食感にわずか甘味。これが俺の生命線かと思うと情けなくなるが、ここではこれしかまともな食べ物はない。これを食べないのなら、巨大な昆虫や大きなねずみを食べるしかない。


 俺は自分の身体をしげしげと眺めて言う。


「あの猫野郎なにが、肉体はとびきり醜い顔に成長する肉体だ」


 ほっそりした身体に、細い指。そして、ささやかな双丘を持つ胸。


「なんで、女になってるんだ! 適当かあの猫は!?」


 最初からそうだが、あの猫はどこかおかしい。どこかずれてる、といっていい。だが、いまの俺にはこの怒りをぶつける先がない。俺は空を眺めて願う。


「あの猫を一発殴りてぇ」、と。

この回はコーチャーが担当しました

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