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第一部

現在時刻午前九時過ぎ。にも関わらず、太陽は休むことなく気温をぐんぐんと引き上げ少し動いただけでも滝のように汗が流れ出るというなんとも人間には燃費の悪い季節になったわけだ。

 2013年七月。まさに夏まっさかりと言ったところで、日本本土は地獄の業火で焼かれるがごとく、去年の最高気温をゆうに上回ってしまっているのである。その暑さに耐えるには人類の最高傑作と言っても過言ではないであろうエアコンが必要だ。窓を閉め切り、カーテンも閉め、スイッチを入れるだけでなんともまあ最高の空間を作り出してくれるのである。これ以上の偉大な発明はあるだろうか。まあ確実にあるだろう。

 なぜ、いきなりエアコンをこんなにも持ち上げぎみに諸君らに紹介したかというと、君ら以上に心の底からエアコンを欲しているであろう人物がいるからだ。

 神奈川県某市のとあるボロアパートにその人物はいた。四畳半の正方形に敷き詰められた畳の上にごろんとパンツ一丁でごろんと大の字になり、アイスを咥えながら右手に持った団扇でぱたぱたと自らを扇ぎ、扇風機から送り込まれる夏場の生暖かい風を一身に受ける男がいた。

 男の名は布施直樹。ぱっとしない名前だと高校のころに初めて話しかけられたヤンキー風の男の言葉が三十二歳のこの年になってもたまに思い出す始末である。

 職業は地方公務員。事務仕事の毎日で基本的にパソコン相手に睨み合って書類を作るか、自転車をこいで個人宅やらアパートやらマンションやらをまわって固定資産税がどうとかという仕事をしている。身長は178センチメートル。体重72キログラム。身長の割にはほっそりとした体形で決してガタイが良いわけではなかった。髪型は普通(普通と言ったら普通だ!)。目はどこか生気がない。その上無精ひげを生やしている。世間一般からするとこの男は『あまり印象がよろしくない人』だった。しかし彼自身はコミュニケーション能力が無いわけではなく、友人や同期、先輩とも普通に話す。唯一、女性と話すことは苦手としているようだ。

 この男、公務員でしかもボロアパートの一人暮らしにも関わらず、なぜエアコン一台買う金もないのか。確かにエアコンを使用することによって光熱費がバカにならないことは確かだが、それでも夏の間だけしのぐにはいい道具だろう。しかも暑さに対して限界を感じてきている彼にとってはのどから手が出るほど欲しい代物なはずだ。ではなぜか。

 答えは彼が持っている唯一の趣味にあった。パチンコ、スロット。給料日になればそれこそ全額をぶち込む勢いで投資し、文無しになって帰ってくる。一か月間貧困生活を繰り返し送ってきた彼にエアコンを買う金など微塵もなかった。そんなことより明日食えるかどうかも心配なレベルだというのに。

 やめたいのにやめられない、やめたくてもやめられない、負けるのにやめられない、次こそは勝てると思うとやめられない。彼自身、自覚はあるが完全に中毒者になりさがっていた。そんな彼はこの趣味にどっぷりつかり始めてしまってから十年間、常日頃から心の中で『金が欲しい』という願いは止んだことがなかった。

 本日は土曜日。日付は七日。時刻も申し分ない。財布の中には二万円と少々の小銭。普通の人間ならばこの金だけでもう半月ほどを過ごさなくてはならないとわかったら間違いなく節約し、外出や趣味の類は控えるだろう。しかし、それは普通の人間ならばの話である。

 布施は財布中の二万円を確認したと同時に重そうな腰を持ち上げ、着替えをし、財布を尻のポケットにいれ、玄関のドアを開けた。真夏の直射日光が彼を「おいやめておけよ」と部屋に押し戻そうとするが彼はひるむことなく部屋を出てしっかりと施錠をし、階段を降りた。アパートの庭では大家の老婆が家庭菜園に精を出していた(と言っても水をやっているだけだが)。目が合ったので軽く会釈してから自分の唯一の移動手段であるママチャリにまたがり、颯爽とボロアパートを出た。

 今日は勝てる。いける気がする。

 中毒者布施の心の声は毎度同じことしか言わなかった。


 ママチャリをこぎ続けること十五分。少し大きな通りに出ると普段アパート付近で見ることない量の人間と自動車が眼前に広がる。その通りに三軒ほど並んで建っているパチンコ・スロット関係の店。布施はいつもこの三軒のどれかから適当に選んで入る。そして、パチンコにするかスロットにするか、どの台にするかも適当である。前日や前々日のデータ、またネットの口コミなどを参考にして店や台を吟味する者が多数であろうが、布施から言わせれば「結局全部運だから関係ない」である。これがでそうだなと感じた台に座り、打つ。この趣味にはまり始めてからこのスタイルは崩れなかった。結果は散々な訳だが。

 そして、本日彼は『攻殻機動隊』というアニメのスロットを打つことに決めた。椅子に腰を降ろし、財布の中の一万円を吸わせる。一度深呼吸してからBETし、回し始めた。

 いける。今日はいけるんだ。

 そんな普通でない中毒者、布施直樹の心の声はこの日、何かに届いたようだった。


結果から言うと彼は、勝った。いや、勝ったなんて生やしいものではなかった。大勝ちだった。しかも、千円で当たりが到来し、そこからラッシュ、ラッシュ、継続、当たり、ラッシュ、ラッシュ、継続、当たりを繰り返し、総額にしてなんと三十二万五千三百円にまで及んだ。台を通り過ぎる人は皆目を丸くし、店員も疑いの目を向けつつも驚きを隠せないようで唖然として布施の台を見ていた。換金の時には「額が額ですので」といってボディガード二人が駐輪所まで送ってくれた。三十万も勝っておいてママチャリで去るとはなんともまあ滑稽だったわけだが、布施はもうそんなことどうでもよかった。

 二十歳から始めて早十二年。いまだかつてこれほどの額は一度に稼いだことはなかった。大金でパンパンになった財布を大事に尻ポケットに入れ、アパートまで全力でママチャリをこいだ。時刻は夕方に迫ってきているが、休むことを知らない真夏の日光が眩しかったが気にせずこぎ続け遂に休むことなくアパートに到着。階段を駆け上がり部屋に入った瞬間施錠、大金が入った財布を出しっぱなしの布団にくるんでその布団に顔をうずめ、大声で叫んだ。

「いやっほおおおおおおおおおおお!!」



「うーん・・・」

 三十枚の万札と五枚の千円札、三枚の百円玉を畳の上に並べ、それらを目の前に見据えながら首をひねっていた。先ほども記述したように、彼がここまで勝つということは今までの人生一度たりともなかったわけであるからこの大金をどう使おうかまったくもって検討がつかない。

 貯金か?いやいやいや!今更なにを!こうなったらとことん使うのだ!

 キャバクラか?しかし一回も行ったことないしなにをどうすればいいやら・・・なにより見ず知らずの女の子となんか話せない。

 焼肉か?誰か誘っていくか?しかし三十万なんてどれだけ食えば使い切るんだ。

 寿司・・・もまあ似たようなもんだな。

 風俗か?・・・いや、なんか違う。使い道が違う気がする。

「・・・・あーもー」

布施はごろんと横になり、天井を見上げた。小汚い木製の天井には一つの光源と無数のシミが目に入った。どこかで聞いたことのある「シミを数えているうちに終わるよ」というセリフのように、このままシミを数えていたらいきなりこの三十万が跡形もなく消え去っているなんてことになってしまうのではないだろうか。・・・が、そんな神のいたずらとも言える超常現象などはおこるまでもなく、相変わらず三十万五千三百円は畳の上に綺麗に並べられていた。

あれだけ勝ちたい勝ちたいと願っていざ願いが叶い、現実が目の前に現れてしまうと怯んでしまう。願うばかりで実現した時の対処法をまったく考えていないのだから当然である。現実は厳しい。

「・・・・・ふむ」

布施は体を起こし、もう一度目の前の「厳しい現実」と向き合った。

何も今からすべて使う必要ないんじゃないか?使うべき時に使えばいい。そうだ貯金だ。貯金があるじゃないか。

思いついたと同時に現金を回収し始める。しかし、その手もすぐに止まり、一つの欲望が頭の中に浮かんできた。

『この金でもう一度勝てたら・・・』

そう、もう一度同じレベルの金額が手元に入ってきたらエアコンはおろか食事にも困らないし最近読んでいなかった漫画の新巻も一気に手に入りこんなボロアパートの中でも天国のような生活が送れてしまう訳だ。

「・・・・・・」

その悪魔のささやきに呼応するかのように万札を握りしめている布施の右手は興奮で小刻みに震えている。

 そうだ、何も世間一般で言われているような「豪勢」な金の使い方が自分のそれと同じであるという事ではない。自分は自分なりの「豪勢」をし、「天国」があるのだ。一気に使う必要もないし、逆に言えば貯金しなくてもいい。

しかし、今この金額でもそれは十分じゃないのか?

 そう思う人もいるであろう。だが、布施は中毒者である。例え診断をした医者がとんだヤブ医者でも、はたまた医学の経験をまったく持ち備えていない一般人でも「重症です」と診断結果に判を押してしまうであろう。この中毒は病気であって病気ではない。なぜなら、本人の意志次第で簡単に治ってしまうものであるからだ。

「二万・・・・だけ・・・・」

 意志の弱い者はこのようにすぐに「あと少し」「もうちょっと」と先延ばしにし、腹を括ろうとしない。「覚悟」がない。だからいつまでたってもずるずると引きづり、立派な『中毒者』の一員となってしまうのである。

 この物語の主人公的ポジションである布施直樹も「あと少し」の二万円だけをキーボードの上に出して明日に備えて腹ごしらえに向かったのであった。


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