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「……どうしてなの」
消え入りそうな声量で、彼女はいちど呟いた。この部屋の燈りはそう明るくないから、その姿は薄くぼんやりとしているけど、それでも分かるほど、彼女の身体は不自然に強ばっていた。
「いま言ったけど、理由はないよ」
「そうじゃないの!」
いちだんと大きく、ティナが言い放った。「僕」は思わず、彼女から目を離して、隣の部屋に一瞥をやってしまった。
「……なら、なにが?」
「どうせ、諒人くん分かってるでしょう」
「いや、まったく」
彼女の中で、何かが切れたようだった。もしかして、僕の表情にすこしだけ笑みがまじったのかもしれない。
「……嬉しかったの」
何かの決意が綻んだ瞬間だったのだと思う。彼女はそう洩らすとともに、ぴんと伸びていた背筋を崩して泣いた。
「ごめん。何が嬉しかったの?」
「僕」は彼女の肩ほどを押さえたまま、傍らにしゃがんだ。彼女が小刻みに震えるのを、指越しでつぶさに感じる。
「ティナって、呼んでくれたのが」
「諒人くんが、私のためにつけてくれた名前だと、ずっと思ってたから」
油断したらため息をついてしまいそうだった。内心「僕」は安堵していて、肝腎そうな様子を見せることだけに意識をやっていた。




