第18話 ワシ挨拶する
学園の一角。
日当たりの悪い棟の三階。壁は少し煤け、窓枠には年季が入っている。
そこが、リリアたちが所属する“落ちこぼれクラス”であった。
廊下を歩くだけで、もう中の様子が丸聞こえである。
「おいカードあと一枚だ!」
「うるせー、パンくず落とすなよ!」
「授業始まるまで寝かせろって……」
机の上に寝転がる者、窓の外をぼんやり見ている者、
こっそりパンをかじる者まで。
雑多で、まとまりのない空気が廊下まで溢れてきておった。
「こ、ここです……」
担任の若い女性教師――
エレナが、緊張した面持ちで扉を開ける。
真面目で熱心なのは一目でわかる。
だが、その眼差しの奥に“手に余している”色も見えた。
「みんなー! 今日は特別に、臨時の先生をお招きしました!
静かにしてね!」
「えー、またかよー」
「どうせすぐ逃げ出すんじゃね?」
「担任すら手こずるのに誰が来んだよ」
好き放題な声が飛び交い、収まる気配もない。
(なんじゃこのカオスは……
わし、完全に場違い感がすごいんじゃが……)
エレナはそれでも必死に拍手し、子供たちの注意を引こうとする。
「はい、それではご紹介します!
今日から臨時でこのクラスを受け持ってくださる――」
(い、いかん……ここで名乗らねばならんのじゃな……!
第一印象が肝心じゃぞ……!)
わしは前に進み、咳払いをひとつ。
「わしの名は――」
その瞬間、例のクセが出てしまった。
韻を踏むように、詠唱めいたリズムで、つい口が滑ってしまう。
「――おっさんっ!」
……静寂。
教室全体が一拍、息を止めた。
次の瞬間――
「ぶはははははははっ!!」
「なにそれ! 名前!? おっさん!? 先生が!?」
「ヤバい、腹痛ぇ……! “おっさん先生”だって!」
爆笑の嵐が巻き起こった。
机を叩いて笑う者、涙を浮かべて床を転げ回る者までいる。
「ち、ちがいますっ!」
リリアが慌てて立ち上がり、両手をぶんぶん振り回す。
「い、今のは! その、えっと、詠唱っぽく聞こえただけでっ!
本当のお名前はア、アサリーヌ様なんです!」
「そ、そうっす! そうっすよ!」
セベスも無理やり笑顔を作って、勢いで続く。
「ちょっと独特な自己紹介しただけっす! 間違いっす、間違い!」
しかし生徒たちはなおも大爆笑。
「アサリーヌ……? 逆に怪しいだろ!」
「いや絶対言ったって、“おっさん”って!」
「詠唱で“おっさん”ってどういう魔法だよ!」
「くっ……!」
リリアは顔を真っ赤にしながら机を叩く。
「師匠を笑わないでください! 師匠はすごいんです!
本当に奇跡を起こせるんです!」
その真剣さに押され、笑い声がわずかに弱まる。
わしは深々とため息をつき、両手を広げておどけてみせた。
「……まあ、わしの名前はなんとでも呼んでよい。
おっさんでも、アサリーヌでも、好きに呼べばええ」
生徒たちは「ヤッバおっさんとか!」
「どう言い間違ったらおっさんがアサリーヌなんだよ!」と、
また笑いながら声をあげる。
だが、今度の笑いにはどこか楽しさが混じっておった。
エレナが小声でつぶやく。
「……先生、すごいですね。今までこの子たち、
わたし以外の教師を完全に無視していたんです。
なのに、こんなに反応して……」
(ふむ……これは“笑い”という入り口で、
すでに心の扉を開かせてしまったのかもしれんのぅ……)
こうして“おっさん先生”として、わしの学園初日が幕を開けたのであった。