第12話 ワシ名前勝手に決められる
いつもの夕食の席に通された。
「いつもの」といっても、ワシにとってはまだ二度目の食卓。
だがこの屋敷の雰囲気はやはり落ち着いていて、
庶民の食堂とはひと味違う品がある。
長い木の食卓に並ぶのは、野菜の煮込みとパン、そして薄いスープ。
決して豪華ではないが、
香りは素朴で、きちんとした家の食事といった趣きだ。
(むぅ……昨日の味変騒動の後じゃから、逆にホッとするのう……)
席にはすでに家族が揃っていた。
当主のアーヴル――
眼差しの奥に穏やかさと厳しさを併せ持つ男。
隣には奥方のブローニュ――
ふんわりとした笑顔を浮かべる、見るからにおっとりした女性。
そして制服姿の次女セリーヌ――
真っすぐな背筋、冷たい視線をこちらに向けておるが、
どこかツンと澄ました雰囲気がある娘じゃ。
ワシの後ろでは、セベスが器用に料理を配膳して回っておる。
「チョリーッス! 師匠、こちらパン置くっすね~。
熱々なんでお気をつけて!」
口調は相変わらずのチャラ男ノリじゃが、
皿の並べ方は完璧、動きに無駄がない。
(……なんじゃこやつ、
仕事ぶりは完全にプロ執事ではないか……!)
ワシは思わず心の中で二度見してしまった。
「そういえば今日は街が騒がしかったな」
パンを割りながら、アーヴルがふと口を開く。
「まあ、何があったのですか?」
ブローニュが興味深げに首を傾げる。
「なんでも聖女様が奇跡を起こされたとか……
食事を美味しくしてくださった、とか」
アーヴルはどこか面白そうに語った。
「まあ! それなら、うちにも来ていただきたいものですわね」
ブローニュがほわんとした声で言うと、
すぐさまセリーヌが鼻で笑った。
「食べ物を美味しくする聖女、ですって?
ずいぶん庶民的な奇跡ですわね」
冷めた声音には、どこか皮肉が混じっておった。
アーヴル、ブローニュ、セリーヌが楽しげに会話を続ける。
一方、ワシとリリアとセベスの三人は……
箸も止めて、思わず顔を見合わせてしまった。
(……ひぃぃ、まさかもう噂がここまで広がっとるんか!?)
(師匠っ……! 聖女様って師匠のことですよね!?)
(あーコレ完全に師匠バレ案件っすね~。
けどオレ的にはノリノリで祭り上げたいっす!)
三人三様の思惑が、夕餉の席でぐるぐる回り始めたのだった。
「その聖女様は――実は、師匠様なのです!」
リリアが椅子をガタッと鳴らしながら立ち上がり、
胸を張って宣言した。
「……は?」
ワシ、思わず固まる。口に入れたパンが喉に詰まりかけたわ。
「マジっすか!?
あの街で噂になってる奇跡って、
ぜーんぶ師匠がやったやつじゃないっすか~!」
セベスはキラリとウィンクしながら、ノリノリで便乗。
しかもわざとらしく両手でキラキラポーズまでつけよった。
「え、ええと……いやいや、ワシはただちょこっと味付けを――」
慌てて否定するワシの声を、リリアがかぶせてくる。
「師匠は奥ゆかしい方ですから! すぐ謙遜なさるんです!
本当は古代魔法の大エキスパート、
時代を超えて受け継がれる秘術を操る御方なのに……!」
瞳をキラキラ輝かせて、リリアは机に乗り出さんばかりの勢い。
(な、なんじゃその爆盛りプロフィールは!?
ワシにそんな肩書き付けるなぁぁぁ!)
「……ほう、それは興味深い」
アーヴルが目を細め、ぐいっとワシを見る。
その眼差し、妙に探るようで背筋がゾクッとしたわ。
「まあまあ! 食事を美味しくするだなんて……おとぎ話みたい。
でも、本当にそんなことができる方が?」
ブローニュは目をまん丸にして、両手を胸に当てて感嘆している。
奥方のその純粋な顔に、ワシはますます逃げ道を失った。
「フンッ……くだらない。
もし本当だとしても、随分と庶民的せすわね。
きっと大した魔法じゃありませんわ」
セリーヌは冷めた声音でそう言い放つ。
だが、腕を組んだままの視線はワシに突き刺さって離れない。
(……絶対、気になっとる顔じゃ……!
ツンの奥にチラ見えする興味が恐ろしいんじゃぁぁ!)
「し、師匠! ぜひお願いします!」
リリアはぐっと拳を握り、
尊敬と期待の眼差しでこちらを見上げてくる。
「やっちゃいましょうよ、師匠!
ここらでドカンと一発、ド派手にキメちゃってくださいっす!」
セベスは椅子の背もたれに寄りかかりながら、
サムズアップで煽ってくる。おぬし、絶対楽しんでおるな!?
「……ぬぬぬぬ。なんでこうなるんじゃ……」
ワシは内心ガタガタ震えながらも、
視線を浴びすぎてもう逃げ場がない。
(またもや窮地! どうするワシィィィ!)
「ま、まあ……仕方ないのう。じゃあ、やるか」
ついに腹を括ったワシは、重々しく咳払いをして、両手をかざした。
食卓の空気は一気にピンと張り詰め――
「“香りたて舞え、旨みよ広がれ、煮込みの雫に幸あれ!
おっさんが祝福す!”」
ワシの声が食堂に響き渡ると同時に、
鍋や皿からふわぁぁっと湯気が立ちのぼった。
ただのスープが金色のきらめきを帯び、
野菜の煮込みはまるで太陽を浴びたような艶めき。
固そうだったパンでさえ、
ふわりと柔らかな香りを放ち始めるではないか!
「……っ!」
アーヴルが思わず立ち上がり、目を見開いた。
「おお……これは……! 頭のテッペンにまで響く……!」
「まぁ……なんてまるで陽だまりのようですわ……」
ブローニュは胸の前で手を組み、恍惚とした微笑みを浮かべる。
「……ん? いま……」
セリーヌが眉をひそめ、首を傾げた。
「なんか“おっさん”とか聞こえなかった?」
「わ、私も確かに聞こえましたわ……」
ブローニュまで頷いてしまう。
「む……確かに。詠唱の中に“おっさん”という響きが……」
アーヴルまで真面目に首を捻った。
「……」
(あ、あかん! やっちまったぁぁぁ!)
ワシは顔面蒼白で固まる。
「ち、違います!」
すかさずリリアが立ち上がり、机をバンッと叩く。
「それは古代魔法特有の“韻”なのです!
おっさんに似た響きが、つまりは神秘の波動を……!」
「そうっすそうっす!」
セベスも割り込む。
おぬし、待ってましたと言わんばかりやろ!?
「アレはネイティブ発音っす!
“オッサーン”って聞こえるのは古代語のエフェクトっす!
オレ、リスニング満点なんで保証しますわ!」
「……でも私には、はっきり“おっさん”って聞こえたんだけど?」
セリーヌが鋭く食い下がる
。冷たい視線が、まるで針のようにワシに突き刺さる。
「い、いや! あの、ええっと……そう!」
リリアが身を乗り出し、勢いで叫ぶ。
「それは師匠のお名前です!
“おっさ”……いえ、“オーサリ”……いや、“アサリー”……そう!
“アサリーヌ”だから、そう聞こえただけなのです!!」
「……アサリーヌ?」
アーヴルとブローニュが同時に呟いた。
「そ、そうっす! アサリーヌ師匠っす!
街で名を轟かす伝説の……えっと、アサリーヌ!」
セベスが断言。ニヤリとウィンクまでつけよった。
完全にノリノリじゃないか!
ワシは思わず心の中で頭を抱えた。
(ふ、二人ともそれ苦しいんじゃ……?
それよりなんかワシ勝手に名前つけられとる!?
……いや、でももうここで否定したら詰むやつじゃろ!?)
「ふむ……なるほど、アサリーヌ殿か。確かに良き名だ」
アーヴルが満足そうに頷く。
「そうですわね。そう聞こえただけで、誤解でしたのね」
ブローニュもニコリと笑い、完全に信じてしまった様子。
「ふーん……そういうことにしておいてあげる」
セリーヌは腕を組み直し、そっぽを向いた。
が、その視線の端には、やはり好奇心の光がチラついていた。
「では、料理が冷めてしまいますわ。さあ、いただきましょう」
ブローニュの合図で、家族全員が一斉にスプーンを取った。
ワシなんとか窮地を脱することに成功する。
「う、うまい!」「これは絶品だ!」「もう一口!」
「……これは本物だな」
アーヴルがスープを飲み干し、深く息をついた。
「アサリーヌ殿。あなたは、ただの奇跡ではない。
――家族を幸せにしてくださる、まさに聖女様だ」
「せ、聖女!? いやいやいや、ワシはただの――」
慌てふためくワシの言葉を、ブローニュの柔らかい声がかき消した。
「まあ……こんなに温かな食卓、久しぶりですわ……。
アサリーヌ様、どうかこれからも娘たちのそばにいてくださらない?」
うるんだ瞳で見つめられ、ワシは椅子ごと後ろにひっくり返りそうになる。
「いやいやいや! ワシはただの通りすがりで――」
「そんなことありません!」
リリアが両手を胸に当て、熱く叫んだ。
「師匠はわたしたちを導く存在です!
奇跡を隠すなんて、奥ゆかしすぎます!」
「そうっすね~」
セベスがパンをちぎりながら、にやにや笑う。
「師匠は控えめにしててもオーラ隠せてないっすよ。
いや~参ったっすわ」
「……っ」
セリーヌはスプーンを持ったまま、じっとワシを見ていた。
そして小さく息をつき、視線を落とす。
「……ほんとに、すごい人なのね」
その声は驚くほど素直で、わずかに頬が赤い。
「ちょっとだけ……見直したわ」
「なっ……!」
ワシは思わず二度見する。セリーヌがデレた!?
「でも、調子に乗らないでよねっ!」
セリーヌは慌ててスプーンを置き、ぷいっと横を向いた。
「おおぉぉぉ……! セリーヌ様のデレきたぁぁぁ!」
セベスが両手を叩いて大げさに騒ぎ、
リリアは「師匠、よかったですね!」とにこにこ笑う。
絶賛の嵐が飛び交う中、ワシはひとり肩を落とし、そっとスープを口に運ぶ。
(……ワシ、知らん間に“アサリーヌ”ってことになっとる……。
いや、待て、今さら戻せん……
もうワシはアサリーヌで生きていくしかないんかぁぁぁ!)
ワシの心の絶叫は、今宵も誰にも届かなかった――。