キャンディー
「死にゆく時代に 青いサクランボの種を植える」
そんな歌詞が大音量で響いている。意味が分からない。死ぬのに種を植えて意味があるのだろうか。
そう思いながら、手元の機器を弄って音量を上げる。ヘッドホンから流れる音で雑音を消そうとするけれど、雑踏の音は消えてくれそうにない。
ぼくは諦めて紫飴を口に放り込む。
スッと音が消える。耳から入る音が消えて、脳内再生されている音だけになる。
時計を見てから、足を速める。余裕を持って出てきたのに、あっという間に時間が消えている。焦ってぼくは走り出す。
ぐっと肩を掴まれた。振り返ると、ハヤがぼくの肩を掴んでいた。口がパクパクと動いている。
ぼくは次は、緑飴を口に放り込む。
「また、舐めたの?」
そう言われて、頷く。
「あまり使わない方が……。って、まだ抜けてないね。歩こう。そのままじゃ行きすぎちゃうよ」
ハヤが路地を指さした。曲がり角まで来ていたのに、気が付かなかったようだ。ぼくはまた頷いた。
「壊れ逝く大きな世界で、救われるのは私たちです」
白いワンピースの女性が大通りでそう叫んでいる。時々、叫んでいる宗教関係の街頭演説だろう。
「夢のないこんな時代に、よくあんな事言えるよね。誰も救われやしないよ」
ユズが少し先で笑ってぼくらを待っていた。ぼくはそれにも頷いた。
すると、飴の副作用が今更襲って来た。鼓動が早い。ぼくはそっとそっと息をして、なんとか鼓動を沈めようと頑張ってみる。けれど、ぼくの意志とは無関係に鼓動は大きく早くなっていく。
「ツウ? 大丈夫?」
ぼくは無力で小さな自分に嫌気がさす。自分の鼓動ひとつままならない。
ハヤとユズが座り込んだぼくに足を止めて、心配そうにのぞき込む。
死に逝く命の意味なんてあるのだろうか。ぼくは橙飴を取り出して、口に放り込む。ふうぅと身体が冷たくなり、鼓動が鎮まる。
「うん。大丈夫」
「だから、それはさー」
ハヤが不満気に顔をしかめる。
「ツウが大丈夫って言うなら、いいじゃん」
ユズはいつもぼくの味方だ。
***
ツウが何を考えてたのかなんて知らない。僕らはただ、同じ顔同じ姿、同じ遺伝子で作られてるただのパーツだ。
「ツウは行っちゃったの?」
「うん」
ユズの不安そうな声に僕は頷く。
ぼくらの命はぼくらのものではない。もう一人の誰かのための命。名前も知らないけれど、姿かたちはぼくらと同じなのだと聞いている。
ずっとずっと問い掛けていた、ぼくらには何が出来るだろう?
出来ることは限られている。生きて、死なないように体を保って、生きるべき誰かのパーツになる。それが不幸せだと嘆いたのはツウで、飴を常に舐めていたのもツウだ。
「寂しいね」
「大丈夫。また、補充されるよ」
新しいツウは同じように飴を舐めるのだろうか。
同じ遺伝子同じ顔、同じ形……違う意思。
外の雑音はぼくらには有害なのに、いつも外に出たがっていたツウ。
なぜと聞いたら、「夢がある」とツウは言った。
「生きられる世界があるって信じられる。だって、ここにいる人たちはパーツではないんだから」
それはわからない。僕には外にいる人の中にもパーツがいたかもしれないと思えた。でも、外ではそんな話は一切聞かない。それが『幸せ』なのだとツウは笑った。
夢のために夢見る事でツウは生きている。スタッフたちはそれを笑う。こんなぼくらを笑うの?
***
ここにいるのは、ツウとは違うツウ。このツウは外に出たがらない。ずっと部屋にこもって何かをしてる。まるでハヤみたいだった。ハヤは外にツウを迎えに行く必要はなくなって、部屋にこもりきりになった。
「ぼくらは違うんだね」
「そうだね」
以前とは違う抑揚のない声でハヤはそう言った。そして、必要もないのに飴を舐めるようになった。以前のツウほどではなかったけれど。
「また、舐めてる」
「うん。疲れるようになったから」
「それ、駄目だよって言ってたの、ハヤだよ」
「そうだっけ」
ハヤは笑わなくなった。ツウがいなくなって、笑った記憶がない。それはボクも同じだった。
「何の話をしてるの?」
ツウが部屋に入ってくる。
「なんでもないよ」
ボクはそう答えた。ツウがさらに一歩入り込んでくる。
「辞書ってどこかにある?」
「何、するの?」
ハヤがそう聞いた。
「未来を変えるんだ」
ツウがそう言って笑った。
「外だよ。辞書は外にしかない。頼めば買ってきてもらえるけど? それとも、自分で買いに行く?」
ハヤが早口にそう言った。
「そっか。じゃぁ。行こうかな。手続きって、メンドクサイ?」
「そこそこね」
ボクはそう答えた。
外に行くなんて冗談だろうと思ったけれど、ツウは複雑な手続きをサクサクとこなして外に行ってしまった。
ボクはハヤが追いかけるために、外への手続きをするのかと思ったけれど、ハヤは疲れたように部屋にいると言い張った。
「じゃぁ。ボクが行ってくるけど、いい?」
「いってらっしゃい」
そう言ってハヤは飴を口に放り入れた。
書類と、チェックを5回クリアして、僕は久しぶりに外に出た。嫌になるほど眩しい日差しが照り返してくる。
「夏……だっけ?」
快適温度に設定された建物から出ると、あまりの暑さにくらくらする。僕は慌てて飴を口に入れる。体中がスッと冷めていく。
あまり遠くまで行く手続きまではしてないし、遠くまで行くのは面倒だったので、大通りに出る手前で待ってみる。
しばらくすると目の前を走っていくツウが見えた。他にどこかに行くのだろうか? いや。前もこれと同じのを見たことがある。薬を使ってるから気が付いてないあれだ。
ボクは慌ててツウを追いかけ、腕を掴む。ツウは驚いたように僕を見てから、周囲をゆっくりと見まわした。そして、飴を舐めた。
「ありがと」
「どういたしまして。でも、ボク、早くは走れないからね」
路地まで歩くと、ツウが不思議そうに僕を見た。
「ユズとぼくは同じ遺伝子でしょ?」
そう言って……次の瞬間、崩れ落ちた。ボクは急いで体を揺すって、呼びかける。反応しない。どうしたらいいのか分からない。ふと、ツウが外で買ってきた本の袋が目に入った。僕はそれを服の下に隠す。
スタッフたちが遠くから走り寄ってくる。情報はすでに伝わってる。体内のチップが異常を知らせたからだ。
次の日、ボクは一人になっていた。
ハヤもツウも行ってしまった。ボクは茫然と昨日の服と一緒に持って来た本を取り出す。
『夢と絶望の花』
そんなタイトルの小説だった。辞書が欲しいって言った気がするのに、ここにあるのは小説だ。
パラパラとめくってみる。
両手の中に僕らの夢はあった。外を自由に出ることが出来なくても。この世界がこんなにも汚れていても。
そんな中で足掻く少年たちの物語だ。
『また目覚めていく』
最後のページにそんな文章が書いてあった。
ボクは飴を舐める。
それはとても苦くて、ボクは泣いてしまった。