07.その横顔を見続けていられるのなら
アンダースローにももちろん変化球がある。当たり前だけど変な球筋とはいえ120km台のストレートだけで抑えられるわけがない。むしろ変化球こそアンダースローの醍醐味と言っても良い。
見慣れないストレートと見慣れない複数の変化球が持ち球にあって、それをコントロールを乱すことなく緩急を付けることができるようになって、ようやく駆け引き勝負の土俵に上がれるんよ。そこまで届くにはとにかく時間が必要だ。
フォーシームの暫定最適リリースポイントを探るだけでもとても時間がかかったのにね。
夏に間に合わなければ話にならない。さらに言えば春の大会に出られないような3年生を選ぶか、という問題もある。同じぐらいの実力なら春の大会で実戦経験のある選手を選ぶだろうし、新戦力なら来年も戦力になる下級生が選ばれるのが当たり前。俺はただユニークな投手ではダメ。ユニークかつ勝てるピッチャーにならないといけない。
とにかく試行錯誤に時間を費やすわけにはいかない。決め球に成り得る変化球を早く見つけてそれを習得しなければ。そんなことを考えてる時に、俺はまた彼女と話す機会があった。
文化祭、特にやることもない俺は彼女の教室に向かった。彼女のクラスで和風カフェをやるのは知っていた。そして中学の同級生が彼女のシフトを教えてくれたのだ。俺が彼女にずっと思いを寄せているが振られ続けていることは、中学の同級生はみんな知っている。
俺の名誉のために言っておくが、決して俺から聞き出したわけではない。でも教えられた時間にひとりで和風カフェに入る程度には俺の矜持は低い。もっとも彼女がこの時間のシフトに入っているからといって、俺の接客をしてくれるとは限らない。俺は在校生も外部からのお客さんも、やけに女性が多い待ち行列に並びながらそう考えていた。男は俺以外みんなカップル。
行列の歩みが遅いのは模擬店だから手際が悪いのかもしれない。メニューはぜんざいにどら焼きか団子。多分ここで調理してるのはぜんざいだけ。このペースだと彼女のシフトが終わってしまわないかと内心やきもきしていた頃に、ようやく俺は教室内に案内された。
案内された席にひとりで座ると、間もなく彼女が現れた。このクラスの店員は、各自用意したのかまちまちで統一感のない和風衣装を着ている。その中でも彼女の巫女っぽい装束はとても似合っている。彼女以外の生徒が身につけたら安っぽいコスプレ感が出るはず。
「あんた見る度に変ってんのね」
第一声がこれだけど表情は柔らかい。2年の夏以降、妙に彼女の態度が俺に甘くなったような気がする。これはやはり大チャンスなんちゃう?
「何が?」
「アンダースロー。上手くいってるんやろ?」
なんでわかるんやろ。俺の知る限り彼女は練習を見に来たこともないはずやけどね。仮に俺が気が付かない時に覗いていたにしても、野球に詳しくない彼女が、俺がアンダースローに馴染んできたことに気が付くはずがない。でもさっき「アンダースロー」ってちゃんと言ってた。夏休みの時はぎごちなかった。
「まあ思ったより順調。でも3年の夏の大会に間に合うかはかなり微妙」
「なんでなん」
順調なのに微妙って、そりゃあわからへんよね。
「今はようやく真っ直ぐのコントロールが定まってきたところ。球速もまだ上げたいし、緩急をつけたりそろそろ変化球も練習せんと間に合わへん。けどどれから試すかを考えなあかん」
「ふーん。そんなに時間かかるん?」
「そっ。変化球の練習を始めてすぐに使える場合が無いとは言わへんけどそれは奇跡やね。使い物になるまでは当たり前に時間がかかるねん」
「そらなんでもせやろな」
俺は彼女の言葉にうなずいた。
「最初いい感じで投げられても、その後いくら練習してもそれ以上良くならん場合もある。うまくいかへんくても練習続けてたら、ある時いきなりコツをつかむ場合もある。もちろんいくら練習しても最初から最後まで全然うまくいかん場合かてある」
「ふーん」
とにかく早いうちに使える変化球をひとつ身につけたら、その後の練習も全然違ってくるんやけど、ここで熱弁してもしゃあないやろな。やっぱりこの話題変えた方がええかな。
「まあこれから手探りで探していこうと思うねん」
「そう……まあこれも実験かなあ。すぐにシフト終わるからちょっと時間くれる?」
えっ、なんか全然興味なさそうだったけど、そうでもないの?
「もちろん。めっちゃ嬉しい」
彼女と話す時間が1秒でも増えるのは俺のとってなにものにも代えがたいものだ。それこそ野球よりも大切だと言い切ることができる。そもそも俺にとって野球は綾瀬綾に俺のいいところを見てもらうための手段なのだから。
「そっ。じゃあ後で」
俺の注文を取ると彼女は行ってしまい、ぜんざいとどら焼きは別の男子生徒が届けてくれた。今ここにはいないけど、彼女のシフトを教えてくれた同中の彼に感謝しながら俺はありがたく頂いた。
俺が食べ終わって彼女の教室を出ると、廊下で制服に着替えた彼女が待ってくれていた。そう言えばどこで待ち合わせするかとか決めて無かった。俺は彼女の連絡先を知らない。
俺の注文を取るのが彼女のシフトの最後の仕事だったのかもしれへん。危ないとこやった。逆に言えば絶妙のタイミングや。
「待っててくれたん?」
「いや、着替えてたから今来たとこ」
なんか今の会話デートっぽくない? 文化祭デート。とても素晴らしい響きがする。青春てこうあるべきやね。
「ほなそこらの空き教室を使こてさっさと実験しよか」
でも今日は文化祭。普段空き教室になっている部屋もどこかの部活が使ってたりする。
「しゃあないから廊下でええやんな?」
俺に否応があるはずもないのでうなずく。
あまり人通りのない4階の廊下、林と田畑と住宅が入り組んだ風景に向かって俺たちは並んで立った。窓の外に突き出した横顔にあたる風はまだ強くないのに、もう冬が近いことを俺に突きつけてくる。夏のベンチ入りに残された時間が少ないことを思い知らされる。でもこのままずっと彼女と並んでその横顔を見続けていられるのなら、このままでもええねんけど。
「で、変化球やけど、何を投げたいん?」
実験とか言ってたけど、本当に変化球の話をするんや。何の実験なのかは皆目見当もつかへんけど今日彼女と野球の話ができるのは想像を絶する喜びだ。これは相場より高いどら焼きのおかげか、巫女風衣装の霊験あらたかなのか。
「正直決め球になるんやったら何でもええねんけど」
「あまりにも曖昧過ぎや。もっと具体的に」
具体的に言ってもわからんやろ?
「えっと、下から投げるんやったらシンカーを投げたい」
「シンカー? アンダースローやもんな」
えっ彼女がシンカーを知ってる? カーブとかフォークみたいな有名な変化球やないけど知ってるんや。
オーバースローでもシンカーを投げる投手はいる。でも多分プロにいるアンダースローの投手は、ほぼ全員シンカーを投げられるんちゃうかと思う。三振を取るにせよ、ゴロで打ち取るにせよ、シンカーをどの程度使いこなせるかでアンダースローの選手の価値は全然ちゃう。
「じゃあシンカーの練習をしてる自分を考えて。試合でシンカーを投げて三振を取ってる自分を想像してみて」
別に内野ゴロでええねんけどな。とにかく俺はシンカーを練習している自分を想像する。シンカーはボールにトップスピンをかけて落とす球。落ちる球の中では比較的球速が速い。これで試合に投げている自分を想像した。公式戦なのに相手バッターが味方の権藤なのはご愛敬だ。
「おおっ、ええやん。シンカー行けるんちゃう? これ中々面白いわ」
中々面白いとは? もちろんこの雰囲気を壊したくないのでそんなことは口走らない。
「そう? じゃあシンカーの練習しようかな」
「うん。それがええと思うわ。今もええ感じやし」
彼女の言葉を俺はお告げのように聞いた。やはり霊験が残っとるんかもしれん。だが俺は彼女が立ち去りそうな気配も感じた。
「じゃあスライダーはどうやろ?」
スライダーもアンダースローのピッチャーが良く使う変化球。人によって変化が違うのは他の変化球にも言えることやけど、アンダースローのスライダーは大きく違う。
「スライダー? それも変化球なん? まあええけど。じゃあもっかい同じことして」
シンカーは知ってるのにより多く投げられるスライダーを知らない。野球を覚えたての小学生みたいだと言ったら怒られるだろう。
俺がスライダーを投げたらどうなるんやろ。利き腕の逆方向(俺から見て右)にほぼ水平に曲がるのか、斜めに落ちるのか。佐々木さんのように浮き上がるように抜けるのか。練習をイメージしながらそんなことを考える。
シンカーの時はすぐにあった神託がなかなか下りない。だから彼女が俺を見つめているのが気になってしかたがない。このままもっと俺を見続けてくれたらいいのに。
「最後余計なこと考えてたやろ? スライダー? もええんちゃう。なんか途中いろいろ変わったけど、それなりにどれもええ感じやったし」
「いろいろ変わったて?」
ついに俺は突っ込みを入れてしまった。
「ん? まあ受け取る印象が。でも最後の私を見てた時以外は悪くなかったからええんちゃうか? まあ実験としては上々やな」
彼女が話を切り上げようとしているのがわかる。
「ちょっと待って。もうちょっとアドバイスが欲しいねん」
これを第三者が聞いたら、俺の頭がおかしなことになったと思うやろ。彼女は少し考えてうなずいてくれた。
「うーん。私からお願いしたからなあ、あとちょっとだけ付き合うわ」
よし。こうやって引き延ばしたい。変化球なんてものすごく数があるからな。
「次はチェンジアップ」
「チェンジアップ。聞いたこと無いわ。変化球っていろいろあるんね。じゃあ同じようにしてみて」
チェンジアップ。ストレートと同じ投げ方でタイミングをずらすボールなのは上からでも下からでも変わらない。親指と人差し指で輪を作るサークルチェンジもある。
「ストップ。今なんかここまでの中で一番よかった」
「今って?」
「私がストップって言った時に考えてたこと」
あの時考えていたこと。
「サークルチェンジ? サークルチェンジが俺に向いてるってこと?」
「あんたが何を考えてんかは知らん」
論理的には納得できない神託みたいになってきた。でも彼女が推薦するボールで、俺がいい投球ができればそれはとても素敵なことやん。
「そう……じゃあ次はカーブ」
この後シュート、ツーシーム、カッター、スプリット、ワンシーム、ドロップカーブ、スラーブ。オーバースローで投げることができる変化球(ツーシームやワンシームはストレートに分類することもあるが)は基本的にアンダースローでも投げれる。アンダースローでナックルなんて普通に考えたら無理やと思うけど、調べたら世界には投げてる人もおるからな。プロレベルではおらんと思うけど。
「んーっと、まだ続くんかな?」
彼女の形のいい眉間にしわができている。これ以上粘って心証を悪くしてはいけない。それよりも次につなげた方が良い。でもあとひとつだけ今のうちに聞いておきたい。
「じゃあ最後にひとつだけ。いろんな変化球を練習した方がいいのか、どれかに特化した方がいいのかだけ教えて」
「しゃあないな。じゃあやっぱりイメージして」
彼女のおすすめであるサークルチェンジ突き詰めてみる。いや、突き詰めるなら王道のシンカーがいい? 変化量少なくても引き出しが多い方が打ち取りやすいかもしれん……
「ストップ」
引き出しを多くしろというご神託が出た。イチ推しのサークルチェンジをある程度身につけたら、他の変化球に色々手を出すのが良いようだ。
「ありがとう。とっても役に立った。もしな、その『実験』やっけ、それをしたい時にはまた声をかけて欲しいねん」
「うーん、まあ気が向いたら」
彼女はかく言ひ残して去りぬ。
俺の至福の時間が終わってしまったが、夏に実家の近くで声をかけられてから今日のやりとり。それぞれの会話の長さと期間の短さを考えると、次はいつ話すことができるやろかと俺はワクワクしてしまうねん。
毎日更新はここまで。ここから隔日か2日空きで連載を続けます。




