05.アンダースロー以外の選択肢
「アンダースロー?」
「はい。佐々木さんも僕に向いてるんじゃないかって言ってくれました」
1週間の休暇が終わって学校での練習が再開すると、俺はすぐに監督に相談しに行った。だが監督の表情は芳しくない。やっぱり俺を久慈のスペアと考えているんかもしれん。
「お前左やろ?」
「左のアンダースローはほとんどいません。それだけでも有利だと思います」
左のアンダースローが少ない理由はいくつでも挙げられる。そもそも左利きが少ないとか、右打者に弱いという比較的わかりやすいものから、心臓に負担がかかるとかいうオカルトっぽいものまである。
「ほとんどおらん、いうのは誰もうまくいかへんからや。それに転向するんやったら秋のメンバーからは外すで」
これまでの俺だったら監督にそう言われたら素直に元の練習に戻ったと思う。秋の京都大会で3位以内に入ったら近畿大会に出れる。ウチは夏の大会で主力に2年生が多かったにも関わらず京都のベスト4まで行った。だから秋季大会では注目されているようだ。
京都大会で3位までに入れば近畿大会にいける。近畿大会は大阪、兵庫、奈良、和歌山、滋賀という強豪校がひしめく大魔境だけど、そこで3回勝てればベスト4。ベスト4に入ったらまず間違いなく春の甲子園出場が決まるだろう。ベスト8でもワンチャンある。
でも監督が言う『転向するならメンバーから外す』は、『転向しなかったらメンバーに入れる』とは違うこともわかっている。それでも一週間前の俺だったら間違いなく転向を止めて、これまでのピッチングスタイルを続けていたはずだ。
でも今は違う。俺の野球の原点を再認識したからだ。
そもそも俺は彼女の気を引くために野球をやっている。その彼女がアンダースローに興味を持ってくれたのだから、俺にはアンダースロー以外の選択肢はもうない。
「僕の本命は来年の夏なので。まずはやらせてもらえませんか。色々自分の意識も替わってきてると思うので」
実際俺自身も左投げのアンダースローなんて現実では聞いたことが無い。そもそもアンダースローそのものが少ない。アンダースローは肩の水平より低い位置から投げる投手のことと定義されている。そのため、佐々木さんみたいにほぼ地面すれすれから投げる人から、ロー・サイドアームというサイドスローより少し低い位置から投げる人もいる。スリークォーターの下バージョンみたいに考えてもらえばわかりやすいかもしれない。
メジャーリーグではアンダースローの投手自体がほぼいない。ナックルボーラーと同じレベルの絶滅危惧種であり、レッドリストに記載されてもおかしくない状況だ。しかもアンダースローとは言ってもロー・サイドアームの人が多く、地面に近いところから投げる人は少ない。左のアンダースローの選手も実はいるが、水平より少し下から投げる感じ。彼らを含めてアンダースローは希少種だ。
日本のプロ野球選手にはかなり低い位置から投げる投手が何人かいる。そしてアマチュアだとそこそこいる。佐々木さんに聞いたけど、上から投げたけど上手くいかない投手、あるいはケガで肩やヒジへの負担を減らしたい投手がサイドスロー、あるいはアンダースローに活路を見出すことがあるのだという。でも左はほぼいない。
左のアンダースローの投手がいるのはフィクションの世界だけ。それだけ少ない。絶滅危惧ではなくてもう絶滅種と言ってよい。
「まあ、やる気がある間は試してみい。せやけどあかんて思たらさっさと戻すんやで」
「ありがとうございます」
こうして多分に暫定的ではあるが俺のアンダースロー転向が認められた。
「お前、よくこんな短期間で投げられるな」
秋になると暗くなるのが早い。練習後、寮のそばの明るいところで俺は佐々木さんとキャッチボールみたいなことをしていた。投げる時は下から大きな動作でゆっくりと投げる。明るい所といってもちゃんとした照明じゃないから、もし本気で投げてケガでもしたら大変なことになる。
「最初の頃、佐々木さんにマンツーマンで教えてもらったからですよ。それ以外にも動画サイトとかでいろいろ勉強しました」
「でも馴染むの早すぎだろ。俺がどれだけ苦労したと思ってるんだ」
動画で見ると振りかぶる人もいるけれど、俺は師匠の佐々木さんと同じようにセットポジションから投げる。前傾姿勢から軸足(俺の場合左足)一本でバランスを保つ。右足は一旦上げてから大きく前にステップを踏み出し同時に、腰をねじり左手は思いっきりテイクバックして上に上げる。
そうアンダースローでも位置エネルギーはとても大切だ。決して敵じゃなかった。
このバランスを取るのは人によってはものすごく難しいと聞くけど、俺はやってみると案外すぐにこれができるようになった。そして右足が地面に付くまでに体全体を沈めながら、同時に左手は振り子のように下へ振り回す。腰の回転を使って地面に触れるぐらいの半円をスムーズに描かなければいけない。
自重を沈めるエネルギーを利用するのは武道でもあるらしい。知らんけど。そして両肩から腕までが一直線になった状態でスナップを利かせてボールをリリースする。
もちろん今はフォームの確認なのでゆったりとしたモーションだけど、この一連の動作によって得られる力のすべてをボールに伝える。それでもボールは何度かバウンドしてから佐々木さんに届いた。
「うん。基本はできてるよ。それを素早く行わないとな。それができたらコントロールを身に着けて、それから緩急。変化球はその後。筋トレもこれからだし、ここまで上手くいってるけど、試合で使い物になるまでの道のりは長いぞ」
「あざっす」
佐々木さんがボールを持ってこちらに来た。今日の講座が終わったってことだろう。
「お前は早く寝ろよ。寝るのも球児の仕事だからな」
「佐々木さんは?」
「俺は受験勉強。お前もそうだけど俺も足掻かないとダメだからな」
そういって寮に戻る佐々木さんに俺は頭を下げた。
「うす。ありがとうございます。独学だったらここまで辿り着くことも絶対無理でした」
俺は佐々木さんに深々と頭を下げた。




