ジェイ
彼女に向かって、おれは頭を深く下げた。
「ほんとに、すべてはジョーカーのおかげだ。改めて感謝するよ」
「べ、別に、あんたが感謝することじゃないでしょ」
ジョーカーの顔が、さらに赤くなって、ぷいっと横を向く。
その仕草がなんか悔しいくらいに愛おしく見えて、
あと、あまりにも以前のジョーカーと変わっていて、
思わず、ふっと笑ってしまった。
そんなおれを見ながら、ジョーカーは、ぽつりと呟いた。
「……あなたも、変わったわ」
「ああ。もう最初にこっちに来たときのおれじゃないかもな」
「よかったんじゃない。あの頃はさ、なーんにもわかってなかったもん」
「だよな、そんなおれのこと大嫌いだったんだろ? 口調とか冷たかったもんな」
「は!? ち、ちがっ……嫌いじゃないわよ! むしろ……」
言いかけて、ジョーカーは言葉を飲みこんだ。
顔を伏せたその目が、少しだけ潤んでいた。
「どうした……?」
「……ほんとはね。ちょっとだけ、羨ましかったの」
「おれが? 羨ましい?」
「誰かを、心から大切に想えること、たとえ失っても、その人を想い続けることが……わたしには、それがどういう気持ちなのか、ずっと忘れてた。ううん、無理やり消してたのね」
ジョーカーの声が、わずかに震えていた。
「でも……あなたと出会ってから、少しずつ分かってきた。心って、こうやって痛むんだって。こうやって、愛せるんだって」
「……そっか」
「バカみたいに、不器用で、重たくて、結局、報われないってわかってるのに。それでも、人って……愛を忘れられない生き物なのね」
思い出は、たしかにもう戻れない過去だ。
でもそれは、そこで終わったわけじゃない。
今もずっと、自分の一部として生きている。
そう気づかせてくれたのは、彼女とジョーカー、二人との出会いがあったから……
「おれはこれからも彼女のことを思い出すんだろうな。笑った顔とか、最後に触れた手のぬくもりとか、ずっと忘れないんだと思う」
「ええ、ずっと忘れないであげて」
「……でも、それと同じくらい、ここで過ごした時間も忘れたくない。お前とのやり取りも、全部さ。ありがとな、ジョーカーさん」
「……おバカね……そのセリフは余計……」
ジョーカーは、目を逸らしながら呟いた。
でも、その指先はそっと、おれの手を握り返していた。
暖かいぬくもりが、静かに心に沁みこんでくる。
それに混じって、ジョーカーの心に溜め込まれていた、
今までここで過ごしてきた裁判のデータがおれの中に送られてきた。
「……じゃ、わたしの時間はそろそろ終わり。次は、あなたが誰かを導く番よ」
「わかった、ジョーカーの期待に答えられるように頑張らないとな」
「あのさ、わたしもうジョーカーじゃないの。今からはあなたがジェイ。わたしの後をしっかり受け継いでくれなくちゃ」
「なんか、この感じって前と似てるな。つまり、ふたりは分身ってことだろ?」
「ええ、そうよ、わたしの分身じゃなにかご不満?」
「いや、むしろ光栄だな」
「……ふーん、いい顔してるじゃん。じゃ、わたしは先に行くわね」
「行くって、どこに?」
おれは問いかけたが、彼女からその返事はなかった。
代わりにどこまでも広がっていた闇を、やわらかい光が包みこんだ。
その光に向かって歩いていくうちに、世界が静かに色を取り戻していく。
その先には最初にこちらに来たときと同じ、あの部屋が見えた。
おれにとっての新しい役目と新しい人生が、そこに待っている。
ジョーカーの姿はどこにも見えなかった。
きっと、人を探しに天国にでも行ったんだろう。
かつて愛していた相手とそこで再会できることを願うよ。
目の前の椅子に座ってみた。
あの時、彼女が座っていたのと同じ場所。
机の上には、鉄仮面が置かれていた。
おれはその仮面に手を伸ばして身につけた。
もう一度、ジェイとしてここで生きるために……
この先、何年待つかわからないが、
彼女が天命を終えたあと、必ずここにやって来る。
裁判官という立場で、彼女を裁かなければならないってことか。
まあ、彼女のこれからの人生はきっと大丈夫だろう、
何が起こったとしても、それを乗り越えてくれるに違いない。
だから、おれはここで……
彼女と再会できる日を、ゆっくり、楽しみに待っているさ。
最後まで読んでいただいた方には感謝します。
長い期間、だらだらとした投稿になってしまい反省しかありません。
その点を改めて、また何か書くことができたらと思います。




