糸一本
彼女は、今でも忘れていなかった。
おれは勝手に忘れられていると決めつけてた。
結局、それは現実から逃げていたってこと……
生きていた頃と、おれは何も変わってなかった。
(#@#@たすけてっ)
風にちぎれそうな彼女の叫び声だった。
それを聞いた瞬間、胸の奥で何かが弾けた。
これは過去の話じゃない。
後ろにいるのは思い出の彼女じゃない。
今、生きている彼女の中におれはちゃんと残ってる。
その事実が、おれは素直に嬉しかったのだが……
「はぁ、何を今さら言ってんだよ」
隣の席で、その言葉を聞いたやつは、明らかに動揺していた。
さっきまで余裕たっぷりに笑っていた顔が、ゆっくりと陰に沈んでいく。
「勝手なんだよ……こんな時だけ思い出すとか」
吐き捨てるような口ぶりだった。
けれど、その声の震えをおれは見逃さなかった。
「でも……忘れてなかっただろ。今もおれたちは、彼女の中で生きてるんだ」
「いいから、黙れって!」
風が耳を切り裂いていく。
ジェットコースターは後半へ突入し、
さっきより速度を増してレールが唸り声を上げる。
振動が背骨を叩き、急旋回のたびに安全バーがぎしりと悲鳴を上げる。
自分の命が本当に細い糸一本に吊られているような感覚のまま……
ついに、2度目の回転レーンが迫ってきた。
隣を見るとやつは瞬きひとつせず前を見据えている。
ただ、袖口から光を乱暴に反射する何かがちらついていた。
……鏡? なわけないよな。
やつが手を伸ばして、取り出し先に見えたのは真新しい銀色のナイフ。
その刃は、風にあおられて不規則にきらめき、まるで生き物みたいに蠢いている。
「さあ、お前はここで終わりだぞ」
「待てよ、なんで彼女の思いがわからないっ!」
おれは残りの命を絞り出すように声を上げた。
「彼女の思いだって? は……笑わせんなよ」
やつは相変わらず乾いた声で言い返すが、
その顔に先ほどまでの余裕は見られない。
怒りとも悲しみとも区別のつかない、
感情の破片がぐしゃぐしゃに混ざり合っている、
そんな表情だった。
「おれは……あんなのに騙されないぞ。お前みたいなお人よしとは違うっ」
「いや、違わないさ。だって、おれたち元は同じだろ?」
「うるさいっ!」
ジェットコースターは宙へと放り出されるように、急角度で上昇を始めた。
風がおどろおどろしく吠え、世界がすっかりひっくり返ったとき、
やつの握る刃が重力に逆らって、おれの胸元へ向かって突き出された。
まるで、コマ送りのようにゆっくりとその場面が動いていく。
「おじいちゃん、諦めないでっ!」
彼女はそう叫んだのだろうが、
激しい風音のせいで、前半が聞きとれず……
おれ自身に向かって、諦めないでと叫んでいるように伝わった。




