「子供」
街を包む夜の静けさが、二人の足音だけを際立たせていた。
彼女と「子供」は並んで歩いていたが、その距離は不思議と一定で、
近すぎず、遠すぎず、まるで互いの心の距離をそのまま映すようだった。
「家まで送ろうか?」
彼女は不安げに声をかける。
無理もなかった。
病院を出たとき、祖父の顔はひどく青白く、
明日まで持つかどうかもわからない様子だったのだから。
今は、隣にいる小さな子供が、その不安な気持ちをさらに悪化させないように、
なんとか保たせる存在となっていた。
けれど、隣を歩く子供は、そんな彼女の気持ちを汲むこともなく、スッと前を見たまま首を振った。
「ごめん。ぼく、今日は用事があるんだ」
彼女は一瞬驚いたように眉をひそめたが、無理に聞こうとはしなかった。
それが、彼女の優しさであり、甘さだった。
「そっか。暗いし気をつけてね」
「うん、ありがとー」
ふわりと笑ったその顔には、いつもの無邪気な少年の仮面がきちんと貼りついていた。
彼女が見送りながら角を曲がって見えなくなるまで手を振ってくれるのを背に、
子供は、ゆっくりと表情を緩めた。
「さて……じゃ、始めるか」
向かう先は、明日遊びに行く予定になっている遊園地だった。
昼間は笑い声と家族連れで溢れる場所も、
今は門を閉ざし、人気のない廃墟のように静まり返っていた。
正門には警備員が一人。
ベンチに腰かけ、警備灯を片手に持ちながら眠そうに瞬きをしている。
彼は小さなリュックを抱え、無垢な声で声をかけた。
「こんばんは。すみません、今日、園内に忘れ物をしてしまって……取りに来たんです」
警備員は驚いたように目を見開いたが、すぐに優しい表情に戻った。
「こんな時間に? 大丈夫かい?」
「はい、あれがないとお母さんに怒られちゃうので……」
警備員は少し困ったように笑いながらも、門の鍵を外した。
「一緒に行こうか?」
彼は首を振った。
「いいえ、大丈夫です。どこにあるかちゃんとわかってますから」
その言葉を聞いて、警備員は子供ひとり通れるほど、扉を開けてくれた。
「暗いからな、見つけたらすぐ戻ってくるんだぞ」
「はい、ありがとうございます!」
ペコリとお辞儀をしながら門をくぐる。
その背中を向けた瞬間、顔から笑みが消えた。
(やっぱ、子供って便利だな…)
彼は誰にも怪しまれず、施設内に侵入した。
昼間の喧騒が嘘のように、遊園地は死んだように静まり返っている。
観覧車は闇の中でそびえ、屋台は仮面を外したように不気味な姿をさらしている。
風が吹くたびに揺れる看板が、ギイ、ギイ……と耳障りな音を立てた。
「よし、なんとか侵入成功だな」
目当てのエリア、アトラクション脇のメンテナンス通路へと足を踏み入れる。
それは、明日、彼が彼女と来る予定のルートだった。
そして、そこは彼が考えた「おもちゃ」を仕掛けるには最適の場所だった。
彼はリュックの中から工具箱を取り出した。
カチリ、カチリと指を動かしながら、手際よく作業を進めていく。
複雑に絡まった配線を慎重に繋ぎかえて、
最後に、特定のタイミングで作動する小型のタイマーを取り付けて、
すべてが完了した。
「誰も気づかないさ。いや、気づいてもいい、バレたとしても、ただの子供のいたずらだろ」
仕掛けはわずか十五分で終わった。
何の違和感も残ってなかった。
「……よし、完了」
何事もなかったように門へと戻ると、再び警備員に頭を下げた。
「ありがとうございましたー」
「気をつけて帰れよっ」
警備員は、笑顔で子供を見送った。
その姿を見ながら、彼は思い出していた。
(バカみたいに素直で優しい大人だよな。いや、あれは、お人よしって言うんだっけか。ほんと、おれの分身にそっくりだな、あわれなやつら)
門を出た瞬間、冷たい風が子供の頬を撫でた。
「おいおい、子供は寒さに強いんじゃないのかよ、寒すぎだろ」
反射的に、その小さな体を震わせた。
その震えは寒さのせいのように思えたが、
子供の唇には、ゾッとするほど無邪気な笑みが浮かんでいた。
明日が待ちきれない、それは武者震いのようにも見えた。
彼はポツリと呟く。
「これで完璧だ。明日が、楽しみだな……おれの分身さんよ」
夜の闇の中に、その言葉は溶けて消えていった。




