不可能
ここは一体どこだ?
薄暗く冷え切った空間。
視界はぼんやりとして、周囲の輪郭がぼやけている。
空気は重く、どこか腐敗した匂いすら漂うようだった。
身体の芯が鈍く痛み、まるで内側から崩れていくような感覚に襲われていた。
「ねぇ?」
不意に声が響いた。
目を凝らすと遠くからジョーカーが歩み寄ってくるのが見えてきた。
「まだ意識はあるの?」
と問いかける声は優しくもあり、しかしその奥には計り知れない重圧があった。
「何とか聞こえてるみたいね」
「こ、ここは?」
「そうね、生と死の境目、三途の川って感じかしら」
「そうか……想像とぜんぜん違うんだな」
「ま、実際そんなものよ。あなたの心臓は今、止まってる。あの注射のせいでショックを起こしたんでしょうね」
「やつのせいか?」
「ええ、子供という存在は、本当にやっかいよね、うろついてても誰も気に留めない」
「そうだな、たとえ見つかってもいたずらで済む。おれはこのまま死ぬのか?」
「脳や他の臓器に異常はないみたいだから、心臓さえ動いたらまだ大丈夫かな」
まだ、か。
そのジョーカーの話ぶりからして、可能性は残ってるようだ。
「じゃあ、何とかしてくれ! やつは明日、遊園地で彼女を狙うつもりだ。それを阻止しなければ……」
「そのボロボロの身体で阻止なんてできると思う? あいつは、あなたの感情を利用して楽しんでるの、今日のはその練習ってとこ」
「ああ、そうかもしれないな」
「でも、明日は違うのよ? あなたか彼女、どちらかが殺されるわ」
「そこに……あいつが殺されるって選択肢は、ないのか?」
「今の立場を考えると、それは限りなく不可能に近いわ。むしろ、あいつは二人が揃っているときに、何かしようと考えてる。だから、あなたが行かなければ、彼女も大丈夫かもしれない」
ジョーカーの言いたいことはわかった。
確かに、あいつはおれと彼女の反応を見て楽しんでる。
だから、彼女ひとりのときに殺す可能性は低いだろう。
だが……
「あなたが今あっちに戻ったら、きっと遊園地に行くでしょ?」
「ああ、この弱りきった身体に時間はない。その次があるかどうか、わからないだろ」
「……だとすれば、このまま助けないでいるのも手段のひとつね」
「初めて会った裁判官のころのジョーカーなら、そう判断しただろうな」
「今も裁判官だけど、どういうことかしら?」
「お前にもかつて愛する相手がいた、それを思い出したんだろ?」
「ええ、だからなに?」
「今のおまえには感情がある。おれの気持ちも理解できるはずだ……」
ジョーカーはその頼みに応えることなく、背を向けてゆっくりと歩きはじめた。
「あのときは、脱出って手段を教えてくれた。今回も何か戻れる手段があるんじゃないか? お願いだ、なんか言ってくれよ」
後ろ姿は徐々に小さくなって、闇に溶けこんで見えなくなった。
「待ってくれ! 話はまだ終わってないぞ」
(残念ながら、今回、あなたには何もできません)
幻聴のように聞こえた、それがジョーカーの最後の言葉だった。




