思い出
久しぶりに、携帯が鳴った。
この名前を見るのも、どれくらいぶりだろう、
そう思うくらいこの瞬間が長く思えた。
「……もしもし?」
声が震えそうになるのを、なんとか抑えて応える。
画面の向こうから、彼女の声が返ってきた。
「いま、大丈夫だった?」
「ああ、あれから、ストーカーはどうだ?」
一瞬の間。
呼吸を呑む音が聞こえた気がした。
「うん、大丈夫。……もう、気にしないで」
その声は、やっぱりどこか無理してる気がしたが、
「……なら、よかったな」
今のおれに、それ以上の言葉は見つからなかった。
「ねえ、おじいちゃん、今から出てこれるかな?」
想定外の言葉を聞いて鼓動が跳ねた。
また、彼女に会う機会がやってきた。
ジョーカーが仕組んでくれた?
わけでもないだろうが、これはチャンス。
「ああ、大丈夫だよ。どうかしたか?」
「……会ってほしい人がいるんだ」
その一言が、胸に刺さる。
彼女の元彼だったあのころの思いが揺れ始めた。
「今からか?」
「うん、無理かな?」
「いや、問題ない、どこに行けばいいんだ?」
「駅の近くの公園。知ってるかな?」
おれの脳裏に景色が浮かんだ。
あのころよく通っていた公園、
もちろん覚えてる。忘れるわけがない。
「わかった。すぐに行く」
「ありがとう。じゃあ、待ってるね」
彼女は電話を切った。
少し嬉しそうな、でもどこか切ない声で。
会ってほしい人、か、それはおそらく彼氏。
でも、今のおれには笑って受け入れることしかできない。
なにせ、おれは彼女のおじいちゃん、なんだ。
部屋着を着替えながら鏡に映る、皺だらけの顔を見た。
ほんとに、それじゃ死にかけの顔だろ?
おれは、自分のほおを軽く両手で叩いて、
無理やり笑顔を作りながら、鏡に向かって声をかける。
「……よし、祖父として、行ってこい」
彼女はぽつんとベンチに座っていた。
おれに気づいた彼女が、ぱっと手を振る。
周囲を見渡すが、男の影は見えない。
「まだ来てないのか?」
「うん、学校がちょっと長引いたみたい」
……学生?
ってことは、相手は年下か。
考えたとたん頭が少しふらつき始める。
だめだ、これ以上、何も考えるな。
またあの時のように副作用が出てしまう。
おれは目の前の景色を見ながら、彼女に向かって話す。
「おじいちゃんも昔はよく来たんだ、この公園」
「え? でもこの公園、まだできて三年くらいしか経ってないよ?」
しまった、彼女との記憶が懐かしくなって、つい口に出した。
「……あ、いや、違う公園と間違えたか。記憶がバラバラだな、すまん」
彼女は、クスクス笑いながら、じっとおれを見ながら、
「やっぱり、怖い顔。ほんとに、おじいちゃんじゃないみたい」
それは、ある意味、正解だった。
でも、彼女がそれを知る日は来ないし、来ちゃいけない。
「で、会わせたい人って?」
「うん、もうすぐ来ると思う」
ふたりでしばらく、何も言わずに景色を眺めていた。
子どもたちが笑い声をあげ、カップルが寄り添って座っている。
彼女がぽつりと呟いた。
「なんかさ、ここにくるとある人を思い出すんだ」
おれのことだとすぐに理解したが、あくまで冷静に耳を傾けた。
「……前に病室で話してくれた大切な人のことか?」
「あ、そうか、話したっけ。そっか」
「それが原因でキャバ嬢になったんだろ? 辛い思いをしたんだな」
そうだ、彼女はおれのせいで辛い思いをして、
今もなお、その気持ちを引きずっている。
「……ねえ、思い出って、残酷だよね。消えないし、逃げられないし」
「そうかもしれん。でもな、人は思い出で、生きるんだよ。逃げられないけど、支えにもなる」
「そう……だと、いいな」
彼女は膝の上で、そっと手を組んだ。
そよ風が花びらを揺らし、淡い春の光が二人を包む。
けれど、その揺らぎもどこか儚く感じられた。
「……思い出って、どれくらい時間が経てば、ちゃんと笑えるようになるんだろうね」
「それは、人それぞれだ。でも、最後にはどんな思い出だって、やがて宝物になるんじゃないかな」
おれがそう返すと、彼女はうっすらと笑った。
それでも、その瞳の奥に沈んだ影は消えなかった。
静かな公園に、小鳥のさえずりが響き渡る。
その時だった。
「ごめーんっ!」
後ろの方から、少し高めの声が響いた。




