八十九 爆ぜる紅蓮
凝縮された時間の呪縛が解けると同時に、がちん、と硬質な音が部屋に鳴り響いた。
凶弾を受けて倒れていくと思われた少女が、限界まで反らした上半身をぴたりと止め、次の瞬間すっと元の姿勢に起き上がる。
弧に歪むその口元には、撃ち込んだ弾丸がしっかりと咥えられていた。
回避が間に合わないと判断し、とっさに噛んで受け止めたと言うのか。
まさかこのような形で銃撃を初見でさばくとは……
この時をもってガスコールは、少女を完全に人外の者だと認識した。
衝撃と畏怖から背筋が凍り付きそうになるが、対処されることもある程度予想の範囲内ではあった。
無理な姿勢で銃弾を受け止めたせいで、それなりの衝撃が残ったのか、少女は動きを止めている。
せっかく作り出した隙を逃す手はない。怖気を気力で抑え付け、少女へ素早く距離を詰めて攻勢に出るガスコール。
しかし勇んで斬り付けた一撃は呆気なく空を切った。
「これはこれは。火縄の類でしょうか。それにしては小さいですね。興味を引かれます」
撃たれた動揺は微塵もなく。
少女はひらひらと舞うように、追いすがるガスコールの猛攻を避けながら、手の平に吐き出した弾丸とガスコールの左手に収まる武器を見定めて、歓喜の声を上げた。
ガスコールが用いたのは、帝国開発部より配給された拳銃の試作品であった。
火薬で弾丸を発射する技術は大陸でもまだ研究途上であり、小型化に挑戦した拳銃は最新兵器に分類される。
それにも関わらずでたらめな方法で初手を防がれてしまったが、牽制には有効と判断し、ガスコールは少女の逃げ場を断つように発砲しながら剣を振るった。
「弾は一発ずつ込めるのではないのですか。点火もされていませんし、火縄とはまるで別物です。大陸の技術は進んでいますね」
少女は射撃と斬撃に晒されながらも、感嘆した面持ちで弾丸を指で弄んでいた。
拳銃に興味が移り、最早こちらなど眼中にない様子の少女に苛立ったガスコールは思わず怒鳴り付ける。
「貴様! 戦闘中にごちゃごちゃとやかましいぞ!」
「おや。これは失礼を。初めての武器に思わずはしゃいでしまいました。それではこうしましょう」
咎められた少女が悪戯っぽくちろりと舌を見せた直後、ガスコールの左腕に熱が走った。
腕を斬り落とされたのだと気付いたのは、納刀した少女が己のものと思われる腕を手にし、握り締めた指から拳銃をもぎ取るのを目にした時だった。
それを自覚すると、たちまち激痛が左腕の切断面を襲う。
「く、ぐうう……!」
まさに目にも止まらぬ早業。
やはりこれまで少女は、一貫して手を抜いていたのだ。
「しばしの小休止です。私はこれを鑑賞させて頂きますので、その間どうぞゆるりとなさって下さい」
切り取った腕をごみのように投げ捨てた少女は、痛みに膝を付いてだくだくと血を流すガスコールを一顧だにすること無く、拳銃をいじり始めた。
最早己を敵として見てすらいないのか。
あまりにも奔放で無慈悲な振る舞いに、ガスコールは頭が茹で上がる程の屈辱を覚えたが、まずは止血を優先するためにぐっと堪える。
戦闘の最中切り裂かれて床に落ちていたタペストリーで傷口を覆い、きつく縛り上げることで応急処置とした。
その間少女が動く様子は微塵もなかった。本当に休憩のつもりらしい。
細く白い指で、つつりと拳銃を撫でる仕種は艶めかしくもあった。
思わず見惚れそうになるのも束の間。頭から煩悩を振り払い、痛みに耐えつつ思考を回転させる。
冷静さが戻ると、流血と疲労から、視界がぼやけつつあるのを自覚した。今すぐ戦闘へ移ることは無理だろう。相手の提案に乗るのは癪ではあるが、しばし大人しくして、残された体力をかき集めるのが先決だと割り切った。
どの道片腕では、そう長く戦闘を続けることはできまいが、己を一息に殺さなかったことを後悔させてやらなければ気が済まない。
何か使えるものはないかと部屋を見回すと、机から投げ出された葉巻が奇跡的に燻ったままで床に転がっていた。
一条の光を見たガスコールはふらつく身体で立ち上がると、葉巻に向かって歩き出す。
その時、背後から少女の声が上がった。
「なるほど。大体の仕組みは理解しました。これはお土産として頂いておきましょう」
少女は懐に拳銃を差し込むと、微笑みを浮かべてガスコールに向き直った。
「お待たせ致しました。再開と参りましょうか」
「何、もうか?」
やっとの思いで葉巻を拾い上げたガスコールは、突如告げられた休息の終わりに動揺して問い返した。
「こちらはこの有様だ。できればもう少し休ませて欲しいものだが」
少しでも時間を稼ぐべく、ガスコールは切断された左腕を見せて会話の引き延ばしを計るが、少女は不思議そうに小首を傾げた。
「はて。たかが片腕が落ちただけでしょう。それが戦えない理由になりましょうか」
そう平然と言い切る少女に、ガスコールは血の気が引いた。
「……貴様には、人の心が無いのか?」
震える唇で呟くと、少女はあっけらかんとした態度で返答する。
「はてさて。それで腹が膨れる訳でもなし。必要だとは感じませんが」
まさに悪魔らしい解答に、ガスコールはむしろ納得さえしていた。
この少女は敵対者に対し、戦って殺す以外の選択肢は持ち合わせていないのだと。
ガスコールの心にひびが入り、絶望に呑まれかけたその時だった。
要塞の各所から、がしゃあんと重く響く轟音が鳴り始めたではないか。
それを聞いたガスコールの顔に、ぱっと喜びが満ちた。
作戦準備完了の合図。即ち、全ての終わりを告げる銅鑼の音。
決死の覚悟で時間を稼いだ努力が実り、今ここに策が整ったのだ。
「はてさて。いかなる手をご用意しておられたのでしょう」
こちらが何らかの策を進めている気配は察していたのだろう。少女が愉し気に耳を澄ませている。
ガスコールはすぐには答えず、手にしていた葉巻を咥えてじっくりと味わった。
これが最期だと思うと、殊更に美味に感じられる。
大きく紫煙を吐き出し、開き直ったガスコールは少女へにやりと笑いかけた。
「大したことではない。ただ死に場所を決めただけの話だ」
「それはそれは。結構な気構えですね」
「だが、公国にこの要塞は無事に返してはやらん」
ガスコールが言い終える前に、要塞が爆音に包まれ大きく揺れ始めた。各階に配置させた火薬が誘爆を始めたのだ。
「なるほど。大将自ら囮になって時間を稼いでいたと」
「可能であれば貴様を討ち取るつもりではあったがな。私では力不足だったのは認めよう。だからこそ道連れにさせてもらう」
連鎖する爆発音はすぐ近くに迫っている。通路はすでに瓦礫で塞がり、退路は断った。
この階層に決定打を与えるため、ガスコールは火が付いたままの葉巻を壁際に設置した木箱へ向けて投げ込む。
指令本部にいくつも置かれた木箱。その中身は全て火薬であった。
「さあ悪魔よ。地獄の道案内を願おうか」
やれるだけのことはやり切った。悔いはない。
葉巻から着火した火薬が大爆発を起こすと同時に、瞑目したガスコールの首が宙に舞い、指令本部は閃光と瓦礫に呑まれて行った。




