八十八 起死回生
黒衣の少女が戦闘開始を告げた瞬間、指令本部の中央に置かれた会議机が真っ二つに両断されていた。
ガスコールは迫る斬閃を辛うじて見切り、横へ跳んで体勢を整える。
「ふふ。安心しました。この程度は避けて頂かなければ、面白くありませんからね」
「眼鏡に適ったようで何よりだ」
にこにこと笑顔を見せる少女に無表情で言い返すガスコールだが、内心では冷や汗ものであった。
要塞前に展開させた部隊との戦いを観察して目が慣れていなければ、今の一撃で終わっていただろう。
予期していたとは言え、一瞬たりとも気が抜けない、過酷な戦いとなることを再認識するガスコール。
改めて少女の前に立つと、ただ自然体で刀をぶら下げているだけであるのに、全く打ち込む隙が見出せない。
こちらが観察する以上に、一挙手一投足をじっとりと見張られているような圧力さえ感じる。
それに加えて、変幻自在の間合いの広さ。
この部屋のどこにいても、少女の攻撃はこちらに届くのだろう。
要塞に被害を出さないようにしているとの推測に賭けて閉所に誘い込んだが、屋上を抉り取ったような大技を用いなくとも、恐るべき剣士であることは変わりない。かえってこちらが追い詰められる形になってしまったのは否めなかった。
しかし今更怖気づくことは許されない。
これまで命を投げ打って時間を稼いでくれた部下達と、クレベール少佐率いる後退中の兵のためにも、この化け物はここで止めなければ。
息を整え、覚悟を新たにすると、ガスコールは少女を睨み付けた。
隙が無いなら、作り出す他あるまい。
すり足で移動し、真っ二つになった机の片方をつま先で引っかけると、少女に向けて蹴り飛ばす。
少女の目前で机は瞬時にこま切れにされたが、同時に身を低くして駆けていたガスコールは、その隙に少女の足元をサーベルで横薙ぎに払っていた。
しかし手応えはなく。飛び散る机の破片の隙間から、宙へ跳んだ少女の姿が垣間見えた。
滞空したまま少女が放った鋭い突きを紙一重でかわすと、ガスコールはサーベルを素早く振り上げた。
空中ではかわしようがあるまい、というガスコールの淡い期待は簡単に打ち砕かれる。
少女は迫るサーベルの先端をとんと踏み台にして、軽やかに天井まで舞い上がったのだ。
そしてくるりと身を反転させて天井に足を付けたかと思うと、穴が空く程に蹴り付けて急降下してきたではないか。
慌てて飛び退いたガスコールがいた場所に軌跡が走り、更に詰め寄った少女による追撃が雷光のごとく繰り出される。
ガスコールは後退しつつ必死に受け流すも、一撃一撃が速いだけでなく恐ろしく重い。正面から受け止めれば剣ごと両断されるだろう。
戦慄しながら丁寧に回避することに専念し、ふとその内の一つを剣先で巻き取って反撃に転じた。
並の相手なら今の返しで仕留められていたはずだが、渾身の一撃は空を切り、気付けば少女は元の入り口前に立っていた。
まったく信じがたい身のこなしである。
「はてさて。これは驚きました。さばくだけでなく、よもや攻勢に出られるとは。技量で言えば、ゴルトー殿の上を行っておられますね」
感嘆を含んだ笑みを浮かべ、少女が楽しげに声を弾ませる。
「奴は攻撃を是としていたが、私は守備を重視して剣を修めた。その差だろう」
会話を合わせることで、降って湧いた小休止を長引かせようと試みるガスコール。
今のたった数秒の攻防だけで息が乱れ、汗が噴き出していた。この機に態勢を整えなければとても後が続くまい。
対して、笑顔の絶えぬあの少女ときたらどうだ。息一つ切らさず、余裕の態度もそのままである。その上で心底戦闘を楽しんでいるように見えた。
あの笑みを崩せたなら、どんなに気が晴れることだろうか。
「さぞ高名な方に師事されたのでしょうね。よろしければご紹介願えませんか」
胸中に昏い感情が芽生えるガスコールにはお構いなしに、少女は朗らかに会話を進める。
「生憎だが、師はすでに鬼籍に入っている。要望には応えられん」
「それは残念です」
「安心しろ。私がその分相手をしてやるとも」
呼吸が整ったことを確認し、ガスコールはサーベルを構えて再度集中を高めた。
相手の力量の底は未だ知れない。単純な斬り合いですら、こちらの体力と気力が削られて行くばかり。その気になればいつでも首を取れるのだろうとさえ思えた。
逆に言えば、少女が手を抜いている今がチャンスでもある。
小細工を弄してでも食い下がり、差し違えようとも必ず仕留めるのだ。
それが司令官としての責務だと己に言い聞かせ、闘気を滾らせるガスコール。
「良い気迫です。まだまだ愉しめそうですね」
少女はきらきらとした笑みを見せると、何の気負いもなしにこちらへ歩き出した。それこそ平和な町中を散歩でもするように、ゆったりと。
警戒を強めるガスコールの手前に寄ると、無造作にぶら下げた刀が何の前触れもなく逆袈裟に斬り上げられた。
「くっ……!」
構えていたサーベルが強く弾かれ、構えが崩れそうになるのを必死で堪えるガスコール。
その後も刀を戻した様子すら確認できないままに、際どい攻撃がガスコールを襲い、必死に対処する。
この少女の恐るべき点は、構えらしい構えも、殺気や動きの起点もなしに、あり得ない方向から瞬時に斬撃が飛んで来ることだった。
相手の目線や予備動作から攻撃を予測する武の基本が一切通用せず、動体視力と勘に頼るしかない防御を強いられるのは、想像以上に精神に負担がかかった。
このままでは押される一方だと実感し、ガスコールは切り札を使う決意を固める。
先程のように連撃の内の比較的さばき易い一撃を絡めとり、反撃の突きを入れようとすると、それは横薙ぎに大きく弾かれていた。
「その手は見ましたよ」
後の先を取る反撃を一目で見抜く学習能力に内心舌を巻くガスコールだが、本命は別にあった。
体勢を崩しながらも、左手を軍服の懐へ滑り込ませ、切り札を取り出し少女へ向けて引き金を絞る。
ぱあん! と、手に握った筒状のものが炸裂音と共に火を吹いた。
発射された弾丸が、真っ直ぐに少女の胸へと吸い込まれてゆく様がゆっくりと視界に映り、やがて少女が上半身を仰け反らせて後ずさるのが確かに見えた。




