八十五 烈風を呼ぶ
グルーフ要塞からの執拗な遠距離射撃は、紅の周囲へ散乱した丸太と矢が積み重なり、山となってもまだ続いていた。
いくら威容を誇る要塞でも、この調子で大盤振る舞いをしていれば、遠からず矢弾が尽きるだろう。
まさか戦慣れしている帝国軍が、それを計算に入れていないはずはあるまい。
とすれば、そろそろ何か動きがあって然るべきである。
いい加減、飛来物をはたき落とす作業にも飽き始めた紅は、帝国が次なる手へ移行するのを今か今かと待ち焦がれていた。
そしてしばらくして、その時がようやく訪れる。
炎の壁の向こうから、じゃらじゃらと鎖の擦れる音が響き始め、やがてずしりと重い物体が地響きを立てた。
恐らく跳ね橋式の城門が降ろされたのだろう。その上を多数の軍靴や蹄、車輪などが通過する音を紅の耳は捉えた。
どうやらこちらを足止めしている間に、戦車や騎馬兵を展開するつもりらしい。
敵将は紅相手に籠城は下策と判断し、要塞内では運用できない主力部隊を先んじて出撃させたものと思われた。
このまま引き籠りっぱなしであれば、痺れを切らした紅は要塞内に突入していたに違いない。それを防いだ点では英断と言える。
「ふふ。ようやく白兵戦に応じて下さるようですね」
相手の意図が読めた以上、いつまでも足止めに甘んじている理由はない。
紅は飛来物を撃墜していた一瞬の間隙をついて素早く納刀すると、一呼吸の内に鋭い居合を繰り出していた。
一秒にも満たない刹那。紅が姿勢を戻し、凪の時間が訪れたその直後。
暴風のような斬閃が、戦場を横一文字に駆け抜けた。
一面に燃え猛っていた業火の海をたちまちかき消し。
無数の矢弾の雨を切り裂いて、展開中の部隊の頭上へ降り注がせ。
要塞の屋上を、設置された各種兵器と射撃手ごとすぱりと斜めに斬り崩す。
そしてずるりと雪崩れ落ちた瓦礫が真下にいた兵士達をまとめて押し潰し、さらなる混乱を呼び込んだ。
たった一撃にして均衡状態を覆し、帝国軍を恐慌に陥れた瞬間だった。
「さて。そろそろ攻めに転じましょうか」
火計と投擲を同時に潰した紅は、にこにこと笑顔を振りまきながら歩みを進め始める。
一時呆然としていた連弩の射撃手達だったが、紅が動き出したのを見て慌てて攻撃を再開した。
しかし正確な位置が分かった今、紅にとってはただの的に過ぎず。
己に向かって来た太矢をまとめて頭上へ跳ね上げると、器用にも連弩の設置された窓へ打ち返して射撃手を次々沈黙させていった。
「もう小細工は十分でしょう。正面からやり合いませんか」
そう言い放って紅が手招きして見せると、指揮官らしき者が号令をかけ、帝国兵らは罵声とも怒号ともつかない雄叫びを上げて突撃を開始した。
先鋒は十台程の戦車。
横一列に隙間なく並走し、通常の兵なら恐れ戦くような迫力と土煙を伴って、牽制の連弩を乱射しながら向かって来る。
「ふふ。そう来なくては」
紅は歩みを緩めぬままに矢の合間をするすると抜けて行き、戦車との接触に備えた。
戦車の左右に突き出した巨刃が間近に迫った瞬間、紅の姿は消え去っていた。
一瞬にして人が視界から消えるという異常事態に慌てる戦車の乗員達を他所に、その背後へ何事もなかったように現れ歩き出す紅。
その頃には通り過ぎた戦車の群れ全体に切れ目が入っており、同時に木っ端微塵と成り果てて行った。
それに驚愕したのは、第二陣の重装騎馬隊である。
前触れもなく戦車隊が壊滅したかと思えば、いつの間にか目前に笑顔煌めく少女が現れていたのだから。
しかし騎馬隊も速度に乗っており、今更急停止も反転もできはしない。覚悟を決めた様子で喚声を上げながら、長大な槍を突き出して紅へと殺到する。
「良い気合です。それでこそ斬り甲斐があるというもの」
前面から迫る槍衾を眺め、くすりと一つ含み笑いをこぼす紅。
「それでは、いざ。推して参ります」
そう告げた瞬間、押し寄せる重装騎馬兵が一斉にばらばらの肉片へと化した。
同胞の血肉が飛び散る中、それでも怯まず突撃して来る後続を、紅はゆったりとした足取りのまま斬り散らして確実に歩を進めてゆく。
瞬く間に数百の帝国兵が死骸となって積み上がり、油がしみ込んだ大地は鮮血で上書きされた。
その間にも、正面の城門からは続々と追加の兵が吐き出され、すぐさま戦列に加わり陣の構築に奔走していた。
「後方拠点に詰めていたとは思えない手際の良さですね。大将の高い手腕が覗えます」
迎撃の手は緩めずに、感心する紅。
己の力を見て、それでもなお向かって来る敵にこそ、紅は好感を抱く。
勇敢なる者は戦場で散るのが相応しい。そう考えるが故、一辺の情けもかけず蹂躙してゆくのだ。
無論、逃げ出すような臆病者は、侮蔑をもってやはり斬り捨てるのだが。
戦に臨む者はすべからく、殺し殺される覚悟であれ。
それが師の教えであり、紅の持論でもあった。
一気呵成に突撃して来ていた重装騎馬隊を早くも殲滅し、相手が後方にいた歩兵隊に切り替わった頃。紅は要塞前の広場の半ば程まで進出していた。
歩兵隊は騎馬兵のような機動力が無い代わりに、さらに分厚い重装甲と巨大な盾を備えて、じりじりと紅を遠巻きに包囲し始めた。
密集隊形を組み、隣り合った者同士で盾を連ねてより強固な壁を作りあげた状態で、隙間から槍を突き出してにじり寄って来る。
公国軍はこの圧倒的な質量の前にすり潰されたのだろう。そう思わせるだけの圧力を放っていた。
しかしそれで怯む紅ではない。むしろ嬉しそうに微笑むと、真っ直ぐに包囲の一角へと歩いてゆく。
それを見た正面の重装歩兵は、紅の歩幅に合わせて少しずつ後退し、代わりに後方の包囲が狭まった。
どうやら一定の間隔を保って威圧しつつ、隙を伺う作戦のようだ。
ただ生憎と、この程度で動揺するような繊細な神経を紅は持ち合わせていない。
前へ踏み出すと見せかけて、包囲が動いた一瞬の隙をついてくるりと反転すると、後方の隊列から切り崩したのだ。
陣形が乱れ、寸時硬直した歩兵隊を瞬く間に撫で斬りにしてゆく紅。
そこへ指揮官と思われる者が鋭く号令を叫んでいた。
斬り刻まれながらも前のめりに殺到して来る歩兵隊をさばいていた紅は、それに気付くのが一瞬遅れた。
耳に届く風切り音。
降り注ぐ数多の矢。
先程の号令は、火矢を放つ合図だったのだ。
今紅が立つ場は、血に塗れたとはいえ、大量の油を吸った大地。着火すれば容易く再び燃え上がるだろう。
重装歩兵達は初めから我が身を囮として、紅を道連れにするのが目的だったのだ。
敵ながら、なんと見事な気概。
紅がそう感じ入った瞬間、火矢が地に達し、猛烈な爆炎が噴き上がった。




