八十四 グルーフ要塞攻略戦
日没間近になって紅が辿り着いたグルーフ要塞は、左右にそそり立つ急峻な岩山の間を塞ぐようにして建てられた堅牢な要塞であった。
地形を把握するため、要塞の手前で走る速度を緩めた紅は、周囲を観察しながらゆっくりと歩みを進める。
左右を高い崖に覆われた立地は、ワーレン要塞に通じるものがあった。ここも平時は関所として機能するのだろう。
しかしワーレン要塞の左右の山野は地形こそ複雑とは言え、入り込めないこともない。
それに対してこちらは、針のように鋭く尖った岩肌が天へ向けて牙を剥いている。とても常人では登攀することはできないだろう。回り込むのは格段に困難だと思われた。
「はてさて。ここは一つお手並み拝見。正面突破と参りましょうか」
にこにこと微笑みながら、紅は刀の柄をつつと撫でる。
紅にしてみれば岩山を乗り越えることなど造作もないが、今回は大陸に渡ってから初の要塞攻めである。敵の意表を突いて乗り込み、手早く終わらせてしまうのは惜しいとの思いがあった。
真っ向から堂々と挑み、帝国軍がどのような防衛手段を見せるのかという点に強い興味を覚えたのだ。
「それでは。いざ」
攻撃を開始すべく、紅が顔を要塞正面に向けたその時。
要塞より呼子笛や銅鑼が鳴り響き、にわかに内部が騒がしくなるのを感じ取った。
ようやくにして見張りが紅を発見したのだろう。
風の如き疾走から急激に速度を落としたことで、あちらからは突然人が現れたように見えたに違いない。
今頃は大慌てて迎撃準備を進めているはず。
「相応のおもてなしをして頂きませんと、面白くありませんからね」
そう呟いた紅はその場で足を止め、まるで微笑ましいものでも見守るように、帝国軍へしばしの猶予を与えた。
「それにしても。此度はなかなかの大軍のようです。これは腕が鳴ると言うもの」
要塞内で蠢く人の数を察し、紅は笑みを深めてちろりと舌なめずりを一つ見せる。それはまるで餌を前にした猛獣のような仕種であった。
やがて戦闘配置が済んだらしく、要塞の気配が落ち着いた頃。
屋上の城壁越しに号令が聞こえ、一斉に矢が放たれた。
それらはまだ遠方にいる紅を直接狙ったものではなく、要塞から少し離れた地面へ満遍なく降り注ぎ、地に落ちると同時にがしゃがしゃと何かが割れる音が鳴り響く。
そしてたちまち充満する独特な匂いを、紅の嗅覚が鋭く感じ取った。
「油、ですか」
どうやら矢の先に油の入った壷をくくり付けていたらしい。
紅がそう推測した直後、再び多くの矢が飛来する。
そして大量の油が撒かれた大地に突き刺さると同時に、爆発にも似た轟音が上がり、たちまち紅と要塞の間に高く燃え盛る業火の壁が出現した。
帝国軍も紅に弓矢は通じないと学習し、火矢と油をもって戦闘前の攪乱に使用したものと思われた。
「はて。この後どのようになされるおつもりでしょう」
紅は敢えて動かず、声を弾ませて敵の出方を待っていると、その耳が複数の風切り音を捉えた。
先程の矢のような細いものではない。もっと太く大きな何か。
そう認識した直後、その何かの群れが炎の壁を放物線を描いて飛び超えて姿を現し、紅を中心とした範囲へ降り注ぐ。
素早く反応した紅は一刀の元に全てを斬り払うと、がらんごろんと硬質な音を立てて、飛来物は地面に転がった。
ばらばらに刻まれたそれは、先端を粗く削った長大な丸太であった。
要塞に備え付けた、投石器のような大型の投擲武器で撃ち出されたのだろう。実に粗雑な作りにして、単純な攻撃ではあるが、命中すれば威力はとてつもないものであろうと容易に想像がつく。
そしてこの重量級の投擲攻撃は単発に留まらず、次々と繰り出されていた。
これを受けるのが通常の軍だったならば、炎の壁で視界を遮られて対処が遅れ、甚大な被害を受けていたに違いない。
しかし紅には優れた聴覚が備わっている上、風切り音を捉えてからでも即座に対応できる反射神経も併せ持つ。
それらを駆使して容易に叩き落とせる以上、策としての有用性は認めても、驚くに値するものではない。
だが帝国軍の攻勢はこれだけに留まらなかった。
炎越しにがちゃりがちゃりと鉄がこすれるような音が聞こえたかと思うと、正面から炎を突き破って大量の太い矢が紅へ襲い来る。
恐らくは、要塞の屋上と下方部の窓に取り付けた多数の連弩による、怒涛の波状射撃。
炎の壁で視界が悪いのはあちらも同じだろうが、完全に対軍用の広範囲攻撃を選択し、的を絞らず手数に物を言わせて乱射しているのだ。
それが功を奏して、下手に狙い打つよりも軌道が読みにくく、かつ紅が回避する余地を狭めていた。
上空から落下する丸太と、前方と斜め上からの別角度で絶え間なく押し寄せる矢弾。
「これはこれは。熱烈な歓迎ですね」
それ程の猛攻をもってしても、片手に刀をぶらさげて佇む少女の元へは一つたりとも届かず。ただその笑みを深くさせたのみ。
刀を振るう姿さえ捉えられぬ神速の斬撃にて、飛来する全ての物体が紅の周囲で撃墜されてゆく様は、まるで不可視の壁が立ちはだかっているようにも見えた。
しかし余裕こそあれど、防御に手を割いている点で、帝国側から見れば紅の足止めに成功しているものと言える。
ここで稼いだ時間で本命を繰り出す準備をしているのだと思われた。
それを察しても、その美貌に浮かぶは眩い笑顔。
「ふふ。次は何を見せて下さるのでしょう」
手品師を前に目を輝かせる無邪気な子供のように、紅は敵の切る手札を楽しんでいた。




