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七十四 荒野を駆ける

 ミザール原野を横切る街道は、決して快適とは言えなかった。


 幅は広いが、あちらこちらに断崖絶壁だんがいぜっぺきが点在しているため、それらを大きく迂回して蛇行するように道が伸びている。


 商売のためとは言え、一週間近くをかけて通行する隊商達はさぞかし難儀したであろう。


 その上戦時下で整備もろくにされていないらしく、敷き詰められた石畳にはほころびが目立ち、地面がむき出しになっている箇所も多く見られた。


 しかしそんな悪路も、紅の前では平地も同然である。


 絶壁があろうと、谷間があろうとお構いなしに、全て軽々と跳び越えひたすら真っ直ぐに進んでゆく。


 まさに一陣の風と化して無人の荒野を駆け抜けていた。


 途中、奇岩の陰に設営された小ぶりな天幕を発見したが、先行した斥候隊と思われる者達は、すれ違った紅の姿を捉えることはできなかった。


 カーレル大尉の言によれば、今の地点で一日分の距離に当たる。


 つまりここより先は、偵察の済んでいない完全なる未知の敵地であることを意味していた。


「それにしては、本当に人気がありませんね」


 敵の勢力下に入ったことで周囲の様子を探り始める紅だったが、今のところそれらしい気配を感じない。


 紅の聴覚をもってすれば、数㎞離れた息遣いだろうと容易く拾うというのに、である。


 紅の頭に疑念が湧き始めるが、一旦は保留として先を急ぐ。あれこれ考えるより、実際に見た方が早いとの判断からだった。


 やがてさほどの時間もかけず、ザルツ砦らしき大型建造物の存在を感じ取り、紅は付近の高台へと駆け上がった。


 そして耳を澄まして砦の様子を伺うも、閉まった門の前に見張りはおらず、昼時だというのに火の気はなく、砦内も静まり返っている。


「はてさて。これは一杯食わされたかも知れませんね」


 あてが外れたとばかりに一つ息を吐く紅。


 確認のために堂々と砦へ近寄るも、反応は何もなし。

 城壁を蹴り昇って内部に乗り込み、ざっと中を見て回るが、見事なまでにもぬけの殻であった。


 ある程度の生活感は残っているため、撤収したのはつい最近だと思われる。


 となれば予測される敵の行動は一つ。

 足止めにすらならない兵力を無駄にしないため、砦を放棄して後方の部隊へ合流させたのだろう。


 現に、一人で砦を落とす力を有する紅が公国にはいるのだ。極めて妥当な判断であると言える。


 それに比べて公国軍は慎重に過ぎた。

 一週間近く、無人の砦を警戒して時間を費やしてしまったのだから、ある意味お笑いぐさである。


 しかしそこで、はたと紅の中で再度疑問が首をもたげた。


 果たして、ただ単に兵を撤収させただけだろうか、と。


 かつてウォール森林の隠し砦にて、遊撃隊が撤収する際には爆破の罠を仕掛け、帝国第5軍に大打撃を与えた。


 対して戦慣れしているはずの帝国軍が、あっさりと無傷の砦を敵に明け渡すような愚策を取るであろうか。


 砦の中庭で佇み、そこまで思考を巡らせた時。紅は不意に視線を感じ、頭上を振り仰ぐ。


 ばさり、と。


 空を打つ音が響き、巨大な影が砦の上を高速で通過して行った。


「はて。聞き覚えのある音です」


 紅の口元がにいと弧を描いた。


 ばさりばさりと力強く羽ばたく音は次第に増え、砦の周囲を埋め尽くしてゆく。


「どうやら目の良い方が見張っていらしたようですね」


 紅ですら感知できない遥か上空から見下ろしていたのだろう。

 恐らくは、今回も紅が率先して戦端を開くと予想して待ち伏せていたのだ。


 続々と多数の飛竜が集い来る気配を感じ取り、紅の胸に歓喜が宿る。


 次の瞬間、飛竜達が間を合わせて砦の上空へ躍り出ると、一斉に火炎の吐息を浴びせかけて来た。


 砦の門は閉じており、どこにも逃げ場はない。そこへ満遍まんべんなく猛火が降り注ぎ、たちまち敷地内は灼熱の地獄と化した。


 仕掛けた者達は作戦の成功を喜んだかも知れない。


 しかし紅はいち早く意図を察すると、分厚い門を斬り刻んで突破し、砦の外へと脱出を果たしていた。


「……ちっ。あのまま焼け死んでいれば良かったものを」


 頭上から忌々し気な女性の声が投げられ、紅はそちらへ笑顔を向けた。


「その声は。いつぞやの大将首を連れ去った方ですね」


 紅の言葉に、頭上の竜騎士は業火をもって返答とした。


 それを合図として、上空へ群れる竜騎士が次々入れ替わりに炎を撒き散らして紅を追い回してゆく。


 どうやら、紅の手が届かないであろう高度から攻撃を仕掛け続ける作戦らしい。


 その判断はおおむね正しいと言える。


 弓矢と違い、実体のない火炎は流石の紅でも掴んで投げ返す訳にもいかない。


 その上竜騎士達の連携は巧みで、紅が逃げた先々へ的確に炎を飛ばし、休む暇を与えなかった。


 幸い炎の速度はそれ程でもないため、回避するだけなら何の問題も無いが、ざっと数えて20騎あまりの竜騎士達は交代しながら襲い掛かって来ている。始めから長丁場を想定し、こちらの体力を削る方策であると思われた。


「はてさて。なかなかにお見事な策。どう打ち破ったものでしょうか」


 空を覆い尽くすような飛竜の群れに囲まれ、かつてない劣勢に追い込まれたと言うのに、紅は燦然さんぜんと輝く笑顔を浮かべて嬉しそうに呟いた。


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「はてさて。なかなかにお見事な策。どう打ち破ったものでしょうか」  空を覆い尽くすような飛竜の群れに囲まれ、かつてない劣勢に追い込まれたと言うのに、紅は燦然さんぜんと輝く笑顔を浮かべて嬉しそうに…
「はてさて。これは一杯食わされたかも知れませんね」  あてが外れたとばかりに一つ息を吐く紅。  確認のために堂々と砦へ近寄るも、反応は何もなし。  城壁を蹴り昇って内部に乗り込み、ざっと…
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