七十二 本音と建て前
ルバルト平野の北部に陣取っていた帝国第4軍の駐屯地は公国軍に占領され、修繕が進んだ現在は公国側の防衛線として生まれ変わり、帝国軍の監視及び偵察部隊の本拠地として機能していた。
偵察の成果が出た後、前線を押し上げる段階になれば、兵站線に転用される予定でもあり、次々と資材や備蓄が搬入されている。
公国軍が北上するにあたり、今後を左右する重要拠点になったとも言えた。
そうして新生し、暫定的にルバルト駐屯地と呼称されることになった陣地に、紅率いる遊撃隊と、カーレル大尉以下情報部の偵察隊が到着したのは、陽も暮れかけた時間帯であった。
「おお、カーレル大尉か。着任ご苦労。しかし、遊撃隊も来るとは聞いていないな」
ルバルト駐屯地の指揮を任されたユーゴー少佐は、天幕に入って来た面子を見て首を傾げた。
「ご無沙汰しております、少佐殿。遊撃隊の同行は、我々が出発する間際に急遽決まったものでして」
カーレルが敬礼をしつつ気まずそうに説明すると、ユーゴーは紅とカティアに向かってにやりとして見せた。
「また独断か? 紅少佐相当」
事前に送った早馬が情報部の着任を報せると同時に、紅達の昇進も伝えていたらしく、ユーゴーは新しい階級で呼んで相好を崩す。
「はてさて。なんのことやら」
「とぼけないで下さい、隊長。前科があるんですから」
随伴したカティアが咳払いをするも、紅は知らぬふりを貫いた。
カティアは一つ息を吐くも、ユーゴーへ向けて敬礼をして口を開く。
「少佐殿、ご安心ください。この度はキール中将よりきちんと許可を得ております。とは言え、話を通したのは出発の直前であることも事実ではありますが」
「相変わらず苦労していそうだな、カティア中尉」
「まったくもって否定できません。しかし隊長は公国軍にとってかけがえのないお方。お仕えのし甲斐はあると思っております」
苦々しい口ぶりではあったが、カティアの紅への忠誠は揺るぎないものを感じさせた。
「良い部下に恵まれたな、少佐相当。まさかこれ程早く同じ階級に追いつかれるとは思ってもいなかったが。貴官の実力と中尉の支えがあれば、あっという間に上に行かれそうだ」
「ええ。カティアはとても優秀な上、可愛らしいですからね。一緒にいると張り合いがあるというものです」
「可愛らしいは余計です!」
紅としては本心からの言葉だったが、カティアはからかわれたと思ったのかへそを曲げてしまった。
「褒めたのに怒られました。何故でしょうか」
「ふふふ。貴官らは変わらず仲が良いようで何よりだ。まあ立ち話もなんだ。狭苦しい場所だが、ひとまず座ってくれ」
ユーゴーは笑いながら簡易テーブルを指すと、自ら座り込んでみせた。
それぞれが着席すると、ユーゴーが早速にも切り出す。
「さて、少佐相当。今回はどういう魂胆で動いたのか聞かせてもらいたいところだな」
「大した理由ではありません。後に偵察部隊の方々と合流するのでしたら、初めから護衛をかねてご一緒した方が早いと思いまして。幸い遊撃隊にも偵察が得意な方がいらっしゃいますし、人手は多いに越したことはないでしょう?」
「確かに、今回の偵察範囲は広範に渡ります。遊撃隊の人員もお借りできるならありがたく存じますが」
もっともらしい口上を述べる紅に、カーレルが首肯した。
ルバルト平野からグルーフ要塞までの間には、高い岩山に挟まれた広大なミザール原野が横たわっている。
巨大な奇岩が多く存在し、視界が悪いため、慎重な探索をする場合にはかなりの時間を要すると踏まれていた。
「余った隊員はこの陣地のお手伝いに回します。いかがでしょう。この隙の無い建前は」
「あ、自分で建前って言っちゃうんですね……」
にこにこと語る紅に、横でカティアが呆れたように突っ込みを入れる。
「どういうことだ? 他に狙いでもあると?」
困惑するユーゴーが問うと、紅が胸を張って答える。
「予定では、安全な場所を確保してから陣地を建てるというお話でしたね。そのような場所は、地道に探すより作ってしまった方が早いでしょう」
「待て待て待て! つまり何か? 威力偵察に出たついでに、隙があれば帝国兵を殲滅して無理やり空白地帯を作ろうと言うのか?」
参謀本部の立案にまったく沿わない提案を受け、ユーゴーは動揺して聞き返した。
「察するに、偵察が終わるまで待ち切れないので、何でもいいから出撃したいということかと思われます」
カティアが何かを諦めたような顔で、紅の代弁をしてみせた。
「さすがはカティア。以心伝心ですね」
「まだこちらも諸々の準備が完了していないのだぞ。今下手に帝国を刺激して、温存しているであろう兵力を動かされたらどうする!」
カティアの言葉に満足して微笑む紅を前に、がたりと音を立てて立ち上がるユーゴー。
しかし紅は不思議そうな表情を浮かべて言葉を返す。
「はて。その時は全て斬ってしまえばよろしいのでは」
「ああ……貴官はそう言うタイプだったな……」
一気に脱力して椅子にどすんと腰を落とすユーゴーだったが、カーレルは意見が違う様子だった。
「少佐殿。小官はこの案に乗ってもよろしいのではと思えますが」
「何を根拠にそう言える?」
訝し気なユーゴーに、カーレルは丁寧な説明を始める。
「現在、ある程度深く斥候が潜ったにも関わらず、帝国の哨戒兵を一人たりとも発見しておりません。これは帝国も先の戦での打撃が抜けておらず、迎撃態勢が整っていないせいではと推測されます。ここは一気に偵察範囲を広げるのも一つの手かと。先程少佐相当殿が仰っていたように、どの道陣地構築の際には遊撃隊が守備につく手筈だったのです。それを早め、偵察と安全地帯確保が同時に行えるのですから、実に効率がよいと愚考する次第です」
「ふうむ……」
カーレルの言を受け、ユーゴーが熟考に入る。
理屈は分かっても、参謀本部の指針に反するのが受け入れがたいようだった。
「……愚問かも知れんが。早々に陣地候補地が見つかったとしても、そこまでの兵站線と陣地の構築開始までに資材が揃う保証はない。作業を早めるためには、こちらから人員を割く訳にはいかんのだぞ。予定より期間が長くなるだろうが、その間の守備は遊撃隊に任せていいのだな?」
「もちろんです。何でしたら、砦もついでに潰しておきましょうか」
「ふう……簡単に言ってくれる……まあ貴官ならやってのけそうだが……」
紅の軽口にユーゴーは苦笑いを浮かべた後、意を決したように顔を引き締めた。
「いいだろう。参謀本部直下の情報部大尉も賛成していることだしな。好きにやってくれ。こちらはこちらの最善を尽くす」
「ありがとうございます、少佐殿」
「ご心労お掛け致します……」
カーレルとカティアが揃って頭を下げるが、紅は出撃の口実ができたことで早くも浮かれていた。
「ふふ。兵は神速を尊ぶと申します。夕食を頂いたら、すぐに出発致しましょうか」
「隊長、それは勘弁して下さい……」
ワーレン要塞から丸一日馬に乗り通しでここまで来たのだ。紅以外は皆疲労困憊であった。
見れば普段冷静なカーレルさえも、血の気が引いた顔を引きつらせている。
「残念ですね。では明日からと参りましょう」
紅がしょんぼりと呟くと、その場の全員が安堵の息を吐いた。




