六十八 空を制する
「はっはあ! 久々の戦だ! お前も嬉しいか、フラムベルグ!」
鎧も着ずに軍服姿のままで愛竜に乗り込んだオルネストは、手綱を握るとすぐさま火竜を飛び立たせた。
地面が陥没する程の勢いで巨体を空へ蹴り出した火竜は、一吼えして力強く羽ばたき、要塞へ接近中の敵軍へ向かってゆく。
その咆哮が敵軍にも届いたのか、隊列が広がっていくのが見えた。
「くくく。散らばってやり過ごそうってか? 甘いんだよ、トカゲ野郎どもが!」
火竜同様、燃えるような赤毛を風になびかせ、オルネストが嘲笑する。
ぐんぐんと距離を詰める火竜へ向け、手槍や矢が投じられ始めるが、それらが届く前に火竜は大きく息を吸い込み、激しい業火を吐き出していた。
上空から見た兵の数は、およそ3万といったところであったが、火竜のブレスは一瞬でその半数近くを飲み込み消し炭と化してゆく。
湿地に棲み、身体に水分を多く蓄え火に耐性があるリザードマンですらこれなのだ。何とも恐るべき火力であった。
「同じ爬虫類でも格が違うんだよ! 一昨日出直しな!」
オルネストが叫ぶと、火竜が呼応するように再び息を吸い込み始める。
するとその時、リザードマン軍の後方から、人型の影が宙へ飛び出した。
「何だ? 翼持ちなんかいたか?」
オルネストは首を傾げるも、次の瞬間にはにやりと笑って火竜に命じる。
「はっ! まとめて燃やせば同じことだ! やっちまいな!」
ばさりと翼を打ってこちらに急接近する人影目掛け、火竜のブレスが吐き出される。
その者ごと残りの敵兵を焼き払えば終わり。
……というオルネストの目論見は、見事に裏切られた。
高速で飛翔する人影が腕を振るったと見るや、突如巨大な竜巻が発生し、火竜のブレスを散り散りに吹き消したのだ。
「なんだと!?」
初の体験に驚愕するオルネストだが、歴戦の勘が手綱を動かし、迫り来る竜巻から火竜を回避させていた。
ぎりぎりでかわしたものの、竜巻は真っ直ぐに進み、要塞の一部を削り取って消滅した。
「てめえ、俺の要塞を傷物にしやがったな!」
途端に恐慌に陥る部下達を見下ろした後、前方に羽ばたく人影を視認する。
それは確かに人の形をしていたが、異形の面相であった。
赤黒い肌に長く尖った鼻。
ぎらりとした眼光を放つ、縦に裂けた金色の瞳孔。
ぼさぼさな白髪を蓄えた頭頂から長く伸びる鋭い角。
ぼろぼろな見慣れぬ衣装は、和国のものだろうか。
その姿はオルネストの知るどの亜人種とも似ても似つかず、初めて見るものであった。
翼持つ異形の男は悪魔もかくやといった趣で、こちらを見てにやにやと笑っている。
「よくぞ一目で避けた! 褒めてやる小僧」
男は野太い声で一声叫ぶと、一瞬にしてオルネストの目前まで飛び込んでいた。
「うお!?」
オルネストが本能から危機を感じて剣を抜いた直後に、がちんとはげしく火花が散る。
「はっはあ! これも防ぐか! 思った以上にやりおるわ!」
その後も続けて振るわれたのが、素手の拳だと知ったのは、ようやく目が慣れてからであった。
「てめえ何者だ! 誰に喧嘩売ってるかわかってんだろうな!」
久々に自ら剣を振るうことになったオルネストだが、何とか異形の者の攻撃を防げる程度には錆び付いてはいなかった。
しかし反撃に転じる程の余裕はなく、ぎりぎりで受け流しながら怒鳴り声を張り上げる。
「お前なんぞ知らん。小僧で十分よ。おれはただの通りすがりのお節介焼きだ。互いに名乗る必要などないわ」
対して異形の男はにやつきながら拳の連打を放ち、オルネストを防戦一方に追い込んでゆく。
「それにしても、竜とか言ったか。見た目は大層だが、小回りが効かんな。懐に入ってしまえば自慢の火炎も使えまい。なんとものろまな奴よ」
火竜を前にして恐れの一つも抱かずに突撃して来るだけあり、異形の男は冷静にその弱点を把握していた。
オルネストは右手の剣で男の拳を防ぎつつ、左手で手綱を操り振り切ろうとしていたが、男の飛行速度が火竜を上回り、ぴたりと張り付かれたままだった。
「そうら。こうすればどうなる?」
男は不意に上昇したかと思うと、オルネストの頭上でくるりと一回転し、高下駄を履いた足を凄まじい速度で振り下ろした。
「うお!?」
オルネストは剣を掲げて衝撃に備えるも、男の狙いは別にあった。
どごん、という轟音と共に火竜の脳天へと高下駄がめり込み、その巨躯が空中での態勢を大きく崩す。
「なんだとお!?」
岩より硬い火竜の鱗を、単純な体術で殴打するなど正気の沙汰ではない。その上それが有効打になるとは、目の前で起こったことでもにわかに信じ難かった。
刃に向けて素手で殴りかかることと言い、何とでたらめな相手なのか。
オルネストは混乱を抑え付けつつ鞍にしがみつき、巧みに手綱を操って火竜の態勢を整えさせる。
幸い火竜の意識はあるようで、墜落することは避けられた。
「かかか。存外丈夫だな」
頭上を取って嘲笑する男に向けて、オルネストはこめかみに青筋を浮かべて吠えた。
「てめえ、いつまでも調子に乗ってんじゃねえぞ!!」
わずかな距離が空いた隙に火竜は息を溜め、上空へ向けて業火を吐き出していた。
「かっかっか! 怒りよったか。だがそんな動作が見え見えの息吹など当たるものかよ」
広範囲に撒き散らされたブレスから距離を取り、容易く避けてみせた男だが、一つ勘違いをしていた。
「そりゃそうだ。囮だからな!」
オルネストは男の回避する方向を予測し、火竜を突っ込ませていたのだ。
ブレスを吐いたままの形で開かれていた火竜の顎が、男を噛み砕かんと牙を剥く。
「ふん!」
しかし男は動じもせずに火竜の下顎を蹴り上げていなしてみせた。
「本命はこれということか。だが鈍いことには変わりないわ」
そのまま火竜の横面を殴り飛ばして笑い声を上げる男だが、ふと吹き飛んだ火竜の背にオルネストがいないことに気付く。
「む、振り落とされたか? であれば呆気ないものよ」
「──んな訳がねえだろうが!!」
滞空したまま首を捻る男の頭上から、火竜の背を蹴っていたオルネストが急降下し、その剣が男の肩口を捉えて斬り裂いた。
そして次の瞬間、切り口から轟然と炎が燃え上がる。
オルネストの持つ剣は火竜の業火で鍛えた特別製であり、切傷を与えたものを発火させる魔力が宿っていた。
男を斬った後、地上へ向けて落下するオルネストを、すかさず火竜が空中で受け止める。
この人と竜の連携こそが竜騎士の真骨頂であった。
「ちっ、浅かったか」
オルネストが剣に伝わった手応えから推測した通り、男は皮一枚というところでかわしており、その場で素早く旋回することで燃え盛る火を消し止めた。
「かっ! おれに傷を付けるとは見事なり! やるではないか小僧」
「小僧小僧うるせえクソ野郎! 次は叩っ斬ってやる!」
ようやく身体が温まって息巻くオルネストだったが、男は頭を振った。
「いや。今回はここまでよ。目標は達したのでな」
男がくいっと親指で後方を指し示すと、生き残ったリザードマン達は遥か遠くへ逃走した後であった。
「てめえ、ただの時間稼ぎだったのか!」
「然り。ではな、小僧。縁があればまた遊んでやろう。くれぐれも追ってきてくれるなよ? お前は殺すには惜しいからな」
男はオルネストでさえ寒気を感じる程の殺気を放つと、最後ににやりと笑ってリザードマンが逃げた方角へと飛び去って行った。
「何だったんだあの野郎は……! あれで本気じゃなかっただと?」
オルネストは忌々し気に吐き捨てると、視界の彼方の敵軍を睨み付ける。
今なら追い付けようが、異形の男が殿にいる限り殲滅は無理だろう。
何より今は自分もまともな装備を身に着けていない。仮に男が本気を出して来るならば、こちらも相応の準備をしなければ対抗は難しいと思えた。
敵軍残党を取り逃がし、強敵に嘲弄されたのは恥辱ではある。
しかし同時に、久しく忘れかけていた闘争心が燃え上がるのをオルネストは自覚した。
「帝国最強と言われようが、まだまだ強え奴が出てきやがる。これだから戦はやめられねえ!」
騎乗する火竜のごとき獰猛な笑みを浮かべつつ、旋回して要塞へ帰投するオルネスト。
帝国竜騎士三騎将が一人である彼が北方戦線から異動できる日は、まだ先になりそうであった。




