六十五 聖女と女神
ヘンツブルグ聖教一角騎士団のニーベル大尉は、公国の勝利の女神、紅との唐突な邂逅に内心激しく動揺していた。
自国に持ち帰る情報の確度を上げるため、一度会話をしてみたいとは考えていたが、まさかこれ程急に、しかもこのような宴の場で引き合わされるとは思っていなかったため、心の準備がまるでできていなかったのだ。
「はて。あなたの気配には覚えがあります。確か、帝国の大将首との一騎打ちを見ていらした方ですね」
その上紅が何でもないことのように当てるのを聞き、ニーベルは戦慄した。
観察はかなりの距離を取っていたにも関わらず、存在を気付かれていたのだ。
しかもあの手練れの重戦士を相手にしながら、である。
やはりこの少女は底が知れない。
ニーベルが意識を警戒態勢に移行させる中、キール中将が意外そうな顔を見せる。
「おや、顔見知りだったのかね。わざわざ紹介するまでもなかったか」
「いいえ。こうして直にお会いするのは初めてです。私が一方的に知っていただけですので」
表向きは平静を装いながら、ニーベルはやんわりと否定した。
「聖王国までも噂が届く程に有名な方ですから。折を見て、ご挨拶をしたいと思っておりました。ご配慮に感謝致します」
「そうか。お節介でなかったのなら何よりだ。では酔っぱらいは退散するとしよう。ゆっくり歓談してくれ。諸君も遠慮せずに楽しんでくれたまえ」
一礼するニーベルに頷いたキールは、一角騎士団の面子にも軽く会釈すると、紅をその場に置いて、空いたグラスを振りながら去って行った。
男連中に混ざり、飲み直すつもりなのだろう。
不意に取り残される形となった紅だが、焦りもなくニーベルへ向けて柔らかく微笑んだ。
その様の、なんと可憐なことか。
戦場での鬼気迫る苛烈さが嘘のようだ。
それを見たニーベルは自然と警戒が解れ、対話の姿勢が整ったのを自覚した。
「改めまして。自己紹介でも致しましょうか。私は故あって、公国のお手伝いをしている者です。現在の待遇は大尉相当というらしいのですが。階級名は無駄に長いので、紅とお呼び下さい」
「分かりました、紅殿。こうして直にお会いできて光栄です。私はヘンツブルグ聖教一角騎士団所属、ニーベルと申します。階級は大尉です」
「おや。あなたも大尉なのですか。一緒ですね。恐らく私よりも大分年上でしょうし、無理に敬語を使われなくても結構ですよ」
紅が気を遣って申し出るも、ニーベルは頭を振った。
「いえ。職業柄、敬語が染みついておりまして。これが素のようなものなのです。お気遣いに感謝致します」
部下達へ向ける口調で話すとぼろが出る可能性があると判断し、敬語という仮面で通すことにしたのだ。
「そうですか。私も長年師と一緒に暮らしていたもので、すっかりこの口調が馴染んでしまいました。ふふ。なんだか私達は似たところがありますね」
歳相応の愛らしい笑みを浮かべると、殊更に美貌が際立つ。
そんな紅に見惚れてしまわないように、ニーベルは別の意味でも緊張を強いられることになった。
「そ、そのようですね。師と言われますと、紅殿の剣のお師匠様でしょうか?」
「いえ。生きていく上で必要な全てを教わりました。今の私があるのも、全て師のお陰です」
「紅殿のお師匠様であれば、それはもう立派なお方なのでしょうね」
適度におだてつつ、情報の引き出しを試みるニーベルだが、ふと紅の表情に影が差した。
「確かに恩義はあります。しかし人格はあまり褒められたものではありません」
これまで浮かべていた微笑みを引っ込め、途端に子供のように口を尖らせる紅。
「未成年の前で盛大に煙草をふかすわ、大酒は呑むわ、肉ばかりの偏った食事しか用意しないわ。それらのことでよく喧嘩になりました。親代わりとしては落第点でしょうね」
「親代わり……ですか?」
紅の愚痴の最後に付け足された言葉にニーベルは反応した。
「はい。私は孤児でして。山に捨てられていたところを、気まぐれで拾ったのだと師が申しておりました」
「……これは、失礼致しました」
とっさに頭を深く下げるニーベルに、紅は不思議そうに小首を傾げた。
「はて。何故謝るのですか」
「ご両親がいないことを気に病まれているのではないかと……」
「ふふ。初めからいないものをねだっても仕方ありませんから。幸いにも師が家族となって下さいましたし、不足は感じておりません。あなたが謝る必要は何もないのですよ」
そう言ってふわりとした笑みが戻った紅は、本当に気にしていないように感じられた。
「……よほどお師匠様がお好きなのですね」
「そうですね。試験とは言え、極東の島国からこの大陸まで追いかける程度には」
「試験、と言いますと?」
すかさずニーベルが食い付くと、紅は隠そうともせずにあっけらかんと語って見せる。
「和国では敵がいなくなってしまったので、免許皆伝の頃合いだと切り出されまして。その試験として、大陸で師と鬼ごっこをすることになったのです」
「なんと……では紅殿のお師匠様は、現在大陸にいらっしゃるのですか!」
これはニーベルにとっては寝耳に水の大事であった。
紅の師匠と言うからには、少なくとも同等以上の力を持つに違いない。
目の前の少女ですら対処に困ると言うのに、もう一人厄介な人物が大陸のどこかに潜んでいると考えただけで、全身に怖気が走る。
仮に紅のように好戦的な性格で、どこぞの国と戦争を始めたとしたら、大陸の秩序が危ういどころの話ではない。
大陸の法の番人を自負する聖王国としては、決して見逃せない脅威となるであろう。
極めて重大な情報を得たニーベルの背に、宴会の熱気とは別の汗が伝っていった。
「和国では同等に剣を交えることができる方は師しかおりませんでしたので、本気を出せる機会がなくなってしまいました。今頃どこで何をしているのやら。大陸にはまだ見ぬ猛者がいると期待しているのですが、今のところさっぱりです。早く師を見付け、存分に死合いたいものです」
物憂げな表情を見せ、愛刀の柄を撫でる紅。
紅の師に対する好意は、どうやら好敵手という意味であるらしい。
「そう言えば。あなたもかなりの腕前だと伺っております。立ち方からしてもそれは伝わります。どうでしょう。一つ手合わせ願えませんか」
「い、今からですか!?」
突然の提案に、ニーベルは戸惑い問い返した。
「ええ。こういったお話も楽しいのですが、やはり武人ならば剣で語れることも多いでしょう。いい加減、この会場の騒がしさにもうんざりしてきましたし」
紅の言う通り、大広間は酔いの回った兵達の熱気とだみ声で溢れ返り、混沌とした様相を見せていた。
ニーベルら聖騎士も日頃清貧を心掛けているため、こういった宴には馴染めていなかった。
それにこれは、紅の力の一端を知るチャンスである。
何より武人としての血が騒ぐのが、自分でも感じられた。
現時点で自分の剣が、この恐るべき少女にどこまで通用するものか。純粋に興味が湧いたのだ。殺し合いでないのなら、是が非でも試してみたい。
付き合いで口にした酒がまだ抜けきっていなかったが、軽く手合わせする分には問題ないと判断し、ニーベルは覚悟を決める。
「分かりました。私でよろしければ、喜んでお相手致しましょう」
そうニーベルが口にすると、紅はよい遊び相手を見付けたとばかりに、心底嬉しそうな笑みを浮かべた。




