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三 海より来たる

「おら、観念してさっさと積み荷を見せな!」


 船への架け橋を塞いでいた商人風の男が、漆黒の軽鎧を着込んだ兵士に顔面を殴られ路面に倒れ伏した。


「今やこの港は帝国のものとなった! 大人しく物色……おっと。検問を受ければよし。でなくば乗組員の何人か、魚の餌にしてやってもいいんだぜ? もちろんお前をそうしてやってもいい」


 別の兵士が商人の腹を軍靴で踏み付けると、剣をちらつかせて居丈高に言い放つ。


「ひ、ひぃぃ! お助けを! 仰る通りに致しますから、命だけは……!」


 武力を持たない民間船の持ち主に、この横暴へ抗するすべもなく。

 商人は頭を抱えて震える事しかできなかった。


「よーし、最初からそう言えばいいんだ。そら、野郎ども! 派手に奪え!」

『ひゃっほ~う!!』


 形だけの船主の許可を取った兵士達は、勇んで立派な商船へ乗り込み、我先にと略奪を始めた。




 ここ港町ベルンツァは、エウロア大陸南端の小国、レンド公国の東に位置する交易港である。

 公国有数の収入源として発展していたが、それもつい先日までのこと。


 北方の敵国、ウグルーシュ帝国との国境線に近いことが災いし、帝国の精鋭部隊による奇襲を受けて敢え無く陥落、海上封鎖の拠点とされていた。


 元々レンド公国は周辺国家においても弱小国であり、兵の数や装備、練度は帝国とは比べ物にならない。

 常駐していた公国軍は善戦したが、結果は惨憺さんたんたるものであり、現在町の治安はあって無きがものであった。


 帝国兵が幅を利かせ、好き勝手横暴に振る舞う。

 暴力略奪沙汰は日常茶飯事。下手に逆らえば反逆罪で処刑までされる非道ぶりに、ベルンツァの住民は日々辛酸(しんさん)を舐めさせられていた。




「はっ。昼間から酒をかっくらって、好きに威張り散らしてりゃいいなんてな。天国かよここは」


 部下の検閲の様子を眺めながら、先程酒屋から巻き上げた上物のウイスキーを瓶からラッパ飲みし、帝国将校クルーザ大尉はにんまりと笑ってみせた。


 一応港に検問を敷くという任務を帯びている最中ではあるが、誰もそれを咎める者はいない。


 彼の部下達も皆、欲望の発露に忙しいのだ。

 クルーザもそれを容認していた。


 できる上司は、部下のストレス管理もしてやらねばならない。


 そう適当な言い訳をでっち上げ、自らの職務怠慢を都合よく解釈する。


 何と言っても、彼は今回の奇襲戦での最大功労者だ。

 町の門前に立ち塞がる公国兵100人以上を、たった一人で全滅させて後続の道を切り開いた英雄である。


 背中に吊り下げた身の丈程の大剣を軽々と振り回す様を指し、「暴風」のクルーザと呼ばれる帝国でも名の通った豪傑の一人。


 彼の部隊の任務は、ベルンツァを落とした時点で達成されている。

 公国所有の港で、王都の次に大きいここを抑えたことで、公国の抱える物資不足に更なる拍車がかかるだろう。


 そしてベルンツァを逆に兵站線に転用することで、本隊の帝国第5軍はすでに内陸へ向けて進軍を開始していた。


 町に残ったクルーザの部隊は、敵襲の恐れの無い後方陣地をのんびりと防衛するのみ。

 時折事情を知らぬ商船が入港する度ボーナスまで手に入る、実に楽な仕事だ。


 クルーザはこの現状を上層部が己に与えた褒美と捉え、作戦立案者に感謝をしつつ、休暇として大いに楽しんでいた。


 そんな帝国軍が暴力という名の検問を敷いている場に、ふとそぐわないものがクルーザの視界に映った。


 薄っすらと霧がかった沖合から、ゆっくりと波を割って近寄って来る一艘いっそうの小舟。


 陸に近付くにつれ、船上にあるものが見えて来る。


 それを視認したクルーザは、思わず息を呑んだ。



 小舟の真ん中に、一人の美しい少女が瞑目して正座をしている。



 ただそれだけであるのに、希代の名画を見たような衝撃に襲われるクルーザ。


 しかし、見惚れたのも一瞬のこと。

 歴戦の軍人の頭脳が、即座に己の職務を思い出させたのだ。


 あの女は、どこから来た何者か。


 小舟で大海を渡れるはずもなし。

 となれば沖合で難破でもして流れ着いたか。


 それならば運がいい……いや、この状況では悪いに違いない。

 常ならいざ知らず、今や港は飢えた狼どもが放し飼いとなっているのだから。


 目を凝らしたクルーザには、少女の風変わりな服装に見覚えがあった。

 確か、わずかに国交のあった極東の島国の民族衣装。

 仕立てが良く、素材も希少なもので、かなりの値打ちものだったはずだ。


 加えて腰に帯びた二本の剣。あれも相当な業物に違いない。売り飛ばせば一財産になるだろう。


 そして何より、着用している本人の美しさと言ったら……


 クルーザが下卑た妄想を浮かばせた合間に、小舟は折よく釣り船用の桟橋へと漂着し、立ち上がった少女が雅な動作で下船した。


 そこではたと我に返ったクルーザは、手近にいた部下へと命じる。


「おい、今陸に上がったあの娘を連れてこい! 多少乱暴でも構わん!」

「はっ!」


 一つ敬礼して駆け出した部下は、女に向けて尊大に声を発した。


「そこの娘、止まれ! ここは帝国の管轄だ。密航者は看過できん! 大人しくこちらへ来てもらおうか」


 言葉こそそれらしく取り繕っているが、男の顔が緩み切っているだろうことは、声音から容易に想像できた。


 間近で見れば、なおさらその美貌に目が惹きつけられる。帝都でも滅多にお目にかかれない程の上玉だ。


 しかし信じ難いことに、少女はまるで聞こえていなかったかの如く、兵の横をするりと通り抜けたではないか。


「なっ! 貴様、待て!」


 これに泡を食った兵は、少女を強引に止めるべく細い肩に手をかけようとする。


 その次の瞬間、クルーザは己が目を疑った。


 少女に触れようとした兵の腕が、まるでハムを輪切りにしたかのように細かな切れ目が入り、多量の出血と共に路面にぼとぼとと崩れ落ちて行ったのだ。


 周囲でにやつきながら顛末を眺めていた者達も、何が起きたのか分からぬまま。


「汚らわしい手で触れないで下さいませ」


 静寂の訪れた場に、瞑目した少女の凛とした声だけが響いた。

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