百九十五 開戦の咆哮
元ウィズダーム王国首都ソーサリアは、周囲が拓けた小高い丘の上に位置している。
都市を拡張するごとに、高く堅牢な城壁が三重にも築かれ、守りの堅さは大陸でも指折だった。
しかし北には広大な森林に囲まれた大河と湖が横たわり、南は天までそびえるような険しい山脈が連なって、人の往来を拒んでいる。
実質まとまった軍が進行できるのは東西の街道のみであり、そのため南北の警備は比較的薄い。東の街道を喜々として血の海に沈めている紅の影響もあって、遊撃隊は無事に迂回を果たして西の街道の封鎖に成功した。
今回も第一の功労者はリュークである。
貴族の豪華客船すら押して泳いだ膂力を存分に発揮し、人員と武装を満載した馬車を抱えて運ぶ活躍を見せた。これによる移動時間の短縮はかなり大きい。
現地に到着した遊撃隊は三つに隊を分け、それぞれ西、北、南の森の中に突貫で陣を敷き、紅の策を実現するべく奮闘していた。
「隊長の侵攻速度を考えると、もうあまり時間がないわ。それでも割り振った仕事はきっちりやること。ほんの手抜かりで死んだら悔やみきれないでしょう」
銃器の点検と陣地の構築を並行して進める隊員達に、カティアの檄が飛んだ。
「そうは言っても、実際手が足りませんよー! 紅様の見立ては信じたいですけど、ほんとにあたし達だけでここを守り切れるんですか~?」
薪とするため木の枝を調達しに奔走していたアトレットが、隊員達の心情を代表して声を上げた。
「きっとできるわ。まともに相手をする必要はないんだもの。竜騎士が来ても、ウル殿が落としてくれる。私達は帝国軍が身動きできないよう、森の中から歩兵を牽制すればいい。街を出れば狙い撃ちにされる、と意識させれば相手の動きは鈍るはず。その隙を隊長が叩く。作戦自体は単純よ」
「後はまあ、俺らがどれだけ持ちこたえられるかって話ですね」
「それが一番問題なんだけどな」
「ごちゃごちゃ言わない! 貴方達だって、いつまでも隊長のおまけと思われていたくはないでしょう? 腹を括りなさい」
「おお、おっかねえ」
「ま、中尉殿にいいところを見せるチャンスだと思おうや」
軽口を叩いた隊員達はカティアに一喝されると、肩をすくめて銃に弾を装填する作業に戻った。おちゃらけてはいるが、そこは歴戦の傭兵。今更怯えを見せる者はいない。
カティア自身、無茶な作戦であることは承知の上である。
しかしこれまで他人を全く頼らなかったあの紅が、自分達を使うと決めたのだ。その期待に応えたいという思いが、恐怖を抑えて虚勢を張らせていた。
そうして慌ただしく作戦準備をしているところに、がさりと頭上の枝葉を揺らして人影が降って来た。
「やあやあ。戻ったよ。思ったよりみんな落ち着いているね。もっと怖気付くかと思ったのに」
軽やかに地面に降り立ったのは、抜群の視力を活かして偵察に出ていたウルだった。
「さすがはあの紅さんの下で死線を潜ってきただけはある、といったところかな」
「お帰りなさい、ウル殿。あちらの様子はいかがでしたか?」
歴戦の余裕を感じさせるウルに、カティアは焦りを隠しながら報告を促した。
「うん。悪いニュースしかないね」
「……え?」
ウルのあっけらかんとした言葉に、反応が遅れる。
「帝国軍のウィズダーム担当部隊が分かった。ラズネル中将率いる第3軍だ。彼らとは何度かやり合った事があってね」
かりかりと指でこめかみをかきながら、ウルは続ける。
「占領した国の民を人質に取って、捕虜の兵士を使い捨ての手駒に使うのが常套手段なんだ。さながら奴隷兵といったところだね。今回はそれが魔法使いだから始末が悪い」
「ということは、つまり……?」
「帝国の人員はウィズダームの魔道兵を吸収して、大幅に強化されてる。彼らの十八番と言えばゴーレム使役だからね。手薄なはずの西門でさえ、大群でがっちり固められてたよ。恐らく東はもっといるだろう」
「大変じゃないですか! すぐ隊長に報せないと!」
「はいはい。ちょっと待ってね」
思わず叫ぶカティアとは対照的に、ウルはマイペースに通信用の木の葉を取り出し、紅との連絡を試みた。
「隊長、先走らないでいて下さいね……」
祈るカティアが見守る中、ウルの手の平で数回振動した木の葉から、かさかさと受信を報せる摩擦音が響いた。
『はい』
「隊長、緊急事態です! 帝国はウィズダームの兵を徴用して戦力を強化しています! 計画を練り直すべきでは!?」
『そう言われましても。もうすぐ東門に着きますが』
カティアの語気の強さを気にした風もなく、おっとりとした返事が発される。
『しかし合点が行きました。街は目前だと言うのに、帝国兵の気配はまばらで、変わった雰囲気の方々が大勢いますから』
「恐らくウィズダーム兵と、その手札である人形兵、ゴーレムでしょう。彼らは人質を取られてやむなく従っているだけらしく、上手くすれば味方につけることができるかも知れません」
『不要です』
ふと口をついたカティアの進言を、紅は間を置かず却下した。
『同盟が成っていれば話は別でしたが。無関係の人間を助ける義理はありません。理由がどうであれ、帝国の軍門に降ったのならばもはや敵です』
「ですが……!」
『カティア』
説得を続けようとするカティアを、紅の静かな声が遮った。
『これは戦です。余計な情けは己を滅ぼしますよ。すでに火蓋は切られているのです。予定を変更する猶予もありません。日没に合わせて作戦を開始します』
紅は淡々と決定事項だけを伝えると、通信を切った。
短くはあったが、言い返す余地のない論理が詰め込まれており、カティアはしばしうつむいて歯を食いしばった。
「わお。さっすが紅様。ドライ~」
「あっさり切り捨てるねえ。隊長にとっちゃそもそも増援なんざいらんだろうが」
「俺らも命がけだしな。他人を助けてる余裕なんざねえよ」
聞き耳を立てていた隊員達がこそこそと言い合うのを、カティアは黙って呑みこんだ。
失態だった。
確かに上官として、赤の他人を助けるために部下を危険に晒すなど言語道断。感情が先走ってしまったことは反省に値する。
自国の利益を最優先とするのが、軍人の務めでなければならないはずなのだ。
こうして良心をすり減らしてでも勝利と生存を目指すのが、紅の言う戦争の本質なのだろう。
カティアは公国軍人としての本分を思い出し、毅然と顔を上げた。
すると、ちょうど正面にいたウルと目が合った。
「どうする? 僕は雇われ者だからね。言われた通りに動くよ」
悪戯っぽい瞳で見つめて来るのは、恐らく紅の命に背いてでも人質を助けるかどうかを問うているのだ。
隠密行動が得意なウルであれば、都市に忍び込んで人質を探し出す自信があるのかも知れない。
しかし、ただでさえ余裕のない中での作戦である。これ以上不確定要素を増やす訳には行かない。
「……作戦に変更なし。予定通り遂行します」
美貌の傭兵の誘惑を振り切り、カティアは命令に徹する軍人の仮面を身に着けた。
「了解。ふふふ。初々しいね。まだ本当の地獄を見たことがないんだろうな。この戦が君の成長の糧となることを祈るよ」
そんなカティアをにやにやと眺めた後、ウルはからかい混じりの言葉を残して再び樹上へ消えた。
実際経験の浅いカティアは何も言い返せず、己の未熟さに歯噛みするばかりだった。
一方、ソーサリアの東門手前にて。
カティアからの通信を切った紅は、堂々と姿を晒して街道を進み、帝国が設けた検問へ辿り着いていた。
「止まれ。現在この道は封鎖中だ。引き返すんだな」
「いや待て。貴様、そもそもどこから入り込んだ? 民間人が立ち入れる場所ではないぞ」
見張りの二人組が声をかけて来るが、紅は歩みを止めぬままに宣言する。
「私は公国より参りました。これよりあなた方を皆殺しにします」
直後に二人の首が飛び、鮮血が噴き出す合間を悠々と通り抜けていく。
脇にあった小屋に駐留していた他の兵達が慌てて駆け付けようとするが、出て来る前に小屋ごと斬り刻む。
そして街道を塞ぐ粗末な門を木っ端微塵にし、いざ踏み越えた時。
「はて」
びりり、と。薄紙を一枚破ったような感覚を覚えた。
ややあって、遠くから激しい鐘の音が鳴り響き、城門の辺りが騒がしくなり始める。
「結界、でしょうか」
詳細は不明だが、どうやら自分の存在が城内に知られたと悟る紅。
「魔法使いの仕業という訳ですね」
そう納得するところへ、多数の銃声が夕闇を切り裂くように周囲へ木霊した。