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百九十四 下拵え

「隊長。先行していた班から報告です。前方にて多数の死体を発見。装備を見るに、先発隊の一部ではないかとのことです」

「ご苦労。残念ながら、悪い予感が当たったようだな」


 鬱蒼と茂る森の中、獣道をかきわけて進んでいた帝国第3軍の斥候部隊は、途端に緊張を漲らせた。


 連絡を断った先遣隊の現状を確認するため、帝国第3軍は大規模な調査団を編成した。

 状況が不明なため、街道を直進する本隊と、山中から細部に目を光らせる複数の別動隊とにルートを分けて、時間差で出発させる念の入れようである。


 それが功を奏し、やや遅れて行軍していたこの隊は難を逃れた形となった。


「……これは、凄まじいな」


 部下に続いて現場へ着いた指揮官が、検分を始めるなりううむと唸る。


 散乱する死体は全て綺麗に首を刎ねられており、周囲に大した戦闘痕もない。

 恐らく不意を突かれ、抵抗する間もなく全員一撃で仕留められて行ったのだろう。一目で相当な手練れの仕業だと理解できた。


 犠牲となった兵らとて、これまでの激戦を生き抜いてきた精鋭であり、決して弱卒ではない。それをこうもあっさり始末するとなると、さぞかし名のある暗殺部隊が動いていると見るべきだ。


 そして現状、近隣でそのような駒を擁し、動員する可能性がある勢力は一つしか浮かばない。


「どうやら我々は評議国を甘く見ていたようだ。至急情報を持ち帰らねば」


 瞑目して考えをまとめていた指揮官が、部下へ指示を出そうとした時。


「その必要はありません」


 凛と透き通った声が響き、指揮官の反応をわずかに鈍らせた。


 はっと顔を上げれば、目の前にいた部下の首がごろりと落ち、その向こう側に浮世離れした美貌の少女が瞑目して立っている。


 ……いつの間に。


 唐突に現れ、部下の首を刈り取られたことに戦慄しつつも、指揮官は己の職務を放棄しなかった。


「──総員撤退!」


 即座に手に負える相手ではないと判断し、周囲の部下へ命令を下すと、素早く飛び退いて呼子笛を吹き鳴らそうとした。


 誰か一人だけでもいい。どうにか生き延びて、この凶悪な敵の存在を本隊へ報せるのだ。


 しかし腕を動かした途端、その手首から先が勢い良く飛んでいき、茂みの奥へと消えた。


「判断の早さはお見事。ですが逃がしはしませんよ」


 この刹那のやり取りの間に断ち斬られたらしい。少女は抜き身の得物をぶら下げ、にっこりと笑って見せた。


「黒衣に紅い剣……まさか貴様は……」


 少女の全身を見た指揮官は一つの結論に思い至ったが、時すでに遅し。


 木々をすり抜けて散開しようとした部下達が、前触れもなく肉片へ変わっていく様子を、崩れゆく視界の中で眺めていることしかできなかった。




「ふふ。まだ楽しませて頂けそうですね」


 十数人の斥候を手早く片付けた紅は、音もなく納刀して微笑した。


 呼子笛を吹こうとしたということは、付近に仲間が散っているはず。全て探し出して皆殺しにするまで、狩りを堪能できるというもの。


 普段の紅なら敢えて増援を呼ばせ、集まった敵を一網打尽にする方法を選んだだろう。


 しかし相手は情報収集を主目的とした斥候隊。調査中に少しでも異常があれば、すかさず後方へ伝令を出すよう手配しているはず。


 今回の遊撃隊の作戦を完全なものとするには、奇襲が絶対条件であり、徹底した情報遮断が求められる。故に一人たりとて逃す訳には行かない。


 山中での追跡など慣れっこの紅ではあるが、万全を期すため確実に各個撃破に徹しているのだ。


 紅は嗅覚と聴覚を研ぎ澄ませて周囲の気配を探ると、獲物を追い立てる狼のように道なき道へ滑り込んで行った。




 先日帝国先遣隊の野営地にて遊撃隊と合流した紅は、ウィズダーム攻めの作戦概要を伝えた後、再び単独行動に戻って街道を西へ進んでいた。


 先遣隊にあれ程の人員を割いていた以上、街道には兵站線が築かれ、本隊との定時連絡も欠かさなかったはず。


 さほど間を置かず前線の異変に気付き、状況把握のために斥候を送り込んで来るだろうと紅は予想し、それは見事に的中した。


 街道沿いに点々と設置された中継地を全て潰しながら、それを頼りに進んでくる調査隊を出合い頭に容赦なく鏖殺していく。

 調査隊には護衛と伝令を兼ねた竜騎士も当然のように随伴していたが、紅は先の戦でのウルを見習い、高く飛ばれる前に真っ先に斬り捨て憂いを断つことで、一人の敵も余さず討ち取った。


 山中の斥候も含め、分散した敵部隊の総数はかなりのものだったが、来る方角は知れている。把握した地形から進攻経路を読み、待ち伏せするなど容易い。適当な敵兵の死体を目立つ場所に配置し、斥候をおびき出す囮にするなどして着実に戦果を挙げていた。


 この状況は帝国からすれば悪夢に違いない。何しろ状況把握のために出した部隊がことごとく戻らず、調査が全く進展しないのだから。


 犠牲が増え、疑心が膨らむほど、帝国は東を警戒せざるを得なくなる。

 それを示すように、帝国軍との遭遇頻度は徐々に減ってきていた。

 どうやらこれ以上無闇に兵を消耗するより、仮想敵に備えて拠点の守りを優先する方針に切り替えたらしい。


 戦略としては妥当だが、遊撃隊にとっては追い風である。



 何故なら──



 付近で一番高い木へ登って一帯を俯瞰ふかんし、周囲の敵の一掃を確認した紅の胸元が、不意にふるふるとかすかに振動した。


 紅が懐から取り出したのは、葉巻のようにくるくると細く丸めた一枚の緑葉。それが独りでに震えているのだ。


 葉を折らぬようゆっくりと広げると、途端に聞き覚えのある軽薄な声が響いてきた。


『──お、繋がった。もしもーし。ちゃんと聞こえてるかい?』

「はい。しっかりと」


 ウルの問いかけに応答しながら、紅は軽い感嘆を覚えた。


 なんでも木の葉を媒介にして、遠方に声を届けるエルフ秘伝の魔法らしく、別行動をする際にウルから預けられたものだ。


 銃器ほどの派手さはないが、連絡の手間を大幅に省くのだから、戦へ与える影響は計り知れない代物である。


「なんとも便利な術ですね」

『ふふん、そうだろう? まあそれなりに疲れるから、一度に一対しか作れないんだけどさ。そこはご愛敬ってことで。ともあれ、部隊の移動は完了した。帝国には気付かれていないはず。各隊持ち場に展開中だよ』

「そうですか。幸先は良いようですね。こちらも経過は順調です」


 待ちわびた報告を受け、紅の口角が上がる。


 何故なら、本来一日とかからず踏破できる距離をゆっくり進み、念入りに障害を取り除いていたのは、遊撃隊によるソーサリアの包囲が成るまでの時間稼ぎだったからだ。


 紅が帝国の注意を東側へ引き付けている間に、都市を迂回した隊員達が西の街道を抑えるまでが作戦の第一段階だった。


 その下拵したごしらえが済み、いよいよ大舞台の幕が上がろうとしている。


「ふふ。時には戦支度に手間をかけるのも悪くありませんね」


 紅は確かな高揚を感じ、満面の笑みを浮かべた。

 例えるなら、行楽に持っていく弁当を丁寧に仕込み終えたような気分とでも言おうか。


 今回は助っ人こそいるが、ほぼ遊撃隊のみで遂行する作戦である。戦の一端を隊員達に託すという、常と違った状況を楽しんでいる自分を否定できなかった。


「私も次の段階に移るとしましょう。皆様の働きに期待しますとお伝え下さい」

『了解。準備が整ったらまた連絡する。君には不要かも知れないけど、武運を祈ってるよ』

「ありがとうございます。また後程」


 振動が止まって沈黙した木の葉を再び丸めて懐に収めると、紅は刀の柄をつつりと撫でた。


「さて。此度の戦はどのように動くでしょうか。昂ぶりますね、くれない


 その呟きを残した後、木の上から少女の姿は消え去っていた。

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先日帝国先遣隊の野営地にて遊撃隊と合流した紅は、ウィズダーム攻めの作戦概要を伝えた後、再び単独行動に戻って街道を西へ進んでいた。  先遣隊にあれ程の人員を割いていた以上、街道には兵站線が築かれ、…
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