百九十二 踊る賽の目
[これは一体、どういうことでしょうか」
帝国軍の野営地跡へ辿り着くなり、カティアは顔を引きつらせていた。
紅が帝国先遣隊を全滅させた後、ウルは周辺に潜んでいた評議国の斥候を見付け出し、突然の惨劇に呆然としていた兵の尻を蹴飛ばして国境の砦へ戻らせた。
その報告を聞いたカティアら遊撃隊は、慌てて馬車を走らせ紅と合流したのだった。
到着した時点で野営地は、武器庫や食糧庫、一部の天幕を残して、見事な焼け野原となっていた。
後始末をしたのは言うまでもなくリュークだろう。
当人は大仕事の後の休憩とばかりに地べたへ寝転がり、こんがりと火の通った人肉を夢中で貪っている。
「はて。昼食を取っているところですが、何か」
「それは見ればわかります! 私が問いたいのはそのことではなく!」
食糧庫から持ち出したのだろう乾パンをかじりながら首を傾げる紅に、思わずカティアは声を荒げた。
「今回は偵察だけ。くれぐれも先走らないよう伝えましたよね? それなのに、何で当然のように攻め落としてるんですか!」
「責めるなら帝国軍にして下さい。あれほど隙だらけでは、襲ってくれと言っているようなもの。手を出さずにいられましょうか」
「そこに手頃な獲物がいたからってか……」
「発想が飢えた野獣なんだよなあ……」
まったく悪びれない紅の言葉を聞き、カティアの後ろで隊員達がぼそぼそと呟く。
「貴方達も! 何のために同行したんですか! こうさせないためでしょう!?」
カティアは紅と共に食事を取っていたウルとアトレットにも叱責を飛ばす。
「いやあ、面目ない。だけど、あの勢いを止めるのは無理かなー」
「ですよねー」
二人して視線を明後日の方へ向け、乾いた笑みを浮かべるのを見て、カティアはくらりと眩暈に襲われた。
薄々こうなる予感はしていたのだ。敵を目前とした紅が取る行動など、一つしかないと。
それが現実となったことを渋々認め、長いため息を吐くと、カティアは気を落ち着けてから静かに切り出した。
「……いいですか? 今回は我々だけの単独任務ではなく、評議国との合同任務です。つまり外交問題も絡んでいるんですよ。これでは協定を破棄されても文句は言えず、最悪敵地の真っ只中で孤立しかねません」
「私はそれでも構いませんが。ここは公国内ではありませんし、私のやり方で始末を付けます。ウィズダームへ向かう前に評議国を潰せば、憂いはなくなるでしょう」
『な……!?』
さらりと挑戦的な言葉を発した紅に、遊撃隊一同がぎょっとする。
「いやいやいやいや! 帝国と評議国を同時に相手取るなんて、隊長はともかく俺らが死にますって!」
「こんな場所じゃ補給も何もあったもんじゃないですし!」
「船だって速攻で抑えられて、退路が断たれます! 隊長、どうか冷静に……ああ、冷静に言ってるからやべぇんだったこの人!」
口々に必死で紅を説得する隊員達だが、紅はどこ吹く風で聞き流していた。
「まあまあ。君達、少し落ち着いて。評議国が君達を敵と見なすことは、今のところないから」
ふと、ウルが皆をなだめるように横から割り込んだ。
「……この場では、貴方が一番信用ならないのですが」
「ごもっともだね。本来ならこの非常事態を議会に報告しなきゃいけない立場だし」
カティアの辛辣な指摘に、ウルは評議国の監視役であると素直に認めて肩をすくめた。
「帝国本隊への伝令は食い止めたから、多少の時間稼ぎはできた。それでも遅かれ早かれ、野営地の壊滅は露見するだろう。そうなれば、帝国と対話を望む議会の思惑は水の泡。協力はなかったことにして、君達を生贄として差し出さざるを得ない」
隊員達の不安げな視線を受け止めながら、平然と説明を続けるウル。
「ただし、僕の見解はまた違ってね。さっき彼女の戦いを直に見たけど、正直帝国とやり合う方がいくらかましだと思ったよ。敵対はできれば避けたい。という訳で、当面上への報告は差し止めておく。その間、協定は有効なままだ」
「それでも、条件付きなのでしょう?」
「もちろん」
疑念を露わにするカティアに、ウルは片目を閉じて見せる。
「君達が到着するまで、紅さんと話していたんだ。済んだことは仕方ない、次にどう動くかが肝要だと。どうせ手を出したなら、このままウィズダームまで攻め込んでしまうのが最善だろうってね」
『はああああ~!?』
動揺した隊員達が一斉にどよめく。
「先手を取るのは戦の定石。こちらの存在を知られていない今が、奇襲の好機でしょう」
「何で相談もなく……まさかまたお一人で突っ込む気ですか!?」
「いえ。今回は少し趣向を変えることにしました」
狼狽するカティアの問いに、紅は悪戯っぽく微笑を浮かべた。
「ただ攻めるだけなら私一人でも良いのですが。聞けば本隊が居座るのは、ウィズダームの首都だそうで。レンドニアよりさらに広いとのこと。殲滅に手間取り、将が逃げる隙を与えてしまうのは避けたいところです。そこで、此度は用兵のおさらいも兼ねて、皆様にも動いて頂こうかと」
「この少人数で都市攻めをしろと!?」
「はい。無論、闇雲に突撃しろなどとは言いません。ウル殿から現地の地形を聞き、おおまかな策を立ててみました」
仰天したカティアを意に介さず、紅は淡々と腹案を披露してみせた。
「……理には適ってる……のか?」
「まあ……確かにこの野営地に銃と弾薬はたんまりあるようですが。俺らだけでそんな大役が務まりますかね……?」
紅の大胆な策への疑問を払拭できず、首を捻る隊員達へ、紅は意外そうな声を上げる。
「おや。自信なさげですね。私から見て、皆様の評価はそう低くありませんよ。日々の稽古で、地力がついてきたのがわかります。この程度の作戦はこなせて欲しいものですが」
「た、隊長が俺らを褒めた……!?」
「マジか……? 夢じゃねえよな?」
滅多なことでは他人を褒めない紅の激励に、隊員達がざわりと色めき立った。
「おらー、野郎どもー! 紅様がここまで言って下さってるんだぞ! それでも怖気づく奴がいるってのか~!?」
すかさず木箱の上に飛び乗って、食べかけの干し肉を握った拳を振り上げたアトレットが檄を飛ばす。
「こ……ここまで言われちゃあ……なあ?」
「おうよ! 隊長の期待を裏切る訳にはいかねえだろ!」
「我らには女神の加護やあり……信心のままに進めば、大局さえ動かさん……」
「やれそうな気がして来た……いや、やってやろうじゃねえか!!」
「その調子だ野郎ども! 紅様にいいとこ見せるぞ! えいえいおー!!」
『おお~!!』
アトレットの音頭で、一斉に拳を突き上げ雄叫びを上げる隊員達。
「ふふふ。威勢がいいね。頼り甲斐がありそうだ」
「そうでしょう」
それを眺めてくすりと笑うウルに、紅は得意気に頷いた。
「君達が公国軍の旗を掲げて帝国を叩く。その結果、君達が勝ってくれれば儲けもの。負けてもこちらは無関係を通して現状維持って寸法さ。君達と直接敵対するより、よほどいい案だろう?」
「なるほど……抜け目のないことですね」
ウルの考えを把握したカティアが、複雑な表情で唸った。
「それに、紅さんがいれば十分に勝機ありと見込んでのことでもある。評議国の軍を動かす訳にはいかないけど、僕も個人的に協力しよう。公国に雇われた体でね」
「先程の狙撃はお見事でした。あなたの助力があれば、作戦遂行はより円滑となるでしょう」
「期待に添えるよう尽力するよ。一緒に帝国軍を叩きのめしてやろうじゃないか」
二人の美貌の女傑が、揃って不敵な笑みを浮かべる。
こうして加速する紅の独断により、わずか30人ほどで巨大都市を攻めるという、前代未聞の作戦が敢行されることとなった。