百九十一 竜墜とし
「やれやれ。到着早々独断専行とはね。君にも説得して欲しかったんだけど」
「やだなー、あたしなんかが紅様を止められる訳ないじゃないですかー」
紅に置き去りにされたウルとアトレットを乗せたリュークは、戦場を見渡せる場所へと移動していた。
「いつもこの調子じゃ、あの副官の子も苦労してそうだね。それにしても……」
一度始まってしまった戦は止められない。ひとまず割り切って観戦を決め込んだウルは、紅の圧倒的な暴れぶりに度肝を抜かれ、驚愕を通り越した呆れ顔で溜め息をついた。
「あの大軍に躊躇なく飛び込んだ上、これほど早く戦線を崩すなんて。噂には聞いていたけれど、想像以上にでたらめな子だね」
交戦開始から10分と経っていないというのに、帝国軍はすでに半壊していた。
面会時に彼女の技を垣間見たが、ほんの一端でしかなかったのだと思い知る。重装甲の兵らが紙切れのごとく易々と斬り散らされる様はまるで現実味がなく、何かの冗談のようにも見えた。
「森を出てそれなりに経つし、強い人間は何人も見て来たつもりだったけど。こんなに強烈な戦い方をする剣士は初めてだよ。まったく、彼女には良くも悪くも驚かされてばかりだ。常識外れもいいところだね」
「でしょー? 紅様はサイキョーなんで!」
ひょいと肩をすくめるウルへ、アトレットが我がことのように得意満面でふんぞり返った。
「ふふふ。あれほどの武勇を誇る上官だ。さぞかし鼻が高いだろうね」
ふんすと鼻を鳴らす様は実に愛らしく見え、自然と微笑を返すウル。
ふと、その視線が野営地後方へと向けられる。
彼女が察知したのは、今にも飛び立とうと羽ばたいている複数の飛竜だった。
「まずいな。竜騎士が動き始めた。この場で戦うならまだしも、離脱されて本隊に報告が行くと厄介なことになる」
帝国軍は、まだ公国使節団の存在を知らないはず。となれば襲撃犯は評議国だと決めつけ、報復を口実にしてすぐに進軍を開始するだろう。それは避けたい事態である。
見たところ、紅は目前の敵を狩るのに夢中で、離れた位置にいる竜騎士に気付いていない様子。となれば、このまま見過ごす訳には行くまい。
即座に決断したウルは、アトレットの肩をぽんと叩いた。
「君、彼らの頭上を取れるかい?」
「ん~、飛竜は速度が出るまで遅いんで、今ならまだ間に合うかも! リューくん、よろしく!!」
指示を受けたリュークが素早く上空へ舞い上がり、雲に紛れて野営地の西へと抜ける。
その時点で竜騎士隊は、ちょうど地を蹴って高度を上げようとしているところだった。
「先回り成功! で、どうするんですか?」
「まあ見てて。このまま彼らとの距離を維持して欲しい」
アトレットの問いに軽く片目を閉じて見せると、ウルは背負った大弓を手にし、丁寧に矢をつがえて引き絞った。
「おお~! 噂の竜墜としの技を直に見られるなんて、ラッキー!」
「……少し集中させてくれないかな」
伝説と謳われる傭兵の腕前に期待してはしゃぐアトレットに苦笑しつつ、流れる雲の隙間から覗く竜騎士を見据え、慎重に風を読む。
彼らはまだこちらに気付いていないようで、回避行動に移らない。あるいは紅に追い立てられたお陰で、周囲を警戒する余裕がないのかも知れないが。
何にせよ、狙撃する分には好都合である。
わずかな時間息を止めて狙いを定めていたウルが、ふっと鋭い呼気と共に放った渾身の一矢は、まるで見当外れな方向へと飛び出して行った。
「そりゃないよ、お姉さん──って、えええ!?」
明らかに落胆したアトレットの顔が、一転して驚愕に染まる。
外したと思われた矢は、不意に極端な鋭角を描き、先頭の飛竜の喉元へ吸い込まれるようにして見事に射抜いたのだ。
それだけに留まらず、貫通した矢は散開して飛んでいた竜騎士隊をあり得ない軌道で追尾し、次々と撃ち落として行く。
そんな離れ技を超遠距離から、しかも足場が不安定な飛竜の上でこなして見せたのだから、名が売れるのも当然の技量と言えた。
「うん。討ち漏らしはなし、と。竜騎士の相手は久々だったけど、こんなものかな」
ウルは油断なく周囲を索敵し、及第点と言える仕事をこなせたことに満足して構えを解いた。
「すごいすごい!! お姉さん、今の何何? どうやったの!? 魔法みたい!」
興奮のあまり手綱を離して抱き付いて来るアトレットに、ウルは爽やかな笑みを見せる。
「誰でもできるさ。長く鍛錬を積めばね」
「長くって、どれくらい?」
「んー。100年くらいかな?」
「何それ! そんなの無理じゃん! 子供だと思ってからかってるなー!」
「あはは」
頬を膨らませたアトレットが肩をぺしぺしとはたくのを、ウルは笑って受け流した。
少女は冗談だと思ったようだが、長い寿命を持つエルフであるウルは見た目通りの年齢ではなく、実際に100年以上を鍛錬に費やしてきた。
ただし先の一射は、その卓越した技術に加えて、精霊魔法も併用している。
召喚したシルフに弾道の補正と威力の底上げをさせており、まさに攻撃魔法と遜色のない絶技として確立したものだ。
言葉では謙遜してみせたが、仮に短命種が同じ期間修練に励んだとしても、容易に辿り着ける領域ではない。
その点を敢えて説明しなかったのは、紅を警戒してのこと。
一見アトレットは無邪気な少女だが、今も眼下で暴威を振るっている猛者の部下である。ここでの会話は筒抜けとなるだろう。
未だ敵か味方、どちらに転ぶか分からぬ者に手の内を明かすつもりはなく、適当にあしらったのだった。
「あたしだってそれなりに修羅場を潜ってきたんだぞー! どいつもこいつも馬鹿にしてー!」
「ごめんごめん。おや。もう片が付きそうかな」
不満をありありと見せるアトレットの気を逸らすため、ウルはちらりと視線を下へ投げる。
傍目には微笑ましいやり取りをしている間にも、紅による地上の一方的な殺戮劇は進み、駐屯地の制圧は時間の問題となっていた。
指揮官が討たれたのか、総崩れとなった帝国軍はばらばらの方向へ逃げ始めていたが、紅は神速をもって先回りしてことごとくを斬り捨てていく。
単独で多勢を包囲するという矛盾した光景をまざまざと見せ付けられ、ウルは密かに舌を巻いた。
「やっふぅ~!! さっすが紅様! 狙った獲物は逃がさない!」
先程までの機嫌の悪さはどこへやら。途端に歓声を上げるアトレットから解放され、ウルは一息つきながら賛同する。
「本当に、大したものだよ」
同時に胸中では、今後の方策について思いを巡らせた。
(……彼女が暴走するのは想定内ではあったけれど。ここからは慎重に立ち回らなきゃね)
ウルが案内人として公国使節団に接触したのは建前であり、本命は議会から託された使命にあった。
それは紅の不興を買わず、評議国へ利益をもたらすように誘導すること。言うまでもなく、国の明暗を分ける大役である。
ふと、遠目に観察していた黒衣の少女が足を止め、こちらを仰いで笑みを深めた。
気付けば帝国軍は全滅しており、辺り一面朱に染まった戦場に静寂が満ちている。
無数に散らばる骸の中心で、一人悠然と佇む姿はまるで絵画のよう。見る者の背筋を凍り付かせるほどに美しい。
目の肥えたシャトラークが魅了されるのも無理はないと思える構図だった。
「……良い見世物だったよ。でも、評議国内で好き勝手してくれたお代には、まだ足りないな」
ウルが自らを鼓舞するよう小さく呟いた言葉は、誰にも聞き止められず風に流れて消えた。
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