百五十三 国外派遣
「二人とも、よく来た。改めて、今回の怪物討伐ご苦労だった」
参謀本部の執務室を訪れた紅とカティアへ、目の下に隈を作ったロマノフ中将は労いの言葉をかけて迎えた。
紅がレンド公国東部を荒らし回った黒竜を討ち取ってから、はや数日。
その間、軍は情報収集や戦後処理に追われていたのだろう。
ロマノフの顔色は明らかに精彩を欠いており、疲労がありありと浮かんでいた。
「なかなかに歯応えのある相手で楽しめました。あのような大物がいるとは、大陸は広いですね。またお目にかかれるでしょうか」
「仮にいたとしても、関わるのは御免被るがな。あんなものが何度も現れては国が持たん。急ぎ被害確認を進めているが、現時点でも相当なものだ」
そんなことはお構いなしにのんびりとした感想を述べる紅へ、ロマノフは苦々しく返した。
「真っ先に襲撃を受けたベルンツァが高速船でよこした伝令によれば、町は全壊、守備隊と住民の半数近くが犠牲となったとのこと。幸いベルンツァ公は残りの民を連れて船で逃れたようだが、守備隊司令官のイスカレル大佐は行方が分からず生死不明だそうだ」
「そんな……」
かつて滞在した町の惨状を聞き、カティアは声を詰まらせた。
「街道沿いの砦や村々もほぼ壊滅状態。南下を阻止しようとしたランツ要塞も派手に破壊され、シュベール中将を含む多くの兵が瓦礫の下敷きになったらしく、生存の望みは薄い。奴が通った街道も滅茶苦茶となり、救援部隊を送ることすら難儀している。実に深刻な事態と言えよう」
「中将閣下まで! なんということでしょう……」
立て続けに重要拠点と有能な将を失った痛手を再確認して、顔を曇らせるロマノフ。
特に彼はシュベールと懇意にしていたこともあり、その心情は察して余りある。
カティアも悲嘆の声を上げるしかなかった。
「今回は折よく遊撃隊が王都に戻っていたお陰で撃退できたが、もしもいなかったらと考えるとぞっとする。再び我が国の危機を救ってくれた中佐相当には感謝しかない」
「お気になさらず。戦でしたらいつでも歓迎ですので」
「本当に心強いことだ」
さらりと言ってのける紅の笑顔を見て多少気が晴れたのか、ロマノフの表情からわずかに険が抜けた。
「ところで。長々と被害を語るために私達を呼び出した訳ではないでしょう。そろそろ本題に移りませんか」
国の苦境などまるで興味がないとばかりに促す紅に、ロマノフは苦笑する。
「そうしよう。大仕事を終えたばかりですまんが、遊撃隊に新たな任務を頼みたいのだ」
「それはそれは。もう次なる戦地を紹介して頂けるのですね」
紅は途端に顔を輝かせて続く言葉を待った。
「戦になるかは現地の状況次第だが、貴官らにしか務まらぬ重要な任務なのは確かだ。公国の北東、ウィズダームという国へ特使として向かい、同盟を結んで来て欲しい」
「はて。使者ですか」
紅がこてりと首を傾げるところへ、カティアが補足するように口を開く。
「ウィズダーム王国と言えば、魔法技術で栄える大国ですね」
「そうだ。どうやら帝国はその魔法に目を付けて攻め込んだようでな。現在は拮抗しているが、仮にウィズダームが落ちれば帝国に魔法が渡り、戦力を増強されかねん。その前に手を打っておきたいのだ」
カティアに頷いて見せたロマノフは、椅子から立ち上がって壁にかかった地図を指でなぞり始めた。
「情報部によると、帝国も怪物による被害を少なからず受けたらしい。我々同様国内の立て直しに必死で、しばし攻勢が緩むものと思われる。加えて東部の国境線も通行不能な程に破壊され、北部と同じく陸路での進攻は互いに難しくなった。参謀本部はこの膠着状況を活かし、守りを固めつつ他国との連携を図る方針を決めた訳だ」
ロマノフはあえて説明を省いたが、紅を国外任務に当てることで聖王国より提示された支援の条件を満たせるため、被害を受けた地域へ神官兵を配置できるという意図も含んだ計画だった。
「それで同盟ですか」
「うむ。そして交渉に向かうに当たり、怪物討伐の勲功も加味して、中佐相当を一階級昇進。大佐相当へ任ずる運びとなった。これは傭兵としては最上級の待遇、そして公国史上初の快挙だぞ」
「それはすごい! おめでとうございます、隊長!」
ロマノフの言葉に興奮するカティアだが、紅の反応はやはり薄かった。
「それよりは菓子の一つも頂きたいところですね」
「むう、望みとあればそれくらい用意するが。ここまで昇進に無頓着な者も類を見んな……」
「そもそも、何故階級を上げる必要があるのでしょう」
叙任のし甲斐がないとばかりに呆れるロマノフに、素朴な疑問を返す紅。
「平時なら、手柄と能力に応じた地位を用意することで兵の士気を高めるため、と言ったところだが。今回については、使者として上級将校を用意したと、相手方へ誠意を見せるためでもある。本来なら外交官が出向くべきではあるが、戦時下では足手まといだろう。軍の護衛を付けるより、軍から使者を立てた方が早い。となると、最低でも大佐程度でなければ格好がつかん。要は箔付けだな」
「政治とは面倒なものですね。到底理解できません」
ロマノフの解説を聞いてもぴんと来ない様子で、紅は肩をすくめた。
「まあ貴官は特に気にせず、いつも通り堂々としていてくれればよい。細かい点は中尉に任せるつもりだからな」
「しょ、小官でありますか!?」
急に話を振られたカティアが取り乱す。
「キール中将やコルテス少佐からの報告を見るに、随分評価されているぞ。遊撃隊の副官に据えた私も鼻が高い。貴官ならば、此度も大佐相当を上手く補佐してくれるものと期待する」
「なんと畏れ多い……! 誠心誠意、励む所存であります!」
ロマノフの信頼を受けて、緊張のあまりぎこちなく敬礼するカティアに紅は微笑んだ。
「ふふ。カティアの優秀さが広まるのは気分がよいですね。その調子で交渉もお願いします」
「他人事のように言わないで下さい! あくまで使者の代表は隊長なんですからね!」
「はてさて。そう言えば」
カティアの抗議を回避するように、紅は露骨に話題を逸らした。
「先程、陸路は使えないと仰っていたかと思いますが。飛竜で向かえばよいのですか」
「いや、それでは少人数しか移動できまい。今回は他国での任務だからな。有事に備え、遊撃隊全員で向かってもらいたい」
「では閣下。もしや」
カティアが何やら感付いた様子で問うと、ロマノフは首肯する。
「うむ。船を用意させている。海路でウィズダームに近い港まで送ろう」
「なるほど。船旅ですか」
これまでとはまた違った趣の旅路とあって、自然と紅の声は弾んでいた。