百四十八 奇縁
かなりの深手を負ったにも関わらず、さほどの時間をかけずに復活した怪物に感心しながら、紅は再び容赦のない猛攻を加えていた。
先程の流れと同様、まずは障害となる四本腕を破壊し、がら空きとなった上半身へ雨あられと打撃を見舞う。
折を見て人体の急所の集まる正中線や、心臓付近の左胸を強打してゆくが、一切怯むことはなく。
三つ首のそれぞれの顎をかつりとかすめて揺らしてもみたが、脳震盪すら起こさず噛み付いて来る。
主要な急所を一通り叩くも、どれも効果は今一つ。
どうやら人体に似ているのは外見と骨格だけのようで、内臓や経穴など、つぼや急所の位置構造はまったく別物なのだろうと思われた。
戦況自体は依然として紅が優勢なままではあるが、弱点らしい部位は見当たらず、決め手に欠けるのは否めない。
内臓を破壊されても即座に再生を始める驚異の頑強さを見せる怪物を前に、紅は次はどう攻めたものかと思案していた。
現時点での敵の評価は、膂力こそあれど動きは単調。図体が大きい分隙も多く、ただ斬るだけならば容易い。
しかし底の見えぬ生命力に、酸と毒虫を生じる特異体質は実に厄介である。
堅実に行くなら血を吐かせぬように殴り続けるのが常道だろうが、半端な打撃では通らず、やり過ぎてもならぬ。有効な力加減が難しく、相手が力尽きるまで行うのは面倒の一言に尽きた。
もっと効率の良い攻略方を模索するべく、紅は一時攻撃の手を止め、情報収集に努めることを決める。
相手の弱みを探るには、地道な観察あるのみ。
紅は怪物の足元へ鋭く踏み込み地面を陥没させ、多量の土煙を巻き上げると、それを目くらましにして怪物の死角へ潜り込んで巨体をくまなく精査し始めた。
念入りに粉砕した四本腕はすでに治りつつあるようで、前傾した上半身をしかと支えている。
同様に破壊した多脚の膝も元通りとなり、すっかり体勢を取り戻したようだ。
回復したとは言え、やはり胴体を殴るよりは関節の方が手応えがあったのは確か。動きを封殺しながら体力を削るにはうってつけと思える。
次は首でもへし折ってみようか。
そう目論んで、怪物の背後から頭部へ至る経路を見出そうとした時。
ふと不自然な部位の存在に気付いた。
三つ首が生える付け根辺りから、かすかなうめき声を上げる人の上半身のようなものがぶら下がるようにして生えていたのだ。
いかにも何かあると思わせる風情。弱点に繋がるものかも知れぬ。
即座に接触を決断した紅は怪物に気取られぬよう、体重を感じさせない羽毛のような軽やかさで巨体へ飛び乗り、人で言う肩甲骨に当たる部位から突き出た、しなびた翼の上へ密かに駆け登った。
怪物は手傷を受けた怒りに我を忘れているようで、突如消えた紅の姿を探して大暴れを始め、手近な森を轟音と共に薙ぎ払っている。
この分ならば、多少の声を出しても気付かれることはあるまい。
「もし。意識はありますか」
激しく揺れる足場をものともせず、まずは会話を試みようと紅が尋ねると、人の形をした者はびくりと反応を示した。
上向きに脱力した姿勢から首を動かし、薄っすらと開いた目で紅を視認すると、かすれた声を漏らす。
「き、貴様は……」
「はて。聞き覚えのある声です」
紅は記憶を辿ると、かつて帝国第5軍を率い、あと一歩のところで取り逃した将であると思い出す。部下からアレスト少将と呼ばれていたことも、紅の鋭敏な聴覚は聞き取っていた。
「これはこれは。お久しぶりですね。かような場所でお会いするとは、奇妙なご縁もあったものです」
「おのれ悪魔め! 貴様さえいなければ……!」
朗らかに笑う紅に対して恨み節をぶつけようとするアレストだったが、途中で言葉を切った。
「……いや。今更貴様に当たっても詮無いことか。私はすでに敗北者なのだから」
諦めたように自嘲すると、深いため息をつく。
「はて。この怪物はあなたが操っているのではないのですか」
「そうするつもりだったが、支配権を得られなかったのだ」
竜騎士のようなものかと見当を付けた紅であったが、アレストは悔し気に否定した。
「笑うがいい。力を欲して試練へ挑んだものの、失敗してこの無様を晒しているのだからな。唯一、仇である貴様を討つという契約だけは交わしたが、その手段や経緯について一切口出しできん。奴は私の目の前で多くの民を戯れに蹂躙し、喰らった。到底許されることではない。私の行動は無駄に終わったどころか、この邪悪な黒竜を世に解き放つ大罪に繋がってしまったのだ……」
「ああ。やはり竜だったのですね。尋常な生物ではないとは感じておりましたが」
アレストの感傷には付き合わず、紅は気になる単語のみ抜き出して反応した。
殴る度に拳から伝わる感触から、表面が鱗のようなもので覆われているのを察し、竜や大蛇の一種ではないかと推測していたのだ。
竜とは、未だ全貌を解明されていない神秘なる獣と聞いている。であれば規格外の体躯や特異な体質も、ある程度納得が行くと言うものである。
「あなたの制御下にないとなると、ここであなたの首を刎ねても意味はないのでしょうか」
次いで湧いた疑問をぶつけると、アレストはしばし黙考した。
「……意味は、ある。だがそれを説明する前に、恥を忍んで一つ頼みたい」
「はて。頼みですか。いかなるものでしょう」
諦観に包まれていた男が一体何を望むのか。紅は興味をそそられ先を促した。
「この邪竜を、絶対に討ち取って欲しいのだ」
そう口にしたアレストの言葉には、確かな気迫が宿っていた。