百三十二 解ける緊張
聖王国からの使者が去った後。
後詰の兵達に戦場となった街道の後始末を任せ、遊撃隊は一足先にアッシュブールへ戻るべく帰還準備を始めた。
帝国残党の掃討完了の報と、聖王国からの伝言を急ぎ持ち帰るためである。
資材に腰かけた紅がにこにこと見守る中、カティアの指示の元で隊員達が撤収作業を進めながら会話に興じていた。
使者との対談時の緊迫感はすっかり吹き飛び、弛緩した空気の中で交わされる話題は、先程まで紅と対峙していたサリディア大佐について。
「むきー! 紅様に正義はないだとー! あの若作りおばさんめ、絶対許さーん!」
カティアに発言の内容を説明され、ようやくサリディアの意図を理解したアトレットがリュークの背中で吠えると、同調したようにリュークも牙の隙間からふしゅうと蒸気を漏らした。
「あっつ! どうどう、落ち着け。別に敵じゃねえんだから」
「紅様の悪口言われて落ち着けるかー! 今から砦に突っ込んで文句言ってやる!!」
「やめろ馬鹿! 友好国だっつってんだよ! 下手打って支援が止まったらどうする! 俺らも飯すら食えなくなるんだぞ!」
数人がかりでアトレットの怒りを鎮めるのを横目に、他の隊員が口を開く。
「でもまあ確かに、聖教の神官様だかなんだか知らんが、お高くとまって嫌な感じではあったな」
「信心深いのは結構だが、融通が利かないのは頂けねえ」
「穏やかだけど迫力があるって点では、隊長に似てたかもなあ」
「強者のオーラって奴だろ。ありゃ相当できるぜ」
「聖王国には帝国も手を出してないくらいだからな。その国境を任されてるのも伊達じゃねえって訳だ」
他国に援助をする余裕を持つだけあり、聖王国の国力は近隣諸国の中でもずば抜けている。多方面に軍を展開しつつ相手取るには分が悪いと、帝国側も理解しているのだろう。
「しっかし、あの人もなかなか言い方がきつかったよなー。きっと隊長に信者を取られたくなくて、苦肉の策を出したんだろうけどよ。なあ?」
話を振った先には、サリディアに真っ向から意見した紅信者がいた。
「女神の御威光は万人を惹き寄せる……信仰を塗り替えるなど造作もなし……かの者の懸念は正しい……」
全員の視線が集中する中、彼は動じもせずにさらりと言ってのける。
「おお~、言うねえ。それにしてもお前、よくあの場面で出て行けたな。アトレットですら動かなかったのに」
「あのおばさん、ちょっと何言ってるかわかんなかったし……」
「お子ちゃまには難しかったかー」
「……我が信仰が身を衝き動かしただけのこと……何も不思議はありません……」
「おいおい。かっこいいじゃねえか。見直したぜ」
「お前はもう紅教の神官を名乗っちまえ!」
紅への信仰を身をもって示した信者に向けて、隊員達は惜しみない喝采を送った。
「隊長の信者と言えば公国のお偉いさんにもいるくらいだし、ご利益はよーく分かってるだろ。今回の要求を聞いたら議会は大荒れ間違いなしだろうが、悪いようにはしないと願いたいね」
「聖王国とどう折り合い付けるか、お手並み拝見だな」
仮に公国が聖王国との関係を優先して紅と手を切る事態となれば、配下である遊撃隊も解散となる。
しかし公国がそのような愚策を取ることはないだろうと、隊員達は楽観視していた。
「……貴方達、お喋りもいいけど手を動かしなさいね?」
『イエス、マム!』
談笑を続けるところへ、凄みのある笑顔を張り付けたカティアが声をかけると、隊員達は声を揃えて敬礼し、各々の作業へ戻って行った。
「まったくもう。返事だけはいいんだから」
「カティアもすっかり貫禄が付きましたね」
「誰のせいだと思ってるんですか……」
賑やかに盛り上がる隊員達へ喝を入れたカティアが戻ってくると、紅はくすくすと笑みを漏らした。
そこへ部下への指示を出し終えたコルテス少佐が訪れる。
「お疲れ様です、中佐相当殿。改めまして、先程はよくぞこらえて下さいました。誠にありがとうございます」
「本当に……いつ使者の方に斬りかかるかと思って冷や冷やしました」
カティアも深く同意し、大きく息を吐いて見せた。
「忌み嫌われ、恐れられることには慣れていますから。何ということはありません」
二人の心労に対して、紅は涼しい顔で答えた。
「今は帝国の方々に楽しませて頂いておりますし、戦には事欠きません。私の邪魔さえしないのであれば放っておきましょう」
「隊長の場合、何をもって邪魔と判断するのか測りかねるのが怖いのですが……」
「同感だ。互いに苦労するな、中尉……」
小声でぼそぼそと言い合うカティアとコルテスだったが、当然紅には筒抜けである。
しかしその程度で気分を害する紅ではなく、敢えて知らぬ顔を決め込んだ。
もしも自分を戦から遠ざけようとするなら立派な邪魔立てである。その時は遠慮なく斬り捨てれば良いだけであり、二人に説明する必要を感じなかった。
それよりも次なる戦について思いを馳せる。
聖教の神官が扱う奇跡なる技には興味があったが、やる気のない相手よりも、現在攻めてきている者とやり合う方がよほど愉快と言うもの。
公国領を完全に追い出された帝国がいかなる動きを見せるのか。紅の興味はそちらへ移っていた。
「ふふ。帝国を討った後のお楽しみに取っておくのも一興ですしね」
ぽつりと漏らした呟きを聞き止めたカティアがぎょっとした表情を見せる。
「恐ろしいことをさらりと言わないで下さい! 絶対やめて下さいね? 絶対ですよ?」
「おや。口に出ていましたか」
「ばっちり出てましたよ! お願いですから、同盟国を攻めるなんて非道に走らないで下さいね!?」
「その時の気分と、あちら様次第ですし。お約束はできませんね」
「ああもう、この人はあああああ!」
カティアが頭を抱えて叫ぶも、紅はにこやかな笑みを見せるのみ。
「何と言うか……中尉も大したものだ……」
面と向かって紅に意見できるようになったカティアを見て、コルテスは感服した様子だった。
「そうでしょう。自慢の副官ですから」
「褒めて誤魔化そうとしてもだめですよ!」
「本心なのですが。何故怒るのでしょう」
「隊長はそういうところがずるいんですって!」
「ははは……仲がよろしいようで何よりです」
姉妹のじゃれ合いのような紅とカティアのやり取りを、目を細めて眺めるコルテス。
彼にはこれから上官へ難題を報告しなければならない厳しい現実が待っている。少しでもその憂鬱を紛らわそうとしているようにも取れた。
その後、終始和気藹々とした雰囲気の中で行われた撤収作業は何事もなく完了し、遊撃隊は早々にアッシュブールへの帰路へとついた。