百二十八 聖女のお茶会
レンド公国領ルバルト平野にて、帝国第4軍を相手に目覚ましい活躍を見せたヘンツブルグ聖教一角騎士団は、任務完了後速やかに帰国を果たしていた。
援軍の指揮を執っていたニーベル大尉も例外ではなく、数日の休養と残務処理を経た後、聖王国北東の国境沿いに居座る帝国軍へ睨みを利かせる部隊へ合流した。
国境線をまたぐ街道を遮るように建てられた関所を兼ねるアネス砦には、帝国が侵略を始めた初期から監視任務に就いた古参兵が数多くいる。
ニーベルもその一人であり、無事な帰還を喜ぶ戦友達の声に囲まれて、古巣に戻ったような安堵を感じていた。
中でも特に熱烈に彼女の復帰を歓迎したのが、国境警備隊の長、サリディア大佐である。
再着任の挨拶のため、砦の執務室に訪れたニーベルの顔を見るなり立ち上がると、慈愛に満ちた抱擁をして見せたのだ。
「ああ、大尉。無事に帰って来てくれてよかったわ。激戦地への派遣と聞いて心配していました」
「もったいないお言葉です。ですがご安心下さい。この通り、五体満足にて帰還が叶いました。本日付けで本隊に復帰致します。またご指導ご鞭撻のほど、よろしくお願い致します」
ニーベルはわずかな驚きの後、微笑みながらサリディアの柔らかな腰へ手を回してその温もりを甘受した。
「少し見ない間にすっかり頼もしくなって。ええ、一緒に励みましょう。期待させてもらうわね」
サリディアは一度ぎゅっと強く抱き締めると、名残惜しそうにニーベルから身を離して淡い笑みを浮かべた。
栗色の長髪を揺らし、窓から差し込む午後の日差しを受けた姿は、後光を背負っているかのような神々しさをも覚える。
ニーベルより20程年上、いよいよ50にも届こうかと言う年齢にして、未だ衰えを感じさせぬ若々しい容貌は神殿の聖母像を想起させた。
自らも一角騎士団に属し、神の啓示を受けた神官でもあるサリディアは、聖王国軍の中でも特殊な立ち位置にいる。
女性ながらに一軍を率いつつ、聖教を体現する伝道者の役割も担う彼女の存在は、兵らの信仰と士気の維持に大いに貢献していた。
性格は温厚にして清廉潔白。
まさに聖騎士の見本とされる慈悲深さをもって信徒へ平等に接する様は、真の聖女とまで呼ばれて崇敬の念を一身に集める程。
そのため教会からの信任も厚く、政治的発言力さえ持っている。
部下に対しても兵一人一人へ丁寧に向き合い、時に優しく、時に厳しく導いてゆく。
そんな彼女を兵らは第二の母のように慕い、敬い、身を粉として捧げんと任務に忠実であろうとする。
故にサリディア旗下の部隊は完全な統率が取れており、聖王国でも指折りの作戦遂行力を誇っていた。
「今日は比較的執務が少なくて手が空いているの。良かったらお土産話を聞かせてくれないかしら」
「はい。喜んで」
応対用のテーブルを示すサリディアに請われ、ニーベルは一礼した後席に着いた。
サリディアは顔をぱっと輝かせ、自ら茶の準備を始める。
目と鼻の先に帝国軍がいる状況にしては随分とのんびりしているように見えるが、相手の目的は足止めのみであることは明白。よほどのことがない限り、手を出してくることはまずあり得ないと踏んでいた。
無論絶えず見張りを置いて警戒は怠っていないが、時には適度に緊張を緩めることも長期任務には必要だと熟知しているのだ。
「噂に名高い第4軍の実力はどうでしたか?」
「開戦直後の森林戦では問題ありませんでしたが、平野に陣取った本隊はさすがに精強で、損害は免れませんでした。己の至らなさを痛感しております」
ティーカップを差し出しながら促すサリディアに、悔しさを滲ませながら語るニーベル。
「小官が不甲斐ないばかりに、お預かりした兵を少なからず失ってしまいました。何とお詫びすればよいか……」
「それだけ相手も研鑽を積んでいたと言うことでしょう。あまり自分を責め過ぎないで。戦に犠牲は付き物なのだから。もちろん散って行った皆を忘れてはいけないけれど、生き残ったからにはその遺志を継ぎ、成長の糧になさい」
「……はい」
人の上に立つ者の重い言葉を噛み締めるように、ニーベルは深く頷いた。
「貴方は我が軍の次代の中核を担う存在だと確信しています。大いに悩み、学んで、視野を広げてくれることを願っているわ」
「恐縮です。精進致します」
ニーベルは偉大な上官の期待に身が引き締まる思いで敬礼した。
優しく笑みを返したサリディアは、紅茶を口にしてから改まった様子で次の話題を切り出す。
「そうそう。例の和国の剣士とは会えましたか」
「はい。凄まじい遣い手でした。小官ではとても推し量れない程に」
ニーベルは紅の名を出すと、敵将との一騎打ちの様子、その後の圧倒的な蹂躙、直接の手合わせの感想などをいつになく熱っぽく語った。
「貴方にそこまで言わせるのね。とても興味を惹かれます。報告だけは聞いているけれど、いつかお会いしてみたいものだわ」
娘の友達自慢を聞く母のような穏やかな表情を見せ、サリディアは想い馳せるように瞑目する。
「それで……貴方から見て、彼女に正義はあるかしら?」
しばし間を置いてから開かれた瞳は、何かを見定めるような鋭さを伴っていた。
恐らくこれが本命の問いであると察したニーベルは、慎重に言葉を選んで口を開く。
「彼女の剣が苛烈であり、敵対者へ容赦がないことは確かです。しかし直接対話をした限り、心根は純粋なのだろうと感じました。少なくとも悪ではない、と小官は判断するものであります」
悪と見なせば聖王国は紅を野放しにしないだろう。しかしそれは、あの無双の刃がこちらに向くと言うことでもある。
手合わせしたことでその脅威を実感し、紅に憧憬をも抱いたニーベルは、最悪の事態を避けるべく少しでも擁護をしようと試みた。
が、実際の所業が所業だけに正義であると断言はできず、言い訳じみた形になってしまったことは否めない。
とは言え嘘をつく訳にも行かず、何とももどかしい気持ちが胸に生じていた。
「貴方の内なる正義がそう言わせるのなら、問題はないのでしょう。心配しすぎだったようね」
部下への絶対の信頼からか、納得した様子のサリディアは元の穏やかな表情へ戻っていた。
ニーベルが心中で一息つくと、不意に執務室の扉が激しくノックされた。
「大佐殿、見張りより伝令です!」
「お入りなさい」
サリディアの許可が下りると同時に扉が開き、慌ただしく兵が飛び込んでくる。
「失礼致します! 街道を封鎖中の帝国軍に動きがありました!」
「どうやら、よほどのことが起こったみたいね」
一大事にも焦りを見せず、ティーカップを静かに置いたサリディアと頷き合い、ニーベルは素早く席を立った。