百二十七 追加任務
熱狂渦巻く宴の夜が明け、新たな朝を迎えたアッシュブールにて。
帝国の占領下にあったつい先日までは、およそ想像もつかなかった乱痴気騒ぎの痕跡が広がっていた。
夜通し歌い踊り、酔い潰れて泥のような眠りに沈む住民が多い中、未だ余韻が抜けずに乾杯を繰り返している呑兵衛の姿もちらほら見受けられる。
その弛緩し切った空気を塗り替えるような晴れ晴れとした青空の下、公国軍による復旧作業が再開された。
「皆様精が出ますね。朝早くからご苦労なことです」
庁舎付近に設営された宿営地の天幕から顔を出した紅は、活気に溢れる兵達の仕事ぶりを察して淡く微笑んだ。
「ほとんどが隊長の後始末なんですけどね……」
先に着替えを済ませて隣の天幕から訪れたカティアが、半ば呆れたように呟く。
アトレットを含む隊員達は朝方まで騒いでいたため、今は皆揃って爆睡している。
対して紅とカティアは折を見て切り上げ、早めに床に着いていた。
昨晩遅くに戻った紅は帰還報告をしておらず、恐らくキール中将の呼び出しがあるだろうとカティアが読んだためだ。
その予想は的中し、つい先程伝令が紅の帰還を確認しがてら、後程司令本部へ出頭するようにという伝言を残して行った。
敢えて時間を指定せずに急かさないところが、キールの紅への配慮を感じさせた。
「後片付けは私の仕事ではありませんし」
紅は天幕を抜け出すと、いつものように我関せずと言った様子で笑みを浮かべる。
朝靄に煌めく日差しを受けて一層際立つ美貌を目にし、カティアは小言を口にする気も失せた。
この無邪気さを前にすると、何を言っても無駄だと悟らされてしまうのだ。
「……本当に、隊長はずるいですね」
「はて。何のことでしょう」
「何でもありません! さあ、行きますよ!」
愛らしく小首を傾げる仕草からぷいと顔を背けると、カティアは足早に先導を始めた。
「そうですね。今日の朝食は何でしょうか」
「え? 先に司令本部へ向かいますが。中将閣下をお待たせする訳には参りませんし」
「腹が減っては戦はできません。軍議においても同様です。急いで来いとは言われておりませんので、少しの寄り道くらい良いでしょう」
紅はそう口にすると、炊き出しの匂いに釣られてカティアとは逆方向へさっさと歩き出す。
「ああ、もう! 本っ当に自由なんだから……!」
カティアは紅のマイペースさに嘆息しつつ、慌ててその後を追いかけた。
炊き出しの列が思いの外混み合っていたこともあり、結局二人が司令本部へ出頭したのは昼近くになってからだった。
「二人とも、よく来てくれた」
想定より大分待たされただろうに、キールは不服を一切顔に出さずに歓迎した。
「貴官らを呼び出したのは他でもない。こうして中佐相当が無事帰還していることで結果は知れたも同然だが、一応出撃結果の報告をしてもらいたくてね」
「北より迫っていた部隊は残らず掃討致しました。これにて今回の敵方は打ち止めでしょう」
「そうかそうか! よくやってくれた。何から何まで貴官に任せきりで、申し訳ないくらいだよ」
紅の簡潔な報告を受けて、キールは懸念が晴れたとばかりに歓喜の笑みを見せる。
「好きでしたことですので、お気になさらず」
「そう言うだろうとは思ったが。我々がここまで巻き返せたのも、全て貴官のお陰だ。深く感謝する」
「はて。既視感がありますね」
「何がだね?」
「ああ、いえ! 何でもありません!」
昨晩自分が口にした内容とそっくりな言葉を発したキールに微笑む紅の口を塞ぎ、カティアは必死に誤魔化した。
「ふむ。まあいい。ともかく、これで帝国に占領されていた全拠点の奪還が叶った。それ自体は喜ばしい」
キールはさして気にも止めずに話を進める。
「しかし、まだ我が領土を脅かす存在が残っている。ここアッシュブールより西へ向かうと聖王国の国境があるのだが、その手前に帝国の残党が多数確認されたのだ」
机に広げていた地図の一点を指差し、わずかに表情を険しくするキール。
「恐らく、聖王国を抑えるために配置された部隊だと思われる。これを放置していては街道が封鎖されたままとなり、聖王国の支援も受けられん。だが、今ならばアッシュブールが落ちたことはまだ知られていまい。背後を突く好機と言える。大戦を終えたばかりですまないが、貴官らには急ぎこれを叩いてもらいたい」
「望むところです」
次なる指令に紅は微笑をもって即答した。
「しかし不思議ですね。聖王国も精兵を抱えているでしょうに、自分達で撃退しないのですか」
直後に首を捻った紅へ、カティアがすかさず補足する。
「聖王国は基本的に専守防衛を掲げています。同盟国への援軍は別として、自国が攻め込まれない限りは打って出ることはありません。帝国はそこに付け込み、手を出さず国境線の前に居座ることで聖王国の進出を抑えていたのだと思われます」
「なるほど。さすがカティアは博識ですね」
「うむ。見事な解説だった。士官学校主席の肩書は伊達ではないな」
「い、いえ、恐縮です……」
上官二人から褒め殺しにされ、カティアは謙遜しつつ赤面した。
戦場を移動するにつれ、いつの間にか遊撃隊の周囲には、続々と経験豊富な将校が集まってきている。
実地経験で劣る自分が紅の役に立てるのは知識面しかないと感じたカティアは、作戦行動の合間にも自習を欠かしていなかった。
それが確かに報われたと思える場面であった。
「中尉が語ってくれたように、聖王国が自主的に帝国残党へ手を出すことはまずない。逆に言えば、帝国側も迂闊に動けないはず。双方睨み合っている間に退路を断って強襲し、帝国軍の混乱に乗じて一網打尽とする。それが本作戦の骨子だ」
「了解致しました。それと僭越ながら、任務に向かうにあたって遊撃隊の戦力強化を図りたいのですが」
作戦概要を聞き終えたカティアは、意を決して切り出して腹案を披露する。
「……なるほど。よろしい、許可する。担当部署に通達しておこう。好きにやってくれ」
「ありがとうございます!」
「遊撃隊の活躍は目覚ましいからな。これくらいの便宜は図るとも」
キールの同意を得られたカティアは、胸を撫で下ろしながら感謝した。
「この一戦を乗り切れば、今度こそ帝国軍を公国領から駆逐できる。本日は編成と休養に当て、出発は明朝とする。諸君の奮戦に期待しているよ」
「しかと拝命致しました。最善を尽くします」
キールが敬礼で締めると、紅の代わりにカティアが敬礼を返し、二人は指令本部の天幕より退出した。
「ふふ。やはり最前線は良いですね。戦に事欠きません」
喜びに足取りを軽くする紅は、ふとくるりと振り返りカティアへ笑みを向ける。
「それにしても。カティアがあのような案を練っていたとは意外でした。実に良い傾向です。あなたも戦がわかってきたようですね」
「隊長を見ていれば嫌でもこうなりますよ」
カティアは苦笑を返すが、内心ではキールや紅に認められた歓喜に震えていた。
「今回の任務を無事に果たせば、しばらくは落ち着けるでしょう。がんばりましょうね、隊長!」
「気合十分で何よりです」
二人は笑い合うと、早速部隊再編のために動き出した。