一 戦喰らい
この世界は、血と暴力で出来ている。
天高く響き渡る、鉄と鋼がぶつかり合う音。
国のため、仕える主のため。
あるいは家族のため。そして自分自身のため。
理由こそ様々なれど、己を奮い立たせるべく発される数多の兵の雄叫び。
それらは容易に、より強き信念によってかき消され、蹂躙される。
敵を討ち、または討ち取られ、無限に飛沫を上げる血潮を大地が吸い、その上を新たな生贄達が走り抜け、累々と屍を積み上げてゆく。
群雄割拠の戦国の世では、さして珍しくもない光景。
即ち合戦である。
じりじりと照り付ける陽光が降り注ぐ、大きく拓けた平野にて。
二つの大軍が激しくぶつかり合う最中、ふと横手の森から歩み出る影が一つあった。
女。
それもまだ二十に届くかどうかの若さ。少女と言ってもよい。
艶やかな黒髪を高く結い上げた、天女もかくやと見紛う白き美貌は、戦場には全くそぐわない。
長い睫毛を備えた形の良い両の瞼は閉じられており、盲目故にここまで迷い込んでしまったのかとも思われた。
しかし装束に目をやると、黒で統一された袴姿に錦の帯。その腰に差されているのは、紛れもなく二本の大小。
そしてその堂々たる隙の無い足取りは、まさしく武人のそれを想起させる。
少女は肩で風を切るよう悠々と、真っ直ぐに戦場のど真ん中へ向かってゆく。
瞑目しているのが嘘のような、淀みない足取りである。
途中、行き会った兵が退去を促すが、少女は輝かんばかりの笑顔で応じた。
「私などより、ご自分の身を案じなさいませ」
そう言の葉を紡いだ刹那、少女の腰元で鯉口が鳴る。
ちゃきり──
いつの間に抜き放たれたのか、少女の右手には紅い刀身の大刀が握られていた。
周囲の兵らがそれに魅入られたのも束の間、彼らの首が一斉に斜めに傾ぎ、血飛沫を吹き上げ次々倒れ伏してゆく。
少女を中心として、数十の命の花が一瞬で刈り取られたのだった。
それを見た他の兵らは、戦の最中だと言うのに思わず目を奪われた。
降り注ぐ鮮血の雨の中、満面の笑みをもって次の獲物を手にかける天女の如き美貌に。
しかしそれもやがて、恐慌のさざ波となって周囲に伝播してゆく。
大刀の一振りだけで、鎧兜を着込んだ兵らの隊伍が紙屑のように切り崩される。
いとも容易く首が飛び、四肢が跳ね、胴が別たれた。
敵も味方も区別なく、間合いに入らば即切り捨てられる。
逃げ出そうものなら、背を向けた瞬間に寸断された。
まるで現実味の無い、悪夢のような光景。
返り血を浴びて童女のように笑う少女は最早、天女ではなく鬼にしか見えぬ。
これなる舞台は、天下分け目の大戦。双方の兵を合わさば十万は下らぬ。
そこへ単身乗り込み殺戮を始めるなど、狂気の沙汰でしかない。
そのような者が、鬼でなくば何なのか。
いつしか兵らの恐慌は焦燥と変わり、敵味方、将も兵も一丸となって目標を定めた。
この女を、殺さねば。
その場に居合わせた全ての者が感じ取った破滅の気配。
それに衝き動かされるように、我先にと少女一人へ剣を、槍を、弓を向け、果敢に挑みかかってゆく兵ども。
しかしそのいずれもが、少女に近寄ることすら出来ずに切り刻まれて無残な骸と化していった。
数刻もかからず戦場を平らげた少女は、次なる獲物を両軍の本陣へと切り替え歩みを進めた。
陣営の旗が掲げられた陣地へ入ると、静寂が訪れた戦場を不審に思ってか、地位のあると見える者が訝し気に顔を覗かせたところであった。
「む……貴様、止まれ。何者だ。一体何が起きている」
「あなたは知らずとも良いことにございます」
少女が言い終える頃には、男は縦に切れ目が入り、二つに分かれていた。
男に続いて出てきた者達も問答無用で切り捨て、少女は本陣最奥、軍の長の座す場へ侵入を果たす。
「……何者か」
流石に一軍の長。立派な甲冑に身を包んだ男は身動ぎ一つせずに腰掛けに座ったまま、闖入者に誰何した。
「ふふ。皆様同じことをお聞きになりますね。これより死ぬ身には無用なものを」
少女は口に袖を当ててころころと笑う。
「そうか。わしも殺すか」
薄々戦場で起きた顛末を予期していたのだろう。男はさほどの動揺も見せずに呟いた。
「その紅の刀。おぬしがかの有名な……戦喰らいの剣鬼、なのだな」
男の目が、少女の持つ大刀へと向けられる。
今しがた大勢の命を絶ったばかりというのに、その刃には血糊一つ、刃こぼれ一つ見当たらなかった。
「別段名乗ってはおりませんが。そう呼ばわる声もあるそうですね」
真正面から鬼と呼ばれても気にした風もなく、少女は静かに男へ歩み寄る。
「冥途の土産に一つ聞きたい。おぬしは虐殺の果てに何を望む?」
男は覚悟を決めてか、逃げようともせずに問いを発した。
「次なる戦と血を。更なる戦場と強者を」
おぞましい答えを淀みなく、微笑みながら断言する姿すら美しい。
それはこの世の理からすでに逸脱した者の在り様だった。
「……返答感謝する。おぬしの行く先に災いあれ」
「ありがとうございます」
精一杯の呪言を叩き付けて立ち上がった男に対し、涼やかな笑みでもって会釈する少女。
顔を上げるとすでに、紅い大刀は鍔鳴りと共に納刀されていた。
「それでは、ご機嫌よう」
そう言い残して少女が踵を返す頃には、男の胴は刀を抜こうとした形のまま硬直し、首は地面に転がっていた。
その死に顔は、いつ斬られたかも知れぬまま、苦痛の一つも浮かんではいなかった。